変わりなく…

1789年7月14日、バスティーユが落ちた時、ジェローデルはベルサイユ宮殿にいた。
国王警護の近衛隊としてはそれが当然の勤めであった。
王室衣裳寮長官のリアンクール侯爵が宮殿に駆けつけてルイ16世に報告したとき、国王は「単なる暴動ではないか」と言い、侯爵に「いいえ、これは革命でございます」と言わしめるほど、危機感がなかったと後世に伝わっている。
この日のの国王の日記が「なにもなし」と書かれていたのも有名な話である。

しかし、実際には、ジェローデルたち宮殿にいたものはリアンクール侯爵の報告を受けるまでもなく、パリの情勢を時々刻々と集めていた。
前日に発生したテュイルリー宮広場における暴動以降、部下全員を招集して、国王一家の護衛体制を最高レベルに引き上げていた。
パリから民衆が押し寄せてくる可能性も否定できなかったからだ。
衛兵隊が寝返ったことも直ちに伝えられており、民衆の背後に軍隊がいるとなれば、装備から何から本格的に準備する必要があった。

次々に指示を出し、警護体制がかたまり、各人各所で待機となったところで、ジェローデル自身も待機するために司令官室に戻った。
いよいよ民衆は武器を取ったのだ。

マドモアゼル、見ていますか?
彼らは武器を取りました。
わたしは堂々と受けて立ちますよ。

ジェローデルは心の中でオスカルに語りかけた。
そしてそれからフッと笑みをこぼした。
軍隊を辞したオスカルはどこでこの騒動を見ているのだろう。
最後に姿を見たのは、彼女が衛兵隊の部下一同に別れの挨拶をするときだ。
ダグー大佐に依頼されて、その間の衛兵隊の任務を近衛隊が替わって担った。
オスカルは衛兵隊舎の二階の窓から、外に居並ぶ部下に訓辞をしていた。
荒くれ男たちが静まりかえって聞いていた。
最後の最後まで見事な軍人だった。

常識的に考えれば軍隊を辞めねばならないほど体調を崩しているのだから、オスカルはジャルジェ家の屋敷にいて療養しているはずだった。
だが、この騒ぎを聞いてじっとしていられる人だろうか。
むしろ軍を辞しているが故に、心置きなく民衆側で戦っているかもしれない。
攻め寄せてくる民衆の中にオスカルがいるかもしれないのだ。
ジェローデルはこの日初めて背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
市民の反乱に対しては露程も臆する心はなかったが、もしもオスカルが武器を持って向かってきたら、自分はどうするのだろう…。
剣の手合わせではないのだ。
真剣な命を懸けた戦いとなるのだ。

ジェローデルは、誰かがオスカルを屋敷に監禁してくれはしないかと本気で願った。
だが、おそらくそれは無理だと思い直す。
父である将軍でも止められなかったのだ。
アンドレ・グランディエにもできはしまい。
あの男は、オスカルの後ろをついていくことはできても引き留めるなどできはしない。
もし自分の求婚を受けてくれていたら、絶対外には出さず、安全な巣の中に囲っておいたものを…
言っても詮無いことを再び思っている自分にため息が出た。

扉を叩く音がして、部下が駆け込んできた。
座ったまま静かに顔を上げる。
緊急の時こそ、上に立つものは落ち着いていなければならない。
「報告します! 拡大軍事会議が開かれるとのことで、近衛隊にも出席要請がまいりました」
「わかった。すぐ行く」
身支度をし部屋を出た。
部下はジェローデルの後ろに付き従いながら、必要な情報を提供してくる。
会議の出席者は…
裏切り者を出してしまった衛兵隊からはブイエ将軍とダグー大佐。
そして外国人部隊であるスイス人騎兵とテュイルリー広場から一時的にひきあげてきたドイツ人騎兵隊のランベスク大公、パリ守備隊司令官ブザンヴァル。
近衛隊からはジェローデル。
ジャルジェ将軍は6月末で辞職してしまっているのでもちろん不参加だ。

「国王陛下は?」
「側近の方々と会議中です」
「埒もない…」
オスカルがいたら、怒鳴りちらしているだろう。
今の国王側近は王妃をはじめとして時勢を読めない面々ばかりだ。
それがどれほど頭数を寄せても名案など浮かぶわけがない。
そう思ってからハッとする。
そういう貴族にオスカルは見切りをつけたのだ。
自分は見切られた側なのだ。

ジェローデルはすぐに頭を切り換え会議室に入った。
「遅くなりました」と言おうとして絶句した。
そこにはタグー大佐しかいなかった。
「これは近衛連隊長殿、ご苦労様です」
大佐という上位風をまったく吹かせず、衛兵隊ベルサイユ駐屯部隊長は挨拶をしてきた。
「ご苦労様です」
同様に丁重に返礼する。
「皆様、よほどお忙しいと見えますな」
「まったく…」
二人して顔を合わせて苦笑いした。
「だが、実は幸いでもありました」
大佐の言葉に思わず聞き返した。
「どういうことでしょう?」
「ジャルジェ准将退官の折り、格別のご配慮をいただいたことにお礼申し上げたかったのです」
「…」
言葉に詰まった。
元許婚者だと知っているはずだ。
そして破談になったこことも。
それでも最後と思って 協力した。
今さら礼など…。

だがまったくの善人である大佐はジェローデルの胸中などまるで察しようとはせず、ニコニコと言葉を続ける。
「その節はお世話になりありがとうございました。おかげで准将も心の整理がつき、潔く退官することができました」
「いえ…」
言葉を濁す。
「さきほど部下から知らせが来ました」
「部下と言いますと…?」
ジェローデルは驚いて大佐を見つめた。
「裏切り者の部下ですよ。まったく律儀に反乱の報告など届けてこなくでもよいものを…」
「なんと!」
衛兵隊の連中は、ダグー大佐に報告を上げてきたというのか…
「人づてに、走り書きではありましたが、ことここにいたった次第を書いて寄越しました。まあ、予感はあったのですが…。とにかく、その末尾に准将はセーヌ河を下って行かれたとあったのです」
「?」
「どうもご親族がノルマンディーのほうにおられるようで、そこで療養に専念されるのでしょう」
ダグー大佐は心から安堵した表情をしていた。
「おせっかいかと思いましたが、貴殿にはお伝えしておかねばと思った次第です」

がやがやと声がして将校の一団が入室してきた。
ダグー大佐は素知らぬ顔でジェローデルから離れていった。
ノルマンディー…
あの人はノルマンディーに向かったのか。
そうか、パリにもベルサイユにもいないのか。
押し寄せてくる民衆の中にあの人はいない。
あの人が血に紅く染まることはない。
よかった…
本当によかった…
大佐の安堵が乗り移ったように、ホッとしている自分がいた。

会議が始まった。
空気が張りつめる。
ジェローデルは反乱者たちから国王一家を守るため全力を尽くす覚悟を決めた。






       

※ このお話は第1部の最後に入るものです