復活の日


           SEQUENCE 6.  時は巡り廻るとも






                                    熊野郷さま  作




「このお写真。艦長の結婚式のですよね?」
 艦長待機室。黒い瞳を煌めかせて、黒髪の秘書官はフォトスタンドに映し出される光景に見入っていた。
「ああ、そうだよ。オンディーヌ」
 承認書類のデーターパッドから顔を上げて、女提督は柔らかい笑みを浮かべた。
「今日は艦長の結婚記念日ですものね」
「あいつの誕生日でもあるんだがな」
 手を叩いてはしゃぐ彼女へ、承認サインを続けながら肩を竦める。
「あ。もちろんバースデーカードは艦内netにて、メール送らせていただきました」
 社交ですから、妬かないでくださいね。などとおどける日系人の秘書官は、それでもかなり有能で、階級権限別の機密保持のおかげで、昔からの片腕に仕事の補佐を頼み難くなってしまった艦長の職務を、しっかりサポートしてくれる。
 職務上の忠誠心以上に懐いてくれる様子は、ロザリーを彷彿とさせて彼女には微笑ましかった。
「それにしても、艦長が写真を飾るなんて珍しいですね」
 何時もは仕事のテキストパッドとモニター程度しか無い艦長のデスクには、今日だけフォトスタンドが立てられている。
「今日ぐらいは飾ってやらないと、アンドレが拗ねるんだ」
 さらりと応えて写真を見る。
 そこに映し出されるスナップや動画像の中にあるのは、懐かしい人々の満面の笑み。
「艦長のドレス。本当に素敵。このベールの布地、ブライダルシャワーって言うんですよね。生体反応で発光するレース素材。ああもう、素敵すぎる。萌え殺す気ですか? 艦長」
 うっとりとスタンドを見詰めたままの秘書官の、妙な興奮状態に苦笑しながら肩を竦めた。
「何の事だか……棒に布を巻いた噴水みたいじゃないか」
 謙遜ではなく、まじめにそう思っているらしい上司に、秘書官はふんわりと背に掛かる黒髪を横に広げる勢いで首を振った。
「とんでもございません。艦長は御自分がどれだけ麗しいのか自覚が足りませんよ」
 まったくもう。と云わんばかりに、秘書官が大袈裟に肩を竦めてため息を吐く。
「この超絶タイトなマーメイドドレスを、どれだけの女が着こなせるって思います? マイ・フェア・レディのオードリー・ヘプバーンよりもずっとずっとです! しかもこのウエストの細さ。これで妊娠四カ月だったなんて、信じらんない」
 力一杯力説する秘書官に示されて、フォトスタンドに目を遣れば、折りしも花嫁が祭殿に現れた動画像だった。
 そんなにいいものだろうか? 秘書官の熱意を汲んで、改めて見直してみる。
 髪を緩く結い上げて、ベールの台座になるティアラで留めたのを、覚えている。襟足と喉を隠す程に高い襟は、首の細さを殊更に強調し、そのまま薄い肩を包んで流れる様なラインを描く。長い袖は微妙な段丘も余さず表しているくせに、手首より先の甲まで包み、握り締めたブーケのレースのリボンと重なって指先すら隠していた。
 体のラインをそのまま映すかのようなしなやかで光沢のあるドレスは、胸元だけ硬めのレースのリボンを重ねて膨らみをさり気なく隠したのに対して、引き締まった腰を見せ付けてから、まろやかで主張の少ないヒップラインと細い腿を膝まで絞り、一転してまるで水が溢れ返るように、レースの襞をふんだんに使って広がっていく。
 顔と指先しか空気に触れてはいないのに、まるで全身を曝しているような羞恥を感じた衣装だと、着た本人は今でも思う。
 硬い軍服でも、コルセットと重厚な絹のローヴでもない。形状記憶によって体に絡み付いてくる様な、薄く柔らかなコンプレッションスーツのドレスを着た自分を見た時。百合の花弁をイメージしたとロザリーが得意がるベールと相俟って、歩く噴水になった気がしたものだった。
 はっきり言って、ドレスアップに気乗りはしなかった。
 何よりも式自体、こんなにおおっぴらにする気は、彼女には無かったのだ。
 出動前夜。渾身の勇気を振り絞ってアンドレを受け入れた、あの夜。
 あれが、自分にとって本当の婚礼だと思っていた。
 ただ二人。この世で唯一の伴侶と思いを交わし、愛を誓う。誰に許しが要るものか。お互いの事をお互いに誓う事こそが、何よりも大切なのだから。
 婚資がどうの身分がどうのと、煩い教会など通す必要などない。互いが心で神に直接誓ったのだからそれでいい。と、かなり強引に納得していた。
 テュイルリー宮広場での戦闘突入時、『この戦闘が終われば結婚式だ』とアンドレに嘯いた。しかし、それは景気付けの様なものだったし。するとしてもやはり、二人きりでひっそりと礼拝するのがいいと彼女は思っていた。
 だが、あの日のロザリーの気迫と興奮はもの凄かった。まるでばあやが乗り移ったかの様で、その迫力にすっかり気圧されてしまったのだ。
 そして何よりもある一言が効いた。
『アンドレに、一番綺麗なオスカル様を見せましょう』
 そう言われて、アンドレの為に装ってみせた事が、ただの一度も無かったと思い至った。
 彼女が着たドレスはたった一度。フェルゼンへの思いを、諦める為に着た白いドレスだけだった。
 あれが一生に一度と思い詰めていたものの。この目覚めたばかりの奇妙な世界で、新たな人生を生きていくのだ。しかも、自覚も実感も無いが、身籠ってもいるという。
 ならば、棄てる恋への餞別ではなく、続く愛に、女の自分を伴侶へ見せてみたい。
 そんな衝動に背を押されて、未知の衣装を手に取った。
 まさか着た事を激しく後悔する程、恥ずかしい思いをするとは、彼女の予想外だったが。
 動画像では、清(さや)か水が流れ落ちるかの如く、光が滑り落ちていく純白のベールをすっぽりと纏い、明るい金髪の青年にバージンロードをエスコートされてきた花嫁が、祭壇の前で待つ花婿に引き渡されている。
 花嫁が祭殿に現れた時から見惚れていた花婿は、始終泣き出しそうな面持ちだったが、傍らにやって来た花嫁とベール越しに目が合った瞬間。ふわりと融けるような笑みとなった。
『そんな、決闘するみたいな顔してるなよ』
 緊張で張り詰めた花嫁は、花婿の緩みきった笑みを見て思わず笑った。
『お前相手だと、緊張感が無さ過ぎだな』
『それが俺達だろう?』
 そうやって彼は、何時も余計な力を抜かせてくれる。
 一度無くし、奇跡に依って取り戻した大きな愛。
 亡くしては生きられない。失って生き長らえれ得たのは、たった一日。かけがえの無い、半身。
 その大事な男は、溶け出したアイスクリームでももうちょっと形を保ってるだろうと言いたくなる位に、臆面もなくとろけた笑顔で新妻に見惚れてみせた。
『素晴らしくて、とんでもなくて、ものすごく綺麗だ』
 歌うかのように紡がれる賛美に、堪らず吹き出す。
『お前、それしかないのか?』
 語彙が少ない訳でもないくせに、自分が気合いを入れてめかしこんで見せると、彼の表現力は低下する。
 そんな不器用さこそが、心からの言葉故なのだと信じられて、憎まれ口を叩きながらも幸せな笑みが止められない。
『他に浮かばないから』
 へらへらとした笑顔が、泣き出しそうに揺らいで戦慄くのが百面相のようだとぼんやり思う。
『泣くなアンドレ』
 わざとからかえば、相棒は大きく息を吐いてから笑顔に戻った。
『実は、まだ夢の中みたいな気がしてるよ』
 弱気な意見に思わず頷いた。
『目を開けたら、石畳の上かも知れないぞ。願い下げだがな』
 最悪の想像を振り払う様に首を振った花婿は、深く微笑んで花嫁の手を取った。
『なら、覚めないで居よう』
 この男の命と共に取り戻した宝がもう一つあった。大きな掌に自分の手を預けて、唐突に思い出す。
 深い愛情を湛えた二つの黒曜石。
 たったひとつにしてしまった事をどれほど悔やみ、心の中で詫びた事か。
 今二つの貴石は、並んで自分を見ている。だが、決して忘れるな。それがひとつだった事を。そして光を失い、挙げ句永久に閉じられた事を。忘れるなオスカル・フランソワ。
 微笑み返しながら、深く心に誓い刻み込んだ。
 伴侶が拗ねるなどと濡れ衣を着せたが、実はこの誓いを新たに自分へ繰り返す為に、毎年飾ってきたのだ。
 もう二度と、あの絶望を繰り返さない為に。
「さて。艦長」
 過去に馳せていた思いを、少し改まった声が引き戻す。
「なんだ?」
 思い出に浸っていたなど、微塵も感じさせない涼やかな微笑みを秘書官に向けると、何時もの様に相手は薄く頬を染めた。
「はぁ……やっぱり萌え殺す気ですね」
 諦めにも似た震える溜息を吐いて、凛々しい視線を独り占め。などと小さく呟き、気を取り直す様に軽い咳払いをしてみせる。
「今日の承認分は終わられましたし。午後はシフトが空けますよね?」
「ああ。そうだな」
 スケジュール調整は彼女に任せてあるのだから、聞くまでも無いだろうと苦笑しながら頷く。
「では、はいどうぞ」
 にっこりと差し出されたのは、小さなデータチップ。通信などを保存携帯する際に、使用されるタイプだ。
 その意味するところを察して、艦長の碧い瞳が嬉しさに煌めく。
「もしかして、かな?」
 小首を傾げて問い掛ければ、はたして秘書官は更ににっこり頷いてみせた。
「シャトレ家からです。必ず、お二方揃ってご覧になって下さいと、念を押して欲しいと託っております」
 艦長の白い手にチップを乗せながら、秘書官が追い討ちをかける。
 チップを受け取って、満面の笑みを浮かべた艦長は、タッチペンを置いて立ち上がった。
「了解した。メルシィ、オンディーヌ」
 二歩で距離を詰め、上背のある痩身が小柄な秘書官に屈んで、長い腕が包み込む。
「私がどれだけ嬉しくて幸せか、解るかい? オンディーヌ」
 耳元で囁き、柔らかな髪を撫でながら、頬にキスを送る。
「じゃあ、また明日」
 あたかも愛を囁くかの如く吐息で言葉を送ると、風がそよぐ様なさりげなさで抱擁を解き、金色の風が颯爽とドアをくぐり抜けて消えていった。
 放心していた秘書官は、ぺたんと座り込み、長い溜め息を吐いた。
「……いつか、絶対萌え殺されるわ」
 言葉とは裏腹に、上気して染まった頬と表情は、夢みるようで。秘書官は、しばらくこの至福に浸る事にしたらしかった。



幸せな後日談です。
大がかりな舞台背景に決して引けを取らない
ベルばらの登場人物、やはりすごい存在感だと
あらためて感じ入りました。
熊野さま、ありがとうございます。
                      さわらび
   



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