復活の日


           SEQUENCE 5.  復活騒動顛末記
                        (筆者、ベルナール・シャトレ)







                                    熊野郷さま  作




さて。まとめるとしよう。
 アンドレ・グランディエとオスカル・フランソワとの挙式は、本日8月26日に無事終了した。
 場所は我々が収監されている順応施設に程近い、カトリック教会である。
 この日に式を挙げる事は、本人達には一切知らせずに、我々だけで決めていた。
 事後承諾であり、なおかつ半ば無理やりではあったのだが、最終的には快諾してくれた。
 事態も事情も飲み込み切らないまま祭壇に立った二人には、気の毒な事かと思うが、致し方ない。
 何故なら、本人達は治療ポットという装置の中で傷と病を癒やす為に今まで眠っていた故に、意志の疎通と現状説明は不可能だったのだから。
 だが、我々には時間が無かった。
 理由は数ヶ月前に遡る。
 順応施設に収監され現代を学んでいる我々は、この二八世紀の人間ではなく、過去の時代から回収されて来た死者である。
 時代は様々らしいが、筆者と妻が居る区画には、近しい人々が集まっている。
 十八世紀末と十九世紀初頭のパリを生きた者達だ。
 我々から見れば未来人が、この施設を設立しタイムマシンなる時空を超える装置を積んだ宇宙船で死者を集める計画を始めた理由は、侵略に対抗する為だ。
 一見平和に見えるこの世界は、滅亡の危機に瀕している。
『ゴースト』と呼ばれる侵略者に心を蝕まれ、自ら死を望むように仕向けられ、または精神を乗っ取られているのだと聞いた。
 そんな恐ろしい敵に相対し、知識も技術も劣る過去の我々がいかほどの力と成るのか甚だ疑問だ。
 未来人の弁に拠れば、『晩餐に、庭で飼っていた鶏を殺し、食卓に上らせる。あなた方には当たり前の事でしょう。しかし、私達の大半はそれだけで精神に傷を受けます。とても脆弱です。こんな世界でも、守りたい。だから、あなた方に助けを求めました』と、云うことらしい。
 侵略者との戦いの為に、生まれた時代から無理に連れ出した身勝手の代償として、戦いに参加しない選択も与えられはいるものの、志半ばで後にしなければならなかった自分の時代には帰してはくれない。
 理不尽とも思うが、一度は終えた人生を取り戻せたのだ。新たな未来を得た事で良しとしようと納得する他はない。
 我々は、元の時代に居る限り知り得ない後の歩みを知ってしまった。
 禁断の実を食べた者に、戻る場所は無い。
 仲間のどれだけが理解ているのかは判らない。しかし、彼等はこの地を生きる場と決め、順応の為に懸命に学んでいる。
 そんな仲間達の大半が待ち望んでいたのが、オスカル・フランソワである。
 元フランス衛兵隊長。名門ジャルジェ家の後嗣でありながら、民衆の蜂起に呼応して革命の火蓋を切った、バスティーユの戦女神。
 彼女の復活を、元衛士達は待ち望んでいた。
 無事遺体が回収され、蘇生し治療に入ったとの報せに仲間は喜んだ。
 が、暫くして、意外な報告を受けたのだ。
『受精卵の着床を確認した』
 初めは意味が解らなかったが、受胎だと説明され我々一堂、しばし言葉を失った。
 呆然とする男性陣を尻目に、いち早く衝撃から立ち直ったのはやり女性である。
 我が妻は、子供の父親がオスカル・フランソワの従僕にして恋仲であったアンドレ・グランディエ以外に有り得ないとして、当時はまだ完了していなかった彼の回収と蘇生を当局に強烈に要求し、同時に今後の彼等の行き越しも心配し始めた。
 経産婦とは逞しい。と、改めて痛感したものである。
 アラン・ド・ソワソンを筆頭とする衛士達が衝撃から立ち直り、事態をなんとか受け止めた頃合いを見て、妻は新たな提案を打ち出した。
 曰わく『二人の結婚式を挙げて差し上げたい』我々夫婦でさえ、慎ましやかに式を挙げたのであるから、添わせてくれた恩人であり最も敬愛する二人が、式も挙げられ無いなど気の毒だ。と、なかなかの迫力である。
 確かに半ば駆け落ち同然にジャルジェ家から妻を連れ帰り、教区の教会で式を挙げた。
 立ち会いに参加してくれたのは学生時代からの友人達や新聞社の同僚だった。その中には、ロベスピエールやカミーユの笑顔があったが、後を思うと、些か感傷に胸が痛む。
 ともかくも我々男性陣がそれぞれ感傷に浸っている間に、女性陣は着々と準備を進めていた。
 さすがは恐怖政治下を掻い潜っただけはある。妻はその中心で立ち回り、既にアランの妹であるディアンヌや、施設の女性スタッフまで仲間に引き入れての、一大プロジェクトが立ち上げられていた。
 我々古い時代の男は、こういった事にはまったく役立たずである。
 ただ呆然と事の成り行きを眺めるしかなかったが、それを尻目に一人軽妙に立ち回り、率先して楽しむ男が居た。
 ハンス・アクセルである。
 長い名を、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。
 元の時代では、王党派として在り伯爵の地位にふさわしい立ち居振る舞いをしていたであろう人物だ。
 しかし、ここに収容されてからの彼は、非常に気さくであり分け隔てもなく、非常に付き合い易い。
 これがかつて王妃の愛人と謂われ、蛇蜴の如くパリ市民から嫌われた男の素顔かと思うと、なんともはや忸怩たる思いがする。筆者もまた当時は、どれほどの女誑しかと唾棄していたのだから。まったく、偏見と思い込みとは恐ろしい。
 報道に携わっていた者の一人として遺憾である。
 そんな彼は、元の時代からのオスカル・フランソワの友人だったらしい。
『親友の幸福の為に一肌脱ぐ』
 にっこり笑ってそう言い切り、腰軽く立ち働く姿に触発されてか、他の男達もちらほらと手伝いを始めたのだから、青い血の持ち主という者はやはりどこかしら人を惹きつけるのだろう。
 現代社会に溶け込んでいく為にも、自主性と連帯感が育つとかで、施設側もそういった自主的な企画は推奨していた。
 斯くして、妻が始めたプロジェクトは軌道に乗り、治療終了予定の八月に向けて進んでいった。

 オスカル・フランソワとアンドレ・グランディエが目覚めたのは、25日の午後。妻は全ての準備を終えて待ち構えていた。
 常日頃夫以上に大切にし、強い憧憬と思慕を臆面もなく語るオスカル・フランソワとの時を超えた奇跡の対面を果たそうと、小柄な体に期待を漲らせて居たのだが。ここに思わぬ伏兵が居た。
 またもや、ハンス・アクセルである。
『もっと劇的にしようじゃないか』彼は筆者に耳打ちしてにっこり微笑んだ。
 ハンスはまず、アンドレ・グランディエが先に目覚めると知ると、筆者へ早急に覚醒後の検査の手続きをするように依頼してきた。
 彼の目覚めには筆者とハンス・アクセル、そしてアラン・ド・ソワソンが立ち会い、状況の説明をする手筈になって居たのだが、彼はそれを省いてアンドレ・グランディエには何も教えずに検査に送り出した。
 訝しむ筆者とアランに、『馬車の時、最後まで側に居なかったからな』などと謎の言葉を発しながら、彼は勇躍オスカル・フランソワの病室へ向かった。
 そこでは治療の結果、細胞活性化とかで若返り、まるで少年な彼女が眠り、枕元には妻が陣取っていた。
 その姿は、慕う姉の傍に添う妹。と云うよりは、恋人の看病に勤しむ娘といった感がある。
 まあこれは、筆者の個人的な感想であるから、今回には関係ない。
 ちなみに、アランが暫し呆然と寝顔に見惚れていた事は、書き留めておこう。
 目覚めたオスカル・フランソワは、泣き縋る妻を宥めると起き上がり、アランの前に立った。
 感動の再会にしてはあっさりしていると思ったが、どうやら彼女はまだ革命のただ中にいるらしく、アランに戦況報告を要求してきた。
 無理もない。バスティーユで倒れて以来ずっと眠っていたのだ、よもや千年も時間を超えたなど想像の埒外に違いない。
 しかし、いきなりの質問に窮したのはアランだ。
 彼には十五年は昔の事だ。エジプト遠征の戦況報告ならまだ楽だったかも知れない。
 しどろもどろな彼に質問が変わる。戦死者の埋葬は済んだのかと。
 これには即答できていた。なにしろその時埋葬された戦死者には、質問している御仁も含まれていたのだが、しっかり生きている本人には、知る故もない。
(尤も、その遺体は未来人がすり替えた偽物なのだが、長くなるので説明は省く)
 アランが漸くオスカル・フランソワの言動に疑問を持ち、説明を試みようとした時に、ハンス・アクセルが割り込んだ。
 どうやら彼は、入室の折筆者に囁いた『何も教えないように』という言葉を実行に移しているらしい。
 詭弁の具体例を見るような、嘘は一言も吐いていないが明らかに誤解させ間違った認識を保たせる会話に、筆者は彼が実力を持った政治家だった事を思い出したものである。
 対するオスカル・フランソワは目覚めてからずっと、冷静で落ち着いた様子に見えた。頭の中は千年前のままとはいえ、生粋の軍人らしく、知りうる限りの現状に対処しようとする姿勢が感じられる。
 さすがだと感心していると、横でアランが苦々しく呟いた。
『泣きそうじゃねえか。ハンスの野郎いい加減にしろ』
 これにはかなり驚いた。
 そんな普通の女性に対するような表現が、当てはまる人物だとは思っていなかった。
 オスカル・フランソワへの彼の想いを十五年間からかい続けてきたものの、実際彼にとっては、その心を思いやり守る対象なのだと、改めて知った。
 そして多分筆者よりはずっとオスカル・フランソワを知るであろうハンスも、彼女の様子は察しているだろう。が、看護婦の入室にかこつけて明らかに逸らされた視線を、話し掛けて引き戻す。
 アンドレ・グランディエが看護婦の案内で入室して来たことを知られない為の行為だが、これによって一種奇妙な寸劇が展開される形になった。
 失礼は承知で比喩するならば。劇場付き酒場にて上演されるような、間男と語らう妻を見つけた亭主の喜劇を彷彿とさせた。
 だが、そんな動揺を見せたのはほんの束の間である。彼は静かに気配を収めると、感情の読めない視線で二人を見つめ始めた。
 静謐という言葉が、最もその佇まいを表すだろう。患者用の白い検査着姿が、一瞬彼がよく着ていたお仕着せ姿に見えたほどだ。多分無意識なのだろう。脇に控え、調度品の一つの様に気配を消して見守る。従僕として、何十年も生きてきた彼に染み着いている所作に違いない。腹の中がどんな状態なのかは知らないが。
『もう、しっかりしてよアンドレ』
 泣いていた筈の妻が、拳を握り締めた観戦態勢でそんな事を呟いたのは、まぁご愛嬌だろう。
 ハンスが、二人の反応に満足したらしく、オスカル・フランソワに何事か囁いて彼女を強制的に反転させると、演出家は悦に入った顔で後ろへ下がった。
 そして今度の寸劇は、生き別れの恋人達の感動の再会に出し物が変わった訳だが。如何せん筆者としては愁嘆場を細かく描写する無粋は、遠慮させてもらおう。
 それにしても、オスカル・フランソワには驚かされた。普通、最愛の相手との再会ならば、妻が彼女にしたように縋って泣くか、とにもかくにも嬉しさを表現する。筈だ。
 しかし彼女は『歯を食いしばれ』と勇ましい命令を懸けるや、アンドレ・グランディエの腹に強烈な一撃をめり込ませたのだ。
 殴るフォルムの見事さは、格闘技の教科書に載せたい程だ。
 その直後である、榴弾が弾けるように彼女が号泣したのは。
 ここから暫くは、筆者も冷静ではいなかった為に、記憶の正確性に欠けている。
 愁嘆場の波に飲まれた訳ではないが、テュイルリー広場での悲劇を塗り替えている如きオスカル・フランソワの歓喜の涙と、元凶にして全く解っていないアンドレ・グランディエの間抜け面。加えて十五年前の失恋をまたもや実感し直しているアランの様子と、多分初めて見るオスカル・フランソワの号泣に完全に固まった妻の様子が筆者の琴線に触れ過ぎて、込み上げてくる笑いの発作を抑えるのに必死だったからだ。
 人目も憚らず抱き合う二人を残し、外野は部屋を出たのだが。してやったりと満足感を撒き散らしたハンスの顔と見合うと、我々二人は堪えきれず爆笑してしまった。
 他の元衛士達がやって来るまでの、ささやかな時間ではあるが、久々に腹の底から笑えたのは爽快だった。 

 夜は宴会となった。
 いわゆるバチュラーパーティーというものだと、未来人スタッフは言っている。
 束の間の再会劇の直後から二人は再び離されて、オスカル・フランソワは妻や女性陣に囲まれ、現状と身体的事情の説明を受けていたが。アンドレは、アランやハンスと共に何故か宴会の準備に駆り出されて、訳も判らないまま走り回っていた。
 翌日のアランに聞いたところ、何も話していなかった。
 直接教会に連れて行かれ、さぞかし驚いた事だろう。気の毒に。
 まあ、これはアランのささやかな意趣返しかも知れないが。
 意趣返しといえばオスカル・フランソワである。
 宴会の終わり頃、アランとハンスが酔いに任せて喧嘩を始め、止めに入ったアンドレが殴り飛ばされるというちょっとした騒ぎが起きた。
 これを収めたのがオスカル・フランソワであるが、その手段が、ハンスとアランを投げ飛ばすという、いくら安定期に入るとはいえ妊婦にあるまじき荒事であった。
 喧嘩の仲裁と云うよりも成敗といった感があるが、その理由は酒である。
 なにしろ彼女は一滴もアルコールを口にしていなかったのだ。あの宴会の最中、酒豪(ハンスに拠れば大酒飲み)と名を馳せたオスカル・フランソワが、である。
 彼女が妻達と飲んでいた物は、フェイクと呼ばれる疑似酒であった。
 勿論、妻やディアンヌなどが止めたからではあるが、やはり母親として胎児を思いやっての事だろう。
 そんな我慢の最中に、目の前で遠慮もなく泥酔しあまつさえ喧嘩を始めたとあれば、怒鳴る程度では腹の虫が収まらないのも宜なるかな、である。
 床に伸びた三人の男達を酒の恨みも込めてか冷たく見下ろし、てきぱきと指示を出す姿に、さすがは鬼の衛兵隊長と筆者も含め元部下達は感心しきりであった。

 一夜明け、我々の計画の実現と相成った。
 花嫁の仕度は時間が掛かるものだ。
 女性陣は早くから、花嫁を教会の控え室に引きずり込んで支度に掛かっていた。
 ただし、後から聞いたところ時間の大半は、花嫁衣装を着る着ないとの押し問答に費やされた模様。やはり長年男性として生きてきた彼女には、女性らしい装いに抵抗が有るのだろう。
 未来人がそれを聞き、『随分ジェンダー意識の強い方なんですね』と感心していた。この時代、衣装での性別意識は皆無であり、趣味と嗜好とノリに委ねられる。花嫁がスーツで花婿がドレス、という式もそれ程珍しくはないそうだ。見たいとは思わないが。
 やがて喧嘩の痣を医師に消して貰った花婿が、アランに連れてこられた。
 筆者が見た時点では、未だ疑問と戸惑いの最中のようだったが、オスカル・フランソワが誰より初めに見せたいとして控え室に彼を呼び寄せた後は、確実に足が地に着いていないのが見て取れた。
 無理もない。我らが生まれ生きた時代には、彼の立場で伯爵令嬢との婚礼など有り得ない。互いに想いを交わしたとしても、まず秘蹟を授けて結婚をさせる教会が許さないのだ。
 当時は当たり前の事だったが、今の目から見れば、結局は権力や利権を守るが為に創られた決まり事だ。
 個人の人格や権利、ひとかけらの自由も認めない時代しか知らないアンドレには、この世界の自由さは信じられない事ばかりだろう。
 そんな彼も、衣装を整えて祭壇に立った。
 逃げないように見張ってやると、アランが介添えに控えたが、実に自虐的だと筆者は思う。
 花嫁は、尊父ジャルジェ将軍の代わりにと、最晩年を知るハンスがエスコートを勤め、介添えは妻とディアンヌである。
 花を散らす少女やベールを持つ少年少女は、未来人スタッフの子供達が参加してくれた。
 妻は終始泣き笑いでハンカチーフを手放せずに、祭壇の二人を見守っている。
 過去からの人間も未来人もみな笑顔で、愛を誓いくちづけを交わす二人を祝っていた。

 筆者は密かに胸を張る。
 この自由と人権が何より優先される、今日の世界を作り上げたのは。あの激動の時代に、のた打ち、血溜まりすら作りながらも、手探りで新たな道を模索し続けた我々の情熱が礎と成ったからなのだと。
 伯爵令嬢と従僕などという肩書きを脱ぎ捨て、真に愛し合う二人の式は、筆者にとっては革命の成果とも思えるのだ。
 だから今、心から祝おう。
 おめでとう。オスカル・フランソワ。アンドレ・グランディエ。
 我々の前には約束されない未来と、取り戻した絆がある。
 失ったものも多々あるが、それでも後ろは顧みまい。
 確固たる未来を獲んが為、我々が為すべき道を考えよう。
 生まれ来る、新たな家族の為に。
 二人に末永き幸有らんことを、切に願う。




さすが腕利き新聞記者。
躍動感あふれる筆致です。
素敵な結婚式がこんな未来で実現できて、
とても嬉しいです。
熊野さま、ありがとうございました。

               さわらび



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