白々と東の夜が明けてきた。
何事もなく終わったことを感謝しつつ、営舎に向かうオスカルのあとをアンドレは密やかに歩く。
衛兵隊に来た頃は、危なくて、とてもひとりで夜勤監視などさせられなかった。
実際、危ない時もあった。
他ならぬ部下に用心せねばならなかったわけだから、気の休まる間はなかった。
けれども今は、そのような不穏なことはなく、宮殿の見回りは、パリ巡回に比べれば、はるかに安全なものとなっている。
時折、警邏中の兵士とすれ違うと、彼らは一様に嬉しそうに駆け寄ってきて、中には、隊長、お気をつけて、なんぞと言うものまでいる。
はん!誰が一番危ないんだか、と毒づきかけて、他ならぬ自分が、オスカルにとって最も危険ではないか、と思い至る。
苦笑いが思わずこぼれる。
音を立てずに静かに歩く習慣も、オスカルに自分の存在を脅威と受け取らせないために身につけた、あのとき以来のものだ。
前は、時に並んで軽口を叩きながら歩いていたのだから…。
自分で自分の首を絞めてしまった後悔に身を焼かれる思いをすることが、せめてもの罰なのだ、と自分に言い聞かせる。
ふと、前を歩いていたオスカルが振り返った。
「なにか…?」
と聞くと、
「いや…」
と、言って前を向いた。
後方に何か気がかりでも、と、アンドレも振り向いてみたが、特に異常はなかった。
巡視経路も終わりにさしかかり営舎が見えてきた。
先ほどよりも周囲の明るさがわずかに増している。
再度、オスカルが振り向いた。
「オスカル…?」
しばしの沈黙ののち、彼女は言った。
「おまえがあまりに静かに歩いているから、いないのかと思った…」
そして
「いるのならいい。ふりかえって、そこにいるのなら…」
と言うと、急に歩行速度をあげ、営舎に入っていった。
罪作りだな、オスカル、とアントレは思わずつぶやいた。
振り返ったときのおまえの顔が、どんなに美しいか、知らないのだろう。
決して手を出して触れてはならないその顔…。
その髪、その眼、そしてその唇…。
それでも、いないほうがいい、と言われるより、いるのならいい、と言ってくれたことが、涙が出るほど嬉しくて、アンドレはあわててオスカルのあとを追った。
東に太陽、西に月。
一日のうちのわずかな時間、こうしてともに空にある。
前にオスカル、後ろに俺。
決して交わらなくても、ともに天上にある二つの光。
太陽によって輝く月のように、おまえがいるから俺がある。
いつでも、おまえがふりかえれば、俺はいるよ。
おまえが望む限り…。
長い夜が明けていく。
明けない夜がないことを信じて、今一度アンドレは振り返って、傾く月をじっと見つめた。
柿本人麻呂作
東の野に かぎろひの立つ見えて かえりみすれば 月傾きぬ
〜朝日の昇る頃、東の野に、あけぼのの茜色のもやがかげろうのように見え始め、振り返ってみると、西には月が傾きかけている。