2005年8月26日にサイト開設以来2年と半年。
先日50万人目のお客さまをお迎えできました。
今までにお訪ねいただいた全ての方々に心から
お礼申し上げます。
リクエストをお聞きして書くというような才がござい
ませんので、まるっきり本編と別立ての粗品を、
御礼にかえさせていただくことにいたしました。
読んでやろうと思われました方は、どうぞ下にスク
ロールしてくださいませ。
なお願望満載ものであることは何ら変わりません。
500000ヒット御礼の部屋
ジャルジェ家の庭園は、月に照らされて美しい花が闇を背景に競うように咲いている。
しかしその全ての花を束ねても、目の前の人の美しさの前では色あせてしまう、とジェローデル少佐は思った。
「わたくしに…?お話とはいったい…」
並んで歩ける幸福にしばらく浸っていたい思いを押さえて、彼は黙って歩く隣の人に、思い切って声をかけた。
呼び出された理由を尋ねなければならない。
さんざんつれない扱いをされてきたが、はたして今日の用向きは、吉か凶か…。
「ジェローデル」
ゆっくりと立ち止まり、その人はジェローデルの名を呼んだ。
甘美な響きである。
繰り返し繰り返し聞きたい響きである。
「いつぞやのことばどおり…本当にわたしを愛してくれているか…?」
一切の前置きを省いて本題に入ってきた。
さすが…と賞賛したいほどの単刀直入な質問である。
もとより、そのような人であることは完全に了解済みの求婚だ。
彼は迷わず答えた。
「いつわりなくあなただけを愛しております」
美しい人は、顔を上げ、天上の月を見た。
「ちかって…まことの愛か…?」
「ちかって…!」
穏やかな返答に思いのすべてをこめた。
まっすぐな視線が返された。
臆することなく見つめ返した。
白い指が一枚の葉をはさむ。
「では、ジェローデル少佐」
階級をつけて呼ばれた。
よそよそしい響きだ。
「愛は愛しい人の不幸せをのぞまないものだが…もちろん…?」
「もちろん!」
愛しい人の幸福を願えばこその求婚である。
それを彼女の両親も切望しているのだ。
その両親の娘は静かに話し始めた。
「ジェローデル少佐…。ここにひとりの男性がいる…。彼は…彼はおそらく…わたしが他の男性のもとに嫁いだら、生きてはいけないだろうほどにわたしを愛してくれていて…」
何の話だ?
誰の話だ?
今、ここですべき話なのか?
嫌な予感が胸をよぎる
「もし彼がいきていくことができなくなるなら…彼が不幸せになるなら…」
どうだというのか?
その唇は何を語ろうとしているのか?
「わたしもまたこの世でもっとも不幸せな人間になってしまう…」
有無を言わせぬ口調だった。
すでに揺らぐことのない結論だ、と言いたげなまなざしがジェローデルを見据えた。
彼女が離した植木の葉を今度は彼が手に取った。
そういう小さなものにでもすがりたいような、そんな思いが襲ってきて、彼はめずらしく心を乱した。
彼は一人の男の顔を思い浮かべた。
取るに足りないと思いながら、どうしても心から無視できなかった男の顔。
「アンドレ…グランディエですか…?彼のために一生誰とも結婚はしない…と?」
サワサワと風が吹いて、その人の輝く金髪が一瞬揺れた。
長い睫毛が伏せられた。
首をコクンと縦に振る仕草が、たまらなくかわいいと彼は思った。
このような言葉を放たれてなお、そう思ってしまう自分が哀れでもあり、愛しくもあり…。
彼は聞かずにはおれなかった。
「愛して…いるのですか…」
伏せられた瞳が大きく開いた。
意外な質問だったらしい。
さあ、どうお答えになりますか?
彼は少し意地悪な目を向けてみた。
自分の傷ついた心を覆い隠すために…。
「…わからない…。そのような対象として考えたことはなかった。ただ兄弟のように…いや、たぶんきっと兄弟以上に…喜びも苦しみも…青春のすべてを分け合って生きてきた…。そのことに気づきさえもしなかったほど近く近く魂をよせあって…」
遠くを見つめるような彼女の瞳が追っているのはまさしく彼と彼女との歴史なのだろう。
ここで引き下がるしかないのだろうか。
この美しい人をむざむざあきらめるしかないのだろうか…。
もう少し話していたい。
もう少しこの声を聞いていたい。
もしかしてこれが最後かもしれないのだから…。
「アンドレ・グランディエは…、先日わたくしに、自分の役目は終わった、と申しました」
自分でも驚くような台詞が口をついて出た。
「これからは、わたくしに…と」
「うそだ!」
静かな気配が一転した。
怒気を含んだ声すらが言下に否定されているにもかかわらずただ懐かしい。
今しばらく会話を楽しませてもらえれば…。
「うそではございません。彼が自分の命よりもあなたを愛していることは間違いないでしょう。けれど、彼にとってあなたは決して手に入らぬ高嶺の花。潔く身を引き、おのれの分に見合った幸せを欲しいと願ったとしても、誰にも咎められることではありますまい」
スラスラと述べて、返事を待った。
さあ、声を聞かせてください。
だが期待した声は聞こえてこない。
目の前の人が大きな衝撃を受けているのがありありと伝わってきた。
きっと考えたこともなかったのだろう。
彼が自分以外の人間と手を取り合うことがあるなどと…。
「もし彼が小さな幸せを手に入れたいと申し出てきたとして、あなたは、それを許しますか?いや、これは失礼。あなたは彼が不幸せになるなら自分も不幸せだと先ほどおっしゃったばかりでしたね。ならば当然彼の幸せを…」
歌うように言葉を紡いでいると、突然大きな声が発された。
「アンドレはわたしから離れることはない。生きていても死んでいても…!」
信じがたいほど決然と彼女は言い放った。
彼はともに死のうとしたのだ。
そしてそれを辞めて、ともに生きようとしたのだ。
にもかかわらず、彼は今、重傷を負って床にいる。
自分をかばって凄惨な暴行を受けたために…。
もし彼が、ささやかな幸せを望むならば、そのようなことはすまい。
彼は間違いなく自分とともにあることを選んでくれているのだ。
彼女は射るようなまなざしでジェローデルを見た。
「大層な自信がおありですね?」
皮肉以外になにものでもない言葉をジェローデルは投げかけた。
あなたは彼が去るはずはないと確信している。
どんな根拠をもとに、そこまで言えるのか。
「わたしはアンドレなしでは何もできない」
小さな声だった。
「え…?」
それはあまりに意外な言葉でジェローデルはうろたえた。
気丈で勇敢で誰よりも凛々しい人の口からこぼれたとは思えぬ台詞だった。
「アンドレがいつも影のようについていてくれるからこそ、わたしは思うままに動くことができる…。わたしひとりではなにもできない」
目を伏せてつぶやく人の顔が、木の陰になって見えない。
どんな顔でそんな言葉を言っているのだろう。
ついさっきアンドレを愛しているかどうかわからない、と言ったはずだが…。
この人は、気づいていないのか。
自分の気持ちに…。
いや、気づいているからこその台詞のはずだ、普通なら…。
だが…。
この人は普通ではない。
美しい肢体を包むのは固い軍服なのだ。
鎧に覆われた心はきっと普通ではない。
ふと思いついた。
たとえ本人が気づいてなくとも、相手の男はどうなのだろう、と。
「そのことを…アンドレは知っているのですか?」
彼女の顔が月光に照らされるように立つ位置を変えた。
はっきりと見えた表情は、照れや恥じらいなどとは無縁の軍人のものだった。
そして水が高いところから低きに流れるのと同じほど当然のこととして、彼女は言った。
「もちろんだ。直接伝えている」
「…!」
ジェローデルは完全に言葉を失った。
その甘やかな言葉を、その意味も知らず、この人は彼に伝えたと言うのだろうか。
そんな台詞を言われた彼が、どんな心境に陥ったか…。
たとえ、願う形ではなかったとしても、こう言われた彼がささやかな幸せなど求めるはずはない。
きっと死ぬまで彼女を守り続けるだろう。
「彼はなんと?」
カラカラに乾いた声で聞いてみた。
彼女はにっこりと笑った。
今日はじめて見る笑顔だった。
「黙っていた。あいつが黙っているということは、承知したということなのだ」
「ハッハ…ハ…」
力ない笑い声を発している自分に驚きながら、ジェローデルは笑いを止められなかった。
ひとりの男を完璧に縛り付けていることに、全く気づかずに、この人は…。
ジェローデルは初めてアンドレという男に同情した。
そして同時に強烈な嫉妬を感じた。
もう充分だ。
会話を終わらせよう。
ジェローデルは背筋を伸ばした。
「彼が不幸になればあなたも不幸になる」
それでいてあなたは彼を開放してささやかな幸せの世界に送ってやるおつもりはないのだ。
声に怒りが含まれていることにこの人は気づくだろうか。
いや、きっと気づかない。
そういう人なのだ。
「それだけで充分です…。納得しましょう。わたしもまたあなたが不幸になるなら、この世でもっとも不幸な人間になってしまうから…です」
「ジェローデル…」
呼んで欲しかった名前が再び呼ばれた。
だが、もはやそこに甘美な響きはない。
その響きは別の男のものだ。
そしてその男はおそらく自分以上の闇に住んでいる。
そのことが、彼のズタズタになりかかった矜持をかろうじて支えてくれていた。
ジェローデルは最愛の人に向かって手を差し出した。
「受け取ってください。わたしの…ただひとつの愛の証です…。身を引きましょう」
彼女ははじめておのが手を彼に取らせた。
白く細い手は冷たくて、唇をそえても少しも熱くなることはなかった。
「美しい方…」
そして残酷な方…。
オリンポスの神殿に神々とともにこそ立たせたい…。
ジェローデルは優雅に腰をかがめ、その手に口づけたのち、舞台俳優のようにくるりと向きをかえ、二度と振り返らずに立ち去った。