-love songs-

 




 

Hold me close and hold me fast

The magic spell you cast

This is la vie en rose

When you kiss me, Heaven sighs

And though I close my eyes

I see la vie en rose

 

私を抱きしめて、しっかりと

おまえがかける、その魔法

これが薔薇色の人生

おまえが私に口付ければ、天国が溜息をつく

目を閉じても私には

薔薇色の人生が見える






「お帰りなさいませ」執事が玄関で出迎える。
その横には少し心配そうな顔をしたばあや、そして今日は薄紫の小花模様のローブを纏った母上。
「ばあやの顔がむしょうに見たくなって、早く帰ってきた」
オスカルはうんと腰をかがめて、ばあやを抱きしめて頬にキスを送る。

そして、身体を起こしたオスカルはジャルジェ夫人に向き直った。
「母上、これをお返しいたします」
オスカルはポケットからサファイアの指輪を取り出し、母の手を取った。
少し見ぬ間に、ずいぶんと細くなられた指。
その中指に指輪を返すと、大きな石は指の背の中央では留まらず、少し傾いて止まった。
オスカルは執事の方に振り向いて言った。
「母上の指輪のサイズを直す手配をしてくれ。他の指輪も見てもらうように」
「かしこまりました」

「オスカル、早く帰ってきたことよりも、あなたの顔色のよさに驚きます」
「ええ、母上。おかげさまで今日は非常に気分がいいのです」
母子は目を合わせ、微笑みを交わした。
「どなたか、あなたの心をときめかす男性にでも巡り合えまして?」
オスカルは一瞬、言葉につまりそうになったのを瞬時に極上の笑顔にすり替えた。
「今度、花嫁選びの舞踏会を催してくださいましたなら、必ずや母上のお気に召す貴婦人を口説き落としてご覧に入れますものを」
「お嬢様!不謹慎でございます!」
ばあやがすかさず、嗜めた。
「そうか?いかにもフランス風だと思うがな」
この屋敷の一部と言っていいほど、ジャルジェ家に馴染み仕えつくしているばあやには、この手のジョークは通じなかったらしい。

オスカルは後ろに控える侍女に目をとめた。
「シモーヌ、湯浴みの用意を!」
侍女は、膝を折りお辞儀で応えるとすぐに踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
その後ろ姿に「いつも世話をかけるね」と声をかけると、侍女はくるりと振り返り、頬を赤らめて再度、お辞儀をしてその場から消えた。

「ばあや、あとで私の部屋にきておくれ。いいね」
「オスカルさま、なにかアンドレが粗相でも・・・」
終始、ばあやは心配そうな顔をしていた。
「そうじゃない、ばあや。いい話だ」
オスカルはばあやの肩をポンと叩くと母に一礼し、エントランスから階段に向かって歩みを進めた。
分厚い大理石の上に、オスカルの靴音が響く。

それに追いつくように、馬車を馬屋番に託したアンドレが追いついてきた。
「懐かしい響きだ・・・」
オスカルははずした手袋を右手に持ち、左の掌に歩調と同じリズムで打ちながら、呟いた。
「ああ、建物も建築材料もおそらく全然、違うだろうからな」
アンドレはいつもの距離を保ちながら、背筋をピンと伸ばし将校然としたオスカルの後に続き階段を昇っていった。

ある時点から、二人の靴音はぴったりと合わさり、コツン、コツン、コツンとデュエットを奏でだした。
階段を昇る時、オスカルの靴音に合わせること、それはアンドレの長らくの癖になっていた。
その子供の練習曲のような、馴染みのある二重奏をオスカルは耳で楽しんでいた。
「あとで、私の部屋へレモネードを運んでくれ」
いきなり、アンドレの歩調が乱れた。
「つまずくな、アンドレ!」
オスカルは右手に持っていた手袋をピシッと左手に打ち付け振り返った。
「いや、以外だっただけだ」
「ばあやも来るから、おまえの分も合わせて三人分だ」
アンドレはなにか嫌な予感がしたが、主人の命令なら従うしかない。
二人は階段を昇りきると、顔を合わせることもなくそれぞれの部屋へ分かれていった。
お互いの足音を背で聞きながら、その足音が消えるまでお互いの存在を耳で追っていた。

 

「お嬢様、なんでございましょう」
ばあやの声はあくまで、神妙だった。
「たまには、早く帰ってきてばあやと過ごすのもいいだろう?」
オスカルはイタリア製の剣の柄の細工を手触りで楽しんでいたが、ばあやが入ってくると同時に壁掛けにそれを戻した。
「本当に、アンドレがなにか不始末をしでかしたのでは・・・昼間の様子もおかしかったですし」
「あれは、私が言いつけた用を足しに戻っただけだ」
しょぼんと佇むばあやをオスカルは椅子に座らせた。

主人の居間で椅子に座るなどという行為に非常な抵抗を見せたばあやだったが、座ってくれないと落ち着いて話せないというオスカルの説得にしぶしぶ腰を下ろした。
やっと二人が向かい合って、座ったところへアンドレが盆にレモネードを載せて現れた。
「季節はずれかもしれないが、昔、ばあやが夏によく作ってくれたレモネードが飲みたくなった」
アンドレは、三つのグラスに飲み物を注いだが、ばあやは手に取ろうとしなかった。

「アンドレ、おまえはここに座れ」
オスカルは自分の隣にアンドレを腰掛けさせ、ばあやと対面させた。

「お嬢様、先日の縁談もすべてお断りになったそうですし・・・」
「あれは駄目だ。あんなちゃらちゃらと着飾り、ぺらぺらと私を口説きにかかる男どもなど、私の好みではない!・・・いいか、ばあや。私の好みはもっとおとなしくて、控え目で・・・」

オスカルにはいっそのことばあやに打ち明けてしまおうかという考えが浮かんだ。だが、そこまでの決断にはおよばず、なにかしら相手が察してくれることを期待した。

「・・・そして、さりげなく私を支え、なおかつ私のすべてを包み込んでくれるような、そんな包容力のある男だ」
(ばあや、気づけ!・・・勘付け!・・・おまえの孫のことだぞ!)
オスカルはばあやの些細な表情の変化も見逃すまいと、瞬きもせず青い目をばあやの顔面に据えていた。

アンドレはアンドレで、いきなり隣でそんな言葉を聞かされ、とても面はゆく、思わず顔をゆがめずにはいられなかった。

そして、当のばあやはといえばきょとんとした顔をいっこうに崩す気配を見せなかった。
「お嬢様、そんなことをおっしゃるために今日は早くお帰りになったのでございますか?」

ばあやの言葉にオスカルは思わず身を乗り出していたのに気づき、ばあやを呼んだ用件に立ち戻った。
「い、いや、違う!すまない、話がそれた。実はアンドレのことだ」
「やっぱり!!」
とたんにばあやの目に生気と殺気が同時に炎のようにぱっと浮かび上がった。
「だから、違うのだ。いい話だ!」
ばあやはオスカルの言葉に炎をやや鎮火させたものの、表情は硬かった。

「ばあや、アンドレをよく見てごらん」
アンドレは瞑っていた左目をゆっくりと開いた。

「おや!アンドレ!おまえ、散髪に行ったのかい?」

「ちっ、違う!いや、散髪も行った。行ったが、目のことだ。ばあや、アンドレの目を見てごらん」

ばあやは眼鏡をいったん外し、エプロンでレンズをきゅっきゅっと拭いた後、もう一度かけなおすと身を乗り出してアンドレの顔を覗き込んだ。

「どうだ?」
「?」

ばあやは気づく気配さえ見せないので、しかたなくアンドレに話を振った。
「アンドレ、ばあやの顔の皺の数を教えてやれ!」
アンドレは噴出した。
「そんなもの、数え切れるわけがない!」
アンドレの様子を見て、ばあやの形相は一変した。
「アンドレ、おまえ・・・!」
ばあやは立ち上がるとテーブルに手をつき、アンドレに詰め寄った。
オスカルは急いで立ち上がり、ばあやの横に立つと両肩に手を置き、座るよう促した。
「ばあや、違うのだよ。アンドレが言ったのではない」
ばあやはオスカルに肩を押さえ込まれ、無理やり座らされはしたが、その唇は震えていた。
「ばあや、ばあや」
オスカルは隣に座り、ばあやの手を両手で優しく撫でながら言葉を続けた。
「ばあや、私がアンドレの視力低下に気づかないとでも思ったのか?」
オスカルは自分の言葉に心臓がキリキリと痛んだ。肺の病の次は心臓の病かと思うほどだったが、本当のことが言えるはずもなく、さらに言葉を続けた。
「医者にかかり、目を治した。もう見えなくなることもない。いいね、アンドレを叱ってはいけない」
ばあやはきゅっと唇を結び、複雑な心境を露にしていたが、やがて口を開いた。
「お医者にかかるために、銀食器や旦那様の懐中時計が使われたのでございますか?」

どうして、そういうとこだけ察しがいいのだ・・・!とオスカルは頭をがっくりと落とした。

「違う!ばあや、午後に外国の夫人が荷物を届けに来ただろう?あの人に渡したのだ。外国の方ゆえ、この国の通貨より品物の方がいいと言われてな。何のためにかと問われても、軍事機密ゆえ、ばあやとはいえ、それ以上は言えん」

「オスカルさま、アンドレのためにたくさんの費用がかかったのでございましょう?」
「ばあや、アンドレの目が見えなくなるかもしれなかったのに、そんな心配など無用だ。それに、執事に聞いてごらん。アンドレの治療費など、ジャルジェ家からは出ていないと言っていいくらいだ。それより、安心してともに喜んでくれ。アンドレはもう光を失うことはない」

「お嬢様に、とんだご迷惑をおかけして・・・」
「ばあや、何を言う!私達は同じ人間だ」
「なんということを!ジャルジェ家の跡継ぎともあろうお嬢様が、そのような謀反人が口にするような言葉を!」
今まで、めそめそとした表情をしていたばあやは、そう言うと同時に落としていた視線をきっとオスカルに向け、ポロポロと涙をこぼし始めた。
ジェルジェ家に忠実に仕え続けて、半世紀以上を過ごしているこの老女にとって、それほど、身分の隔たりというのは超越しがたいものだった。

オスカルは言葉を変えた。
「ばあや、ばあやが私を大事に思ってくれているのと同じくらい、私はばあやとアンドレを大事に思っている。これなら、分かってくれるね?」
「もったいないことです・・・」
ばあやはそう言うと、ハンカチで目を押さえた。

もったいないか・・・

オスカルは自分の胸郭が大きく沈むのがはっきり自覚できるほどの溜め息をついた。
人の考えを変えるということは、制度を変えることよりも難しいのかもしれないな・・・

オスカルは気を取り直すと、再びアンドレの隣に腰を下ろした。
そして、再度、最初の目論見に着手することにした。

「ねえ、ばあや。おまえの孫のアンドレはこのように無口だろう?」
オスカルの目論見を察知したアンドレは、いくら忍耐の権化と異名をとろうともさすがに勘弁してくれと心の中で悲鳴を上げた。
「余計なことを口にしないのは、召使いとして当たり前のことでございます」
ばあやがそう言い終るが早いか、アンドレは立ち上がった。
「オスカル、話が済んだのならおばあちゃんを部屋まで送ってくるよ」
そう言うと祖母の隣に立ち、退室を促した。
ばあやは自分の膝に両手をつき、ぎこちなく立ち上がった。
その動作のぎこちなさは脚の筋力が落ちてきているばかりでなく、膝の関節の滑らかさまで失いかけているというばあやの老いを象徴していた。
「後ほど、旦那様と奥様にはお礼を申し上げます」
そう言うと、ばあやは自分の二倍の身長はあると思われる孫に付き添われ、部屋を出て行った。

パタンと扉が閉められた後、しばらくしてばあやの遠ざかる足音と低い話し声が聞こえてきた。
ばあやがワンセンテンス話し終わるたびに、足音はスキップに変わり、また次のセンテンスとともに規則的な足音に戻る。
オスカルはそっと、扉を開け廊下を遠ざかっていく二人の姿を確かめた。

「まったく、おまえは私になんの相談もせず!」
そう言い終ると同時にばあやは届きもしないアンドレの臀部めがけて、膝を蹴り上げていた。
「散々、心配させた挙句にお譲様にご迷惑をおかけして!」
ステップ、ステップ、ステップ、ステップ、ジャンプ アンド キック!
「いったい、旦那様や奥様にどう言い訳するつもりだい!?」
ばあやの膝蹴りはアンドレの膝の少し下くらいに当たり、その都度アンドレは膝を折られ体勢を崩していた。

ばあや、さっきのぎこちない膝のきしみ具合とは対照的なその股関節の滑らかさはなんなのだ・・・?
オスカルは苦笑いとともに、ひとつ小さな溜め息をついた。

アンドレ、無事の帰還を!
オスカルはそう、心の中で念じながら人差し指と中指を額にかざし、アンドレの背中にエールを送った。



しばらくして、アンドレはテーブルを片付けに戻ってきた。
「おばあちゃんを部屋へ送り届けたよ。あれで喜んでくれているんだ。今頃、泣いているかもしれん」
「そうかもしれんな・・・」
娘に先立たれ、ただ一人の孫の失明を覚悟していた祖母が、その回復を喜ばないわけがない。
事実を小さな胸に仕舞い込み、悲しみを億尾にも出さなかったばあやを思えば、オスカルの胸は自然と締め付けられた。

オスカルは立ち上がり、暖炉の横に立つと、頬杖をつきながらアンドレの所作を眺めていた。
片手に盆を持ち、手際よくグラスをその上に載せるとテーブルの滴をきれいに拭き取った。
いつも見慣れた情景。
「今晩は冷えそうだ」
アンドレがテーブルを拭きながら言った。
「ああ」
「暖炉を入れたほうがいいかもしれんな」
「ああ、そうだな」
言葉少なに語るアンドレの言葉が今日はすべてlove songに聴こえる。

テーブルを片付け終わったアンドレは、オスカルの前を通過し扉の取っ手に手をかけた。

おまえは必ず振り返って、何か私を喜ばせる言葉を言うはずだ。

「なあ、オスカル・・・」
ほら、みろ!
「目がよく見えるようになって気がついたのだが・・・」
そう言うと、アンドレは愛嬌たっぷりに小首を傾げた。
「なんだ?」
「おまえ、目じりに皺ができたか?」
「なっ、なに!?」
オスカルはぎょっとして、両目じりに指を当てた。
「ああ、すまん!髪の毛だった」
途端、オスカルの循環血液は顔面に向かって集中した。
「おっ、おまえ、もうこの部屋へは出入り禁止だ!!」
顔を真っ赤にして憤慨するオスカルをよそに、アンドレはいたって落ち着いた笑顔を浮かべていた。
「俺もそうしたいが、あいにく暖炉に火を入れるのは俺の仕事なんでな。悪く思うな」
アンドレはそう言うと、目が治って最初のウィンクをオスカルに送った。

「おまえの怒った顔には・・・」

なんだ!?これ以上なにか言ってみろ!
オスカルは鼻息荒く、先ほど手にとって眺めていたイタリア製の剣に目をやった。

「アルテミスさえ息を呑む」

オスカルは片眉を少し上げ、アンドレの瞳を覗き込んだ。
「おまえはどうなのだ?」

「息をするのさえ忘れそうだ」
そう言いながら、アンドレは役者のように片手を胸に当て首を軽く左右に振ると最後に感嘆の溜め息をついてみせた。

「では、せぬことだな!」
オスカルは剣に伸ばそうとしていた手を腰にあてがい、仁王立ちのまま言い放った。

アンドレは再度、よりゴージャスなウィンクをオスカルに送りながら扉を閉めた。



           
いつも遅いオスカルが早く帰ってきたことにより、久々に親子三人が揃って晩餐に臨んだ。
アンドレは視力の回復により、よりいっそうスマートな給仕の所作を見せていた。

「オスカル、ほんとうに最近のあなたは輝いて見えます。特に今日は」
「また、そのお話ですか?母上」
「もしや、ジェローデル少佐とのお話がことのほか進んでいるのでは?」
「母上!以前、申しましたようにジェローデルはその場で断りました。彼も軍人ですので、いったん、断った話を蒸し返すような男ではありません」
「では、他にどなたか?」
「あんな、女よりも化粧の濃い貴族どもなどぞっといたします!」
オスカルはこの手の話に辟易としてきた。
「イギリス貴族はどうだ?」
そう思っていたところへ、ジャルジェ将軍まで加わってきた。
「父上こそ、お年のこともお考えになって退役を申し出られイギリスで母上とゆったりと過ごされてはいかがでございますか?」
「こんな世情の折、私が王室から離れてどうする」
「まだ、この時期だからこそ、人は亡命とは呼ばず、ただの転居と呼びますことでしょう」
「今度はイギリス貴族限定で舞踏会を開いてやる」
将軍は娘の軽口など相手にせず、ワイングラスを口に運びながら言った。
オスカルは鼻でせせら笑うと大きく息を吸い込んだ。
「仮に、天地がひっくり返り、私がイギリスへ嫁いだといたしましょう。しかし、祖国で何かが起これば私はドーバーを一人で泳いででもフランスに戻って参ります」
一気に言い切るオスカルにさすがの将軍も微笑まずにはいられなかった。
なんと、勇ましき我が娘よ!
将軍の脳裏には短剣を口にくわえ、冬のドーバーをクロールでフランス本土を目掛けている娘の姿が浮かんだ。
だが、冬のドーバーではいくらなんでも寒すぎる光景だという意識が浮上すると、次は馬に跨り、海に向かって剣を掲げる娘の姿が浮かんだ。
すると、海は真っ二つに割れ、イギリスの義勇軍を従えたオスカルが「いざ、フランスへ!!」と号令をとばし、海の中を軍の先頭に立ち、祖国めがけて馬を駆る姿が目に浮かんだ。
・・・有り得ん!・・・イギリスが義勇軍など出すわけがない・・・と将軍は額に指を当て軽く頭を左右に振ると、自分の妄想に終止符を打った。

そんな父を横目に、まだ言い足らないオスカルは給仕を続けるアンドレに視線を一瞬送ってから、声音をいかにも実しやかに変えてさらに続けた。
「父上、母上、なにかとご心配をおかけして申し訳ないのですが、こういうことは意外と灯台下暗しということもございます」
スマートに給仕をしていたアンドレの手と顔が一瞬、こわばった。

「まあ、ではやはり、どなたか心に思う方が?」
母の声はワントーン跳ね上がった。
「一般論でございます」
そう言うと、再度、アンドレに視線を投げた。
それに気づいた夫人がアンドレに声をかけた。
「アンドレ、もしかしたら、あなたはなにかご存知なのかしら?」
アンドレの胸は夫人の声以上に跳ね上がっていた。
しかし、飛び跳ねている胸のうちをけっして見せるわけにはいかず、長年、培ってきた冷静な召使いの顔で覆いきり、夫人に向き直って答えた。
「奥様、私には存じかねることでございます」
アンドレの視界にオスカルの、してやったりという顔が飛び込んできた。
これ以上の攻撃は御免こうむるとばかりにアンドレは静かに食堂から姿を消した。

「時折、思うことなのだが・・・」
将軍が話し出した。
「アンドレが我が息子だったらなどと、埒もないことを考えることがある」
「そう思われるのでしたら、アンドレに爵位を賜る算段をお考えいただき、ジャルジェ家の養子とされてはいかがでございますか?容姿においても、私にはおよばないものの、近衛だとて充分に勤まる端麗さでございます」
「だが、あの男は軍人向きではないな」
「では、とりあえず爵位だけは頂く運びとし、私の婿養子にされては?軍務は私が引き続き、ジャルジェ家の後継として務めますゆえ」
酒も飲んではいないのに、オスカルは今まで以上に大胆かつ饒舌になっていた。

「まあ!オスカル・・・」

おっ!気づかれましたか?母上!?
オスカルの顔は輝いた。

「それではアンドレがかわいそう・・・あの子の好みもあるでしょうし・・・」

母上・・・そう来ましたか?
オスカルは肩を落とした。

「それでは、母上。一度、アンドレの好みとやらを聞いてみてくださいませ」

その場に居合わせた召使い達は目配せを交わしていたが、やがて次々と退室し、厨房へと駆け込むと一気に噴出していた。

その後も、当の本人をそっちのけで「アンドレ」の名は連呼され続けて、晩餐は終わった。




オスカルは部屋に戻ると、いつものロココ調の長いすに腰掛け、その背もたれの曲線に手を沿わせながら、室内の美術品や調度に目をやった。
暖炉に彫られたレリーフ、その上の振り子時計、そして銀のフレームを持つ大きな鏡。
壁に施された繊細な装飾。飾られた絵画。

アンドレが薪を持って入ってきた。
「寒くないか?」
「ああ」
アンドレはオスカルに背を向け、暖炉に火をおこそうとしだした。

桜材の書き机にリーゼナーのビューロー。
そして、王妃から送られた小テーブル。
その中央にはピンクの小さな薔薇の模様の4枚のセーブル焼きの陶板が円形にはめ込まれていた。
いかにも、王妃らしい趣味だった。

「私とおそろいよ!」

王妃に即位して間もなくの頃に送られたものだったが、『私とおそろい』と言われてはむげに返納もできなかった。
あの時の王妃の無邪気な笑顔と高い声が、なぜか悲しく思い出された。

そして、いくつもの燭台とヴェネツィアグラスを使ったシャンデリア。
どれもこれも今までの生活を美しく飾ってくれたものだった。

「なかなか火がつかない。薪が湿っているのかな?」
アンドレはまだ暖炉の前で格闘していた。

オスカルはアンドレに目を移した。
広く、何かを語りかけてくるような背中。きちんと火熨斗があてられた上着の下の力強い腕。ソフトで心地よく響く声。愛嬌たっぷりの笑顔。そして星をいっきに百万飛ばすようなウィンク。
オスカルは微笑んだ。
そうだ、私の人生を薔薇色に見せてくれるのはアンドレ。

いつか、私は生活を彩ってくれていた物すべてをおいてこの家を出よう。
これらは美しいが生きるのに必ず要るものではない。
いつか、アンドレ、おまえだけを連れてこの家に別れを告げよう。

「やっと、ついた!」
暖炉ではパチパチと薪がはぜだしていた。
アンドレは暑いらしく、額に手の甲を当てて振り返った。
「寒かったら、あたれ!俺は少し外へ出るよ」
そう言うとアンドレはバルコニーへ出て行った。

暖炉の前に立つと温かさとともに、薪の燃える匂いがした。
懐かしい冬の匂いだった。
暖炉の上の鏡にはバルコニーで空を見上げているアンドレの姿が映った。

オスカルは少し温まると、バルコニーへ出て佇んでいるアンドレの横に立った。
アンドレの鼻腔からは、メロディーが零れ出していた。
「なんの歌だ?」
「向こうで覚えた歌なのだが、歌詞を忘れてしまった」
「一度、耳についたら離れないメロディーだな・・・」
「今から160年後にこの国で流行る歌らしい」
「その頃には、とうに私達の理想も具現化しているのだろうな」
「そうだろうな・・・」

「適当に歌ってみろ」
「俺の歌詞でよければ」
アンドレが首を傾げてオスカルを覗き込んだ。
「ふふっ、この際、陳腐な詩には目を瞑ろう」
アンドレは自分の頭を、隣で微笑むオスカルの頭にコツンと当てた。

「Padam...Padam...Padam...(パダン、パダン、パダン)旅立つ前におまえにキスを送ろう・・・」
アンドレはオスカルの身体が冷えてしまわないように、室内へと歌いながら誘った。
「Padam...Padam...Padam,,,おまえが俺を忘れてしまわないように・・・」
二人は暖炉の前で向かい合っていた。
オスカルは可笑しそうにアンドレの歌を聴いていた。
「Padam...Padam...padam...薄情な恋人が他へ目を移さないように」
オスカルは声を立てて笑い始めた。
「元の詩だって詩らしい詩ではなかったぞ!」
アンドレは照れくさそうに言い訳をした。

オスカルは気を取り直して続きを歌い始めた。
「Padam...Padam...Padam...8日間は憶えていてやろう。9日目には新しい恋人を探す」
アンドレは呆気にとられながら続けた。
「Padam...Padam...Padam,,,1週間しか憶えていてくれないとは、なんと非情な恋人だろう」

「Padam..Padam...Padam...愛の言葉もなく、一回のキスだけで憶えていろとはなんと傲慢な恋人だろう」

アンドレはオスカルの両手を取り、両手の指に唇を当てた。
「Padam,,,Padam,,,Padam,,,毎日、おまえを想い、一日千回、愛の言葉を送ろう・・・」
アンドレはオスカルの丈長の水色のジレのボタンを外し、そっと腕から抜き取ると長椅子の背にかけた。
「Padam,,,Padam,,,Padam,,,遠く離れたおまえの言葉をどうやって真実だと確かめよう」
オスカルはアンドレの後ろに回ると、上着の両袖に手をかけ一気に引き抜き、無造作に長椅子の背に放り投げた。

「私を置いていったいどこへ行く気だ?」
背中からかけられた声にアンドレはハッとして向き直る。
そこには、不安ともからかいともつかないオスカルの表情があった。
が、すぐに返答を促すかのように片眉が上がった。

「どこへ・・・俺の行くところが他にあるものか。ずっとおまえのそばにいてやるよ」

アンドレはオスカルの眉が定位置に戻ったのを確認すると、腰に手をまわし引き寄せ、胸に抱きしめた。
衣服を介して伝わるのはお互いの体温と自分とは異質な相手の身体の感触。
そして、香り・・・
二人は4ヶ月間、触れることのなかったお互いの身体の感触を思い出そうとでもしているかのように、掌で、頬で、唇で、そして触れ合っている身体のすべての部分で相手を感じ、その感触を自分の中へ取り込んでいった。
抱きしめ合う二人に聞こえるのは薪のはぜる音と、さっき口ずさんでいたメロディー。


アンドレ・・・アンドレ・・・
今宵こそ、倦怠と躊躇の中でではなく生の喜びのうちにおまえを迎え入れよう・・・


長椅子の背にはきちんとたたまれた水色のジレ・・・
そして、その細身のジレを包み込むように置かれた従僕の上着・・・



Car ma vie, car mes joies

Aujourdhui, ca commence avec toi

 

私の人生も、喜びも

今、おまえとともに始まる

 

 

 

 

 

―Fin―

 

 

 



            オンディーヌさまから8月企画の番外編を頂きました。
               まもなく40万ヒットですね、とのお言葉に、そのときは
               使わせて頂こう!と勝手に決めました(笑)。
               甘く楽しく軽やかなお話をどうぞご堪能下さいませ。
               オンディーヌさま、ありがとうございました。

                                            さわらび


          





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La Vie en Rose

作  オンディーヌさま