「やっぱり誘っては悪かったみたいだな、アラン」
カウンターにひじをついて、手にしたゴブレットを揺らしながら、私はそう言った。
「いや。 あのっ… そんなことないっすよ」
なんだか取ってつけたようにアランは答える。
「そうか?」
「はい」
アランが頷いたので、私は少しほっとする。
帰りがけの彼を引きとめ、急に飲みに誘ってしまったのは、迷惑だったのではないかと気がかりだったのだ。
私が衛兵隊に移動してきて、もうしばらく経つ。
着任当初の彼らの反発は激しく、1度は私も彼らの前で、衛兵隊を辞めると口走ったこともあった。
今までの自分の常識が通用せず、また、今まで私が理解していると思っていたことがいかに上滑りだったかを思い知らされた。
1週間だけの温かいスープや、初めての靴。
自分の無力さにやりきれず、逃げ出したい気持ちだけが積もっていった。
彼らが私を受け入れてくれるのがもう少し遅かったら、私は恥も外聞もなく温室の中に舞い戻っていたことだろう。
もちろん、私がぎりぎりのところまで持ちこたえられたのは、私の力などではない。
いつも影のように付き従い、支えてくれていた人がいたからだ。
幼なじみで兄代わり。
隊員たちとの関係も落ちついて、改めてふり返ってみると、その頃には夢中で判らなかったけれど、自分がどれほどアンドレを頼りにしていたのかが判る。
深く感謝していて、けれど最近ではそれだけではない、何かあいまいな気持ちも感じているのだが…
今ではもっとも反発の激しかった1班もよく従ってくれるようになり、隊員たちと雑談を楽しむ余裕を持てるほどになった。
しかし。
アランだけは違う。
夜勤の詰め所でみんなと楽しそうに談笑していても、そこに私が加わっただけでおまえは黙ってしまう。
命令には逆らわないが、どこかしっくりしない壁があり、打ち解けてはくれない。
かと言って以前のように敵意を感じることもなく、むしろ、ときどき妙に気が利き、絶妙に手助けしてくれたりするのでよく判らない。
なんとも扱いにくい。
真意を探りたいのと、私たちの間にある溝を埋めたい気持ち半々で、今日は飲みに誘ったのだった。
たまたまきっかけもあったことだし。
「隊長、この店、よく来るんですか?」
アランは店の中を眺めている。
適度にごちゃごちゃしていて、でも安っぽくはなくて、客も一般市民ばかりなようだけれど、羽目を外し過ぎるような者は今まで見たことがない。
広い店の奥にはクラブサンが置いてあり、それを奏でる男と、合わせて歌う女がいる。
客のリクエストに応えて演奏していて、その辺りにはテーブルはなく、ちょっとしたダンスフロアになっている。
明るくて堅苦しさのない良い店だ。
「私はそんなには来ないな。どうにも忙しくて。
でも、たまの息抜きにアンドレが連れてきてくれる」
「アンドレ、ですか」
「ああ。うちの使用人たちがよくここに来ているらしいから」
私がそう言うと、アランは改めて店の中を眺めまわした。
「いい店ですね」
は?
アランがお世辞めいたことを言ったので、私は思いきり意外そうな顔をしてしまった。
おまえが私に迎合するなんて思わなかったから。
「そのわりには、あまり酒がすすまないようだが。
やはり私とでは楽しめないか?
まぁ、上官が一緒では楽しめという方が無理かもしれないが」
「いえ。俺、プライベートではこんなもんですから」
「それならいいけれど。
急に誘ってしまったから、迷惑だったかと思って」
私の言ったことが図星だったのか、アランはしばし黙り込んだ。
反発していた隊員の中でも、特にアランは私に激しい敵意を見せていた。
その理由には私にも理解できる部分もあり、だからおまえが私にわだかまりがあるのは仕方ないとも思う。
私が溝を埋めようと思うことは、おまえに精神的な負担をかけるだけなのかもしれないな。
私がそんなことを思いながら横顔を見ていたら、アランはぐいっとゴブレットをあけた。
「お!」
一気に酒を飲み干したアランに、私は感嘆の声をあげた。
アンドレはめったにバカな飲み方はしないから、久しぶりに見た気分のいい飲みっぷりに軽くテンションが上がったのだ。
やはり酒の席は、距離を縮めるのにはいいのかもしれない。
「次は何にする?
今日のことでは本当に感謝している。
お礼といってはなんだが、なんでも好きなものをオーダーするといい」
私はカウンターの奥にいるギャルソンに軽く手をあげた。
なじみのギャルソンは、連れがアランなのを見て「おや?」という表情をしたが、特に何も言わなかった。
詮索されないところがまた、私には居心地がいい。
ここでは、私がジャルジェ家の嫡子だということも、准将という立場にあることも…女であることも関係なくいられる。
いくらもしないうちに、ギャルソンがアランのオーダーした酒を用意した。
ことん、とゴブレットが置かれる。
この男が好む酒とはどんなものだろう?
私はアランが手を伸ばすより先にゴブレットを取り上げて、ひとくち飲んだ。
「あ。これ、おいしい」
アランがオーダーした酒は相当強いうえに癖がある。
でも私にはとても魅力的な味だった。
こんな酒を好むセンス。
おまえはよほど酒が好きなようだ。
これを飲んで美味いと感じるなんて、かなりの酒豪か味覚音痴しかいない。
「隊長、何やってんですか?」
「何って、味見だろう?」
味見以外に何があるというのだ。
私はアランにゴブレットを返した。
「ひとくちぐらい飲ませてくれたっていいじゃないか」
「え…。そりゃ俺はいいですけど」
アランはゴブレットを見つめて、なんだかどぎまぎしているようだ。
何か問題でもあるのだろうか。
私はまたギャルソンを呼ぶと、アランと同じ酒をオーダーした。
「隊長って、いつもこんなふうなんですか?」
「こんな…とは?」
「だって普通、大貴族の御令嬢はひとの酒を断りなく味見なんてしないでしょう」
「ああ。すまない。気に障ったか。
アンドレと来るといつもこんな調子なものだから」
「いえ。気に障ったりはしてませんけど、なんだか意外で」
こんなふうに酒場にいると、ついアンドレと飲んでいるときと同じ調子になってしまう。
アランと2人で飲みに行ったなんてばれたら、あいつに何を言われるか判らない。
心配してくれるのはありがたいのだが、あいつは私を子ども扱いしすぎる。
ことにアランに関してはうるさいことこの上ない。
私に隙がありすぎるというのだが、なんのことやらさっぱり判らぬ。
勤務中に、たるんだところなど見せたことはないはずなのだが。
アランがまた黙りこんでしまったので、私は手持ち無沙汰で彼の料理をつまんだり、自分がオーダーした料理を取り分け始めた。
アランは男っぽい性格だし、言いたいことがあればはっきり言うタイプだと思っていたから、たびたび黙るアランに私はやりにくさを感じる。
やはり私に対する拒否感はまだ根強いのだろうか。
私は取り分けた皿をアランの前に置いた。
「いいっすよそんな。俺、自分でできるんで。
准将どのにこんなことしてもらっちゃ」
「いいんだ。いつもはアンドレがやってしまうし、屋敷では給仕する者がしてくれるから。
どうだ?美しく盛りつけられているだろう?」
少し重めの空気を明るくしたくて、私はあえて、さも自慢そうに言った。
アランはそれを受けて軽く笑うと、違う話をふってきた。
「アンドレとは… 休みの日でも、いつも一緒なんですか?
あ、別に深い意味はなくて、でも同じ屋敷に住んでいるし、アンドレは隊長とタメ口だし、呼び捨てにしてるから、その」
ああ。
アランが聞きにくそうにそう言うのも、判る気がした。
近衛にいた頃から、私とアンドレの関係についてはいろいろ好き勝手な憶測をされてきたから。
「休日に一緒にいることは少なくなったな。あいつは屋敷に戻っても仕事があるし。
うちに来たばかりの子供の頃は、四六時中一緒にいたけれど」
「子供の頃に来た?」
「母親を亡くしてしまって引き取られてきた。私の遊び相手として。
古くからうちに勤めていて、私の世話をしてくれているひとが唯一の肉親だったからな」
「今日、勤務中に『倒れた』と使いがきたひとですね?」
「そうだ」
(改行)
(改行)
それはちょうど休憩時間に入る頃だった。
「ジャルジェ准将!」
血相変えて走りこんできた伝令の将校に、全員の注意が引きつけられる。
「なにごとか」
「至急、司令官室にお戻りを。伯爵家から早馬です。
お屋敷でどなたかが倒れられたと」
将校の言葉が言い終わらないうちに、アンドレが背中についてくれた。
声高な伝令に、一瞬強く反応しそうになった私は、彼のおかげでそれを抑えることができた。
母上になにか…?
ことの次第によっては屋敷に帰らなければならないかもしれない。
私は一緒に訓練の指揮を取っていた他の将校を呼び、打ち合わせを始めた。
休憩のあとには隊列行進をやらせる予定だったので、殊更私がいなければならないわけではない。
屋敷からの使いを待たせていることもあり、私はアンドレを伴って司令官室に向かった。
暗い廊下を足早に進む。
人目がないところまで来ると、私たちは自然と足を止めた。
かつて私とアンドレにはちょっとした間違いがあり、それ以来、彼は自分からは私に触れない。
立ち止まった階段の影で、私は彼の肩に額をつけた。
この頃私はこんなふうに、ときおりほんの少しだけ自分から彼に触れてしまう。
なぜなのか自分でもよく判らないのだけれど。
このときも彼は、避けるでもなく私の背中をぽんぽんと叩き、耳元で「大丈夫だ」と囁いた。
彼の声には不思議な説得力があり、私は気を取り直すと再び部屋へと急いだ。
司令官室で待っていたのは屋敷で働く馬丁の1人だった。
普段は外向きの仕事をまかされることはないのだが、馬が1番上手いということで、その男が使いに選ばれたようだ。
それだけ火急の用件かと、私も覚悟した。
私はてっきり母に何かあったのかと思ったが、馬丁が告げたのは、我が母上ではなくばあやが倒れて意識不明だというものだった。
この知らせは私にとって、ある意味実母が倒れる以上の衝撃があった。
母への愛情が薄いわけではないが、嫡子として育った私は幼い頃から屋敷の1棟を与えられ、使用人と教育係、そしてばあやの顔を見て育ってきた。
父は当主の棟の書斎にいることが多かったし、母は奥方の棟に姉たちと暮らし、彼女らを立派な貴婦人に育てあげるべく、日々忙しくしていた。
私には姉たちよりもたくさんの使用人が与えられていたし、さまざまな分野のすばらしい教育係りがつけられたが、普通の母子ほど母親と接する機会はなかった。
そんな生活の中では、私にとってばあやは母親と同等か、もしかしたらそれ以上の慕わしい存在だったのだ。
ダグー大佐、そしてアンドレとも話し合い、とりあえず訓練には大佐に行ってもらい、アンドレを屋敷に帰すことにした。
私は1人残って、司令官室でアンドレからの続報を待った。
しかし、彼が部屋を出てから半時も経たぬうちに、大きな音を立てて部屋の扉が開けられた。
派手に開け放たれて、扉が壁にぶつかり跳ね返る。
続報がこれだけ早いとは、まさか!
最悪の事態を思い、私は椅子を跳ねのける勢いで立ち上がった。
が。
現れたのはアランだった。
「すみません。驚かせて。 …隊長?」
私は余程取り乱していたのだろうか。
アランは慌てたように付け足した。
「あ〜、違います、隊長。俺、あんたがしんぱ… 俺、ちょっと顔を出しただけです。
ジャルジェ家から訃報が来たとかそんなんじゃないんで。
って訃報?いや、えーっと、悲報?じゃねぇっ。 ああっ、もぉっ」
アランがわちゃわちゃと騒ぎ出したので、私はそれを見て、かえって落ちついた。
ゆっくりと、椅子に座り直す。
「いや、気にしなくていい。私が少し取り乱しただけだ。すまない」
「倒れたのは御母堂…ジャルジェ伯爵夫人なんですか?」
遠慮がちに聞くアランに私は首を横に振った。
「ばあやだ」
「ばあや?」
なんと説明すれば良いのだろう。
「侍女…とは違うな。
まぁ、私が赤ん坊の頃から世話をしてくれているひとだ」
簡単過ぎる説明だが、今は零落したとはいえアランも貴族なので、ばあやが私にとってどういう存在なのかすぐに理解ができたようだった。
「帰らなくていいんですか?」
「先ほどアンドレを帰らせた」
「アンドレを?」
アランは彼の姿を探すように視線を走らせた。
「ばあやはアンドレの祖母に当たる。私などよりよほど心配しているだろう」
「隊長もそのひとが心配でしょう。やっぱり帰った方がいいと思います」
「そうしたいのはやまやまだが、管理官が勤務を放り出すわけにもいくまい。
おまえたちは私がいなければ何をやりだすか判ったものではない。
現にアラン。
おまえ、隊列行進の訓練中のはずじゃないのか?」
私がそう指摘すると、アランはグッと押し黙った。
部屋に沈黙が流れると、廊下のざわめきが中途半端に耳に入り、使いが来たのかと気が急いてしまう。
「帰りゃいいのに」
アランの小さなつぶやきはちゃんと聞こえていたが、私は無視して机の上に山ほど溜まった書類に目を通し始めた。
何かをしていた方が落ちつく。
「これ、どうしたんです?
なんだってこれほどの書類が溜まってるんですか?」
「私が司令官室に戻るとともに、上層部からまとめて降りてきた。
まぁ、私への嫌がらせだろうな」
父・ジャルジェ将軍との折り合いの悪さからか、ブイエ将軍はときおりこの手の嫌がらせをするのだ。
隊員が何かやらかしてくそ忙しいときや、休みの前日などに書類の束を降らせたりしてくれる。
「俺がやっときます」
「は?」
「緊急性のあるもの、そうでないもの、サインが必要なものに分類して、サインの必要がないものはダグー大佐に回しておきます。
そのぐらいの作業なら、誰がやっても同じでしょう。
この量なら3時間ぐらいですかね。それまでに、ここに戻ってきてくださいよ。
その程度なら職務を放り出すことにはならないだろうし」
「アラン?」
「仕事についてはご心配なく。これでも士官学校卒の元少尉ですから。
中退のあなたと同じぐらいのデスクワークはできるんで」
なかなかうまい皮肉を言われて私は呆気に取られ、マヌケづらをさらしてしまった。
アランは小バカにしたように鼻で笑うと、ずかずかと近寄ってきて私の二の腕をつかんだ。
そのままぐいぐいと扉まで追い立てられ、廊下に押し出される。
「さぁ、とっとと行ってください」
私は振り向いてアランの手をがっちり握った。
「メルシ!アラン!!」
彼の手をほどく前に、私は気持ちを屋敷へと馳せていた。
ギャルソンが新しいゴブレットを2つ置いた。
今度の酒は私が気に入っているもので、それをアランにすすめてみた。
酒の好みが似ていれば、それがきっかけで打ち解けてくれるようになるかもしれない。
「アンドレはこれが苦手でね。
悪酔いするとか言って絶対つきあわない」
私がそう言うと、アランは興味深そうにゴブレットを取り上げ、ごくりと飲んだ。
無色透明なその酒は、少々強めで辛口だが甘い香りを持つ。
好きずきがけっこう分かれる酒なのだが。
「どうだ、アラン」
「うまいですね。ただ」
「なんだ?」
「なんというか…ゴブレットで飲むのは合わないかと。
香りが独特だからですかね」
ほ…ぉ。
私は嬉しくなってしまった。
「おまえ、酒が判ってるっ」
アランの背中をばんばん叩く。
「この酒はな、本当はひとくちかふたくちぐらいの小さな器で飲むんだ。
冷えていてもいいし、常温でもいい。冬は温めてもうまい」
アランの味覚のセンスの良さに私は感心した。
粗野に見せてはいるが、実際は繊細な男なのかもしれない。
アランが調子よく飲んでくれるので、私もつい酒がすすみ、またギャルソンを呼ぶと同じものを2つ追加した。
「でも『ばあや』さん、大事にならなくて良かったですね」
「まったく人騒がせな」
「でも意識を失ったんでしょう?」
「ただの脳しんとうだ」
「一歩間違えば危険なことになったかと思いますけど」
「だいたい倒れたのはばあやではなく、私の絵だというのに」
私が屋敷に駆けつけ、ばあやの部屋の扉をそっと開けると、意識不明なはずのばあやはアンドレを怒鳴り飛ばしていた。
さすがに寝台に寝かされてはいるけれど、「なんでお嬢さまをほったらかして1人で帰ってきたんだ」と彼を怒鳴りつけるさまには、病人とは思えない迫力がある。
私はそのまま静かに扉を閉めるといったん自室に戻り、私付きの侍女にことの顛末を聞いてみた。
そのときばあやは、何人かの使用人と一緒に廊下にかかる歴代当主の肖像画の煤払いをしていて、時期当主の額が少々斜めなのに気がついたらしい。
脚立を立てさせて、少し離れたところから右だの左だのと指示を出していたら、絵が倒れてしまったという。
けっこうな大きさの額入りの絵が、ある程度の高さから倒れて落ちてくればけっこう危ない。
「私の絵など放っておけばよいのに、ばあやは絵に向かってヘッドスライディングしたそうだ」
「へ…ヘッドスライディングですか?
アンドレのおばあさんなんでしょう、そのひと。
いったい何歳なんですか?」
「さぁな。なにしろ私の父のばあやだったひとだから。
もしかしたら私の祖父のばあやもやっていたかもしれん」
あのパワフルぶりを考えると、それもありえる気がする。
「しかし、絵を守るためにそこまでするなんてすごい執念ですね」
「私はモデルになるのが好きではないので、屋敷にある肖像画はそれだけだからな。
もう描かせる気はない上に、あと1枚あったものは妹の結婚祝いに餞別としてあげてしまったので、傷めるわけにはいかないと思ったのだろう」
いじらしいぐらいに私を慕ってくれた少女。
しばらく会っていないが、幸せでいてくれるだろうか。
実の妹のように大切に思っていた、私の春風は。
私は肖像画を渡したときのロザリーを思い出し、淡い愛しさでいっぱいになった。
ついでに、いちいち私に嫉妬の目を向けるベルナールも思い出し、アランの前だがついクスクスと笑ってしまった。
「隊長、妹さんがいるんですか?」
「いや」
矛盾する返答にアランは困惑しているようだが、私は放っておいた。
万が一、ベルナールに興味を持たれて、素性などを詮索されても困る。
「でもまぁ、倒れて意識がないと聞いたときには私も血の気が引いた。
なにしろご老体なのでな」
「ヘッドスライディングするご老体ですか」
想像するとおかしくて、どうやらアランもそうらしく、目元が緩んでいる。
「しかもそのご老体はなかなかしたたかでね」
絵が倒れた顛末を侍女に聞き、私は再びばあやの部屋へ行ってみた。
するとさっきまで元気いっぱいアンドレを罵倒していた彼女は、私の姿を見るなり、急に弱々しく寝台に沈みこんだ。
そして。
「駆けつけた私の手を握り、危険な軍隊勤めはもう辞めてくれと訴えてきた。
状況を逆手に取り、揺さぶりをかけてくるあたり、なかなか手強い」
「ばあやさんは隊長の勤めを快く思っていないんですか?」
「ああ。もともと頑なに私をお嬢さまと呼び続けてきたが、私が衛兵隊に移ったのと、最近世情が不安定なことが合わさって心配が増しているらしい」
「隊長をお嬢さまと呼ぶなんて、そりゃ強者ですね」
「たいした強者だぞ。その上がんこだ。
なにしろ子供の頃から未だに、私のためにローブを作らせているぐらいだからな」
「隊長にローブを?」
アランが意外そうに聞き返した。
私とローブ。
つながりようがなくて、聞き返したくもなるだろう。
「…ローブ…か」
私はそっとつぶやいた。
ローブをまとったのは、これまでに1度きり。
そして、それが恐らく私の人生で最後のローブ姿なのだろう。
女に生まれていながら、なんと奇妙な生き方をしていることか。
後悔はもうないが、自分の中にわずかな空ろがあるのは否めない。
けれど最近はその空ろも、アンドレといると埋まるような気がして、そんな自分の感覚に私はとまどいを覚えているのだが。
「隊長?どうかしました?」
「え!? ああ、すまない。ちょっとぼんやりした」
ちょっと呆けた私をアランはどう受け止めたのか。
「隊長。あなた、もう帰った方がいい。本当はばあやさんが心配なんでしょう?
ばあやさんだって隊長にいて欲しいだろうし、それに隊長も」
「アラン。おまえ、それやめろ」
「はい?」
「でかい声でそう隊長、隊長と連呼するな。
こんなところで無粋なやつだな。まわりは一般市民ばかりなのだぞ」
しまった、とでもいうように、アランは声を潜めた。
「だって隊長」
「だからそれやめろって。
少し前から、おまえが隊長と言うたびにチラチラ見てくる客がいるんだ」
アランは素早く視線をめぐらせた。
「キョロキョロしない!
おまえ、士官学校で斥候の訓練受けてないのか?
ここは私の数少ないくつろぎの場なのだ。身分や立場は隠しておきたい。
協力してくれ」
「だって隊、…っと、他になんて呼べばいいか判らないじゃないですか」
「好きに呼べばいい。名前でもなんでも適当に」
好きにしろと言われてアランは困っている。
臨機応変な対応ができないなど、軍人としてはいただけないことだ。
使える男だが、好きに呼べと言われて臆するようでは、まだまだひよっこだな。
もし私がブイエ将軍に同じことを言われたら、遠慮なくクソじじぃと呼ばせていただくが。
「さっきのローブの話ですけど…
子供の頃から作らせているなら、かなりの数になるでしょうね」
「どうした、急に」
アランは余程困ったのか、話題を変えてきた。
ガキめ。
「もうすぐディアンヌが結婚するでしょう?そろそろ支度を考えなければと思って」
「ああ。もうそんな時期か。早いものだな。
きっと清楚でかわいらしい花嫁になるだろう。楽しみだな、アラン」
「楽しみ?楽しみ…うーん、どうですかねぇ。
今までろくにお洒落もさせてやれなかったから、ローブ姿できれいに飾ったディアンヌを見るのは確かに楽しみだけど」
言いよどんだおまえをからかうように、私は言ってやった。
「他の男のものになるのは…か?」
「仕方ないじゃないですか!たった1人の大事な妹なんですから」
「悪い悪い、そう怒るなよ。班長さんも妹にはやはり弱いのだな」
「唯一の泣きどころですよ。
披露宴でのダンスを見たら、間違いなく相手の男を殴りたくなるしょうね」
想像しているのか、声がすでにいらだっている。
本当にガキだ。
「おまえも招待客の中から好みの娘を見つけて踊ればいいじゃないか」
「ダンスなんか!俺のがらじゃないっすよ」
「いやいや、披露宴でどんな出会いがあるか判らないじゃないか。
試しにおまえ、ちょっと私をダンスに誘ってみろ」
「はい!?どうしてそういう話になるんですか!」
ガキなおまえは判りやすく慌てた。
その様子はやんちゃな弟のようで、妙にかわいく見えだした。
「兵舎暮らしじゃろくに出会いもないだろう?披露宴なんていい機会じゃないか。
アンドレも心配していたぞ。おまえにも恋人の1人ぐらいいていいはずだと」
私も心配になってきた。
「私としても、かわいい部下には早く幸せになってもらいたいからな。
さぁ、どこからでもいいぞ。誘ってみろ」
私も一応女だから、練習台ぐらいにはなれるだろう。
ややあってから、アランは照れと不機嫌なのが混ざったような口ぶりで、ぼそっと言った。
「隊長、俺と踊ってください」
「アラン。なんだその棒読みは?ちっとも心がこもってないぞ。
だいたい『隊長』っておまえ。
一応、気に入った娘を誘う設定だというのに、その呼び方はないだろう。
私が『娘』では不満か?」
「違いますよっ!」
分が悪いと思ったのか、おまえは話を混ぜ返す。
「そう言う隊… あなたこそダンスはしないんですか?舞踏会とか、ジャルジェ家なら多いでしょうに」
「舞踏会か… 懐かしいな。
昔、皇太子妃殿下のお供で、毎夜のように行っていた」
そこでフェルゼンに出逢った。
今はもう思い出になった初めての恋。
「もっとも私は護衛として随行していたので踊ったりはしなかったが。
妃殿下はすすめてくださったけれどね」
「ダンス、苦手なんですか?」
「苦手…と言おうか…」
きっと魔が差したのだ。
誰にも話したことのない子供の頃のある出来事を、私は話し始めた。
「貴族のたしなみとして、父は姉たちにダンスのレッスンを受けさせていた。
屋敷のダンスホールでね。
私はいつも壁のすみに控えてそれを見ていた。
近衛の仕事は実際がほとんど待機だろう?
王族の皆様の公務やプライベートを、目立たぬように、集中を切らさずお見守りする。
退屈といえば退屈で、そんな中で集中を保つのは根気と忍耐力がいる。
姉たちがレッスンを受けているあいだ、父は私にそれを命じていた。
私が5歳の頃だったか」
問わず語りを始めた私だったが、アランは静かに聞いている。
「あるときダンスのトレーナーがそばに来て、私にもやらないかと声をかけてきた。
私はいつも見ていて…本当は…やってみたかった。
トレーナーに手を引かれてホールの中央に連れ出されると、1番上の姉がクラブサンを弾いてくれたのだけど」
「だけど?」
「曲が流れるとともに、そのトレーナーがハッとしたような顔をしたんだ。
私はその理由にすぐ気がついた。
私に男性側を踊らせたらいいのか、女性側を踊らせたものなのか、困惑したその表情に」
アランの表情も困惑したものになった。
なんと相槌を打てばいいのか判らないのだろう。
「私はその顔に少なからずショックを受けたけれど、でももっと衝撃だったのは、自分でも同じことを思ったからだった。
ホールの中央でポジションを取ろうとした瞬間、男性側と女性側、どちらを選べばいいのか判らなかった。
どちらのステップも完璧に覚えていたけれど。
周囲の大人たちの様子から、自分が特異な育ち方をしているとうすうす感じ始めた頃だったから…
トラウマというと大げさだけれど、それ以来ダンスはあまり好まない。
舞踏会で踊ったこともあるが、どうしても踊らなければならなかったときだけだ」
「アンドレとも、ですか?」
「アンドレ?いや、あいつとは数え切れないほど踊ってる」
私の答えに、アランはどことなくつまらなそうな顔した。
失礼な。
最後まで聞くがいい。絶対ウケるから。
「近衛に入隊する直前、父の命令でダンスはがっつり練習させられたからな。
皇太子妃殿下をエスコートする可能性もあるからと」
「それじゃ」
「ああ。アンドレには気の毒だったが、あいつには女装させて、女性のステップばかりを踊らせた」
思い出し笑いで、ついつい声が細かく揺れてしまう。
「女装させて?」
「そう。あの頃はあいつも髪が長かったし、なかなか似合っていて傑作だったぞ。
まぁ、女装させたのは悪ふざけではなく、豪華なローブ姿の女性をきれいに踊らせるための練習だったのだがな」
パニエをつけてローブを着込み、ふわふわと女性のステップを踏むアンドレ。
さすがにアランも笑い出し、私たちはしばらくクスクスと笑い合っていたが、その私たちの背中に2人の女性が声をかけてきた。
赤みがかった金髪の女と、つやつやな栗色の髪の女。
2人とも、アランよりいくつか年下に見える。
少し気の強そうな金髪の方が話しかけてきた。
栗色の方はニコニコと笑っている。
「お話中ごめんなさい。あの…もしかしたらダンスの相手をお探しかと思って。
さっきここを通り過ぎたとき、ダンスに誘うとかって言ってたのが聞こえたから」
私たちは思わず顔を見合わせた。
いろいろ誤解されているようだ。
「悪いけど俺とこの人は」
言いかけたアランの足を目立たぬように蹴る。
そしてすかさず耳元に顔を寄せ、小声で言った。
「金髪?栗色?どっちだ?」
「はい?」
「どっちが好みか聞いてるんだ。さっさと答えろ」
「強いて言えば金髪の方ですかね」
ほほう。おまえの好みはこういう女か。
気の強そうな金髪…か。
私は栗色の髪の女の方が優し気でよいと思うが。
「判った。では金髪はおまえに任せた。
ダンスに誘え」
「はぁ!?何言ってんですか隊…」
アランが余計なことを言いかけたので、私はまた、カウンターの下で足を蹴ってやった。
「隊長と呼ぶなと言っているだろう!
さっさと誘え、グズ。これは逆ナンだ。女に恥をかかせるな。
逆ギレした女はけっこうコワイぞ」
「え!?逆ナンって」
「ああ、もういい。黙って見てろ」
私はスツールを離れると女たちの前に立った。
久しぶりにベルサイユ仕込みの派手な笑顔を浮かべてみる。
昔はコレで宮廷舞踏会のご婦人方から嬌声を浴びたものだ。
さて、せっかく良い機会が向こうからやってきたのだ。
かわいい弟のために、この酒席に女の子でも引き込んでみるか。
「はじめまして。君たち、ここにはよく来るの?」
「ええ。お気に入りの店よ。
安いのにおしゃれで、集まっているお客さんもみんな楽しいから、女の子だけで来ても安心だしね」
「今日来ている客の中では、私とこいつが一番安全そうに見えたってこと?」
私はアランに顔を向けると肩を小突いた。
女たちに見せる顔とは違って、鋭い目線を送ってやる。
ボケっとしてないで参加しろ!
アランは弾かれたように立ち上がった。
「うわぁ、背が高いんですね〜」
女たちがアランに甲高い声をあげる。
私と2人で飲んでいたときは、ほとんど不機嫌な表情をしていたくせに、アランはやはり嬉しそうな様子を見せた。
少々気に入らぬが、まぁ、よい。
私は女たち相手に軽妙なトークを始めた。
アランは私と女たちを交互に見ているだけだ。
参加しろというのに!
こんな調子では、ディアンヌの結婚披露宴で好みの娘を見つけても、声もかけられないかもしれない。
仕方のないやつだ。
金髪と栗色の2人は、気取りがなくてノリがよかった。
「あなたっておもしろーい」
「まぁね。よくそう言われる」
「彼女いないんですかぁ?」
「残念ながら、今まで私に彼女がいたことは1度もないんだ」
「ホントですか!?イケメンなのに〜」
「王妃さまの愛人だと噂になったことはあるけどね」
「やだもぉ、冗談ばっかり」
私たちがケラケラ笑っていても、アランはちっとも乗ってこない。
しかし、タイムリーなことに赤みがかった金髪の方が、黙っているアランに気づいて話しかけた。
「あなたは無口なのね」
もちろん私はこのタイミングに乗っからせてもらった。
「こいつ、職場の仲間でアランっていうんだけど、ちょっと今、緊張してるんだ。
さっき、君のことをタイプだって言ってたから」
「ホントですかぁ?」
「ちょっと!なに言ってんですか。やめてくださいよ隊…」
アランは慌てて否定しようとした。
まったく堅苦しいやつめ。別に見合いをしているわけではないというのに。
「な に か な ?同僚のアランくん」
目を細めてアランを見る。
隊長と呼ぶんじゃない、ボケが。
「やっ…やめてくれよ。お‥おすっ‥おすかるっっ」
よし、それでいい。
私は目を細めたまま、目線だけで言い聞かせた。
そのままついてこいよ。
「オスカルさんっていうんだ。
お仕事は何してるんですかぁ?」
「公務員」
「安定してますねっ!」
「私の家は代々公務員なんだ」
「へ〜。アランさんは?」
女たちには判らぬように、ギロリとアランをにらむ。
「う…うちも代々公務員だ。おすかるんちと違って下っ端だけどな」
どうやらアランもやる気が出てきたようだ。
ならばもう少し煽ってもよいな。
私はさらに笑顔を全開にして、栗色の女の手を取った。
「アランがあなたのお友だちに執心しているので」
私は大仰に膝ををつくと、女の手の甲にくちづけた。
ああ、久しぶりだ、こういうの。
昔は毎日のようにやっていて鬱陶しかったが、久しぶりにやってみると、思いのほか気分が乗ってきた。
「あなたのダンスのお相手は私でもいいでしょうか?
さくらんぼのようなくちびるのお嬢さん」
私のそのカユくなるようなセリフに、あっちこっちから甘ったるい悲鳴があがった。
カウンターの前でそんなことをしているものだから、どうも目立っていたようで、気がつけば私たちは女性客に囲まれていて…
彼女らは、今度はアランが金髪の女をどうダンスに誘うのかを期待しているようだった。
さて、どうする?同僚のアランくん。
私も興味深く見ていたが、おまえは栗色の女の手首をつかんだ。
「行くぞ」
「え?行くって、アランさん?」
「ダンスフロア!踊るんだろ?」
「でも」
女はなにか言って欲しそうにもたもたしている。
アラン、それは強引だぞ。
しかし。
「期待ハズレで悪かったな。俺はおすかるとは違うんだよ」
そう言ったかと思ったら、いきなり女を抱き上げた。
そのままテーブルの間を抜け、ダンスフロアまで出る。
女性客たちからまたキャーキャーと声が上がった。
「公衆の面前でお姫さまだっことはやるな、アラン」
ダンスの最中にすれ違った瞬間そう言ってやったが、アランは無視をきめこんでいる。
そのステップはなかなか堂に入っていた。
私たちは2〜3曲踊ってカウンターに戻ったけれど、そこからはもう大変だった。
踊りたがる女たちがわらわらと寄ってきて、わけが判らない。
アランはやる気のスイッチがすっかり入ったようで、ガンガン飲んでガンガン踊り始めた。
照れが抜けたのか開き直ったのか、私に勝るとも劣らない甘いセリフを吐いている。
「アラン、ゴブレットがあいてるぞ。次行くか?」
「おすかると同じ酒で!」
アランは私おススメの酒がいたく気に入ったようだ。
かわいい奴め。
私はギャルソンを呼んで、もう何度目か判らない酒のオーダーした。
「ショットでは面倒くさい。ボトルで持ってきてくれ。私とこいつのぶん、1本ずつ!」
(改行)
(改行)
「もうすっかり真夜中過ぎか」
私が空を見上げると、それにつられたようにアランも目を上げた。
白く浮かぶ半月に雲が早く、石畳に影が落ちては光が射す。
通りにはもう人影はなかった。
私もアランも、相当飲んでる。
これだけ飲んでケロッとしているなんて、おまえはなかなか見どころがあるぞ。
「こんな時間に辻馬車なんか拾えるのかよ」
「大丈夫だ。もう少し先の四辻に、いつもかなり遅くまで客待ちしている辻馬車がいるから」
私が指をさすと、アランはたらたらとそちらへ歩いて行く。
私は少し離れて遅れ気味について行った。
飲んで踊っての繰り返しに、酒がやたらと効いている。
「こんなに酔ったのは、俺、久しぶりだ」
「私もちょっとはしゃぎ過ぎたな」
若い頃を思い出し、少しばかり悪乗りしすぎたようだ。
「羽目を外し過ぎだろ。
だいたいダンスは好まないんじゃなかったのかよ」
「まぁな。でも、おまえの笑った顔が見たかったから」
「なに言ってんだ、あんた」
アランは私を振り返る。
けれど月は流れる雲にちょうど隠されてしまった。
霞みのような薄い雲。
闇に紛れるほど暗くはなく、しかし、おまえの表情が判るほど明るくもない。
高い身長と、鍛えられた体の隆々としたライン。
それだけがぼんやりと薄闇に浮かぶだけだ。
「私の自惚れでなければ、最近では隊員たちと私は打ち解けてきたように思える。
でも、おまえは私に距離を置いている。
みんなが笑っているときでも、おまえだけは不機嫌そうで」
「それは俺が…
俺は不器用なんだ。他のヤツらみたいに笑えねぇんだよ」
「そうか?でもおまえ、さっきまで女の子たちみんなにいい笑顔を見せていたぞ?」
私が心を砕いても見せようとしなかった顔を、初めて会った女たちには見せていた。
おまえにとって貴族とはそれほど許せない存在か。
女の命令で動くことはそれほど受け入れ難いのか。
「アラン。おまえ、女を口説くのが意外とうまいんだな」
「口説いてなんかねぇ」
アランはふらりと身をひるがえすと、私のすぐ目の前まで引き返してきた。
「口説くってのはな」
私の肩から背中をおおうように、アランは腕をまわしてきた。
けっこう体重をかけられてしまい、身動きが取れない。
こいつ、酔ってる!
振り払うだけなら簡単なのだが、班長さんにけがでもされちゃ困る。
溝を埋めるつもりが、溝を深めることになってしまうではないか。
せっかく今夜は楽しく飲めたのに。
しかし重いな。手のかかる弟だ。
「どうしたアラン。具合でも悪いのか?」
「具合?悪いさ。あんたに出会ってから、気分が悪くて仕方ない。
毎日毎日女の言うことなんか聞いてられるかよ。
あんたが将軍の権力を笠に着たきれいなだけの人形みたいな女だったら良かったのに。
そうしたら、憎んで軽蔑して、他の大貴族のヤツらみたいに、あんたをきらいになれたのに」
「悪酔いしてるぞ、おまえ。ここはもう酒場じゃない。
おまえが、いま抱いているのはかわいい女の子じゃなくて、私なんだが。
判っているか?」
「こんな豪華な黄金の髪、2人といねぇ。
俺が今口説いてるのは…オスカル。
あんただよ」
私の耳元にアランは顔を伏せている。
私は息を詰めて自分を抑えていたけれど、気まずくて顔を背けてしまった。
それでも、肩が震えるのはどうにもできなかった。
それを感じたのか、おまえは急に私から離れた。
「すみません、突然こんな。…気を悪くしました?」
どうやら悪酔いしていたわけではないようだ。
いきなり正気っぽくなっている。
でも…アラン。おまえに‥あんなこ…と、言われるなん‥て。
口元を押さえて、なんとか落ちつこうとした。
「あの。顔、上げてくれませんか?心配するじゃないですか。
…隊長…?」
顔をのぞき込んでくる気配に、私は耐え切れなくなって笑い出した。
「アラン!おまえ本当にすごいな。たいした口説き文句だ。
落としておいて上げる、か。
今のは私でもグラッときたなぁ」
笑ったら失礼かと思い、なんとか抑えていたのだけれど、1度笑い出すとどうにもならなくて、私は肩を震わせてクツクツと笑い続けてしまった。
「ディアンヌの披露宴でもその調子でダンスに誘えば、どんな女も100%OKする。
私も今誘われたならOuiと答えそうだ。
あんなに棒読みな誘い文句だったのに、おまえ、やればできるものだな」
髪を褒めてくるとはな。
先ほどの赤みがかった金髪の娘が余程好みだったのだろうか。
だったらなんとか協力してやりたいものだが。
口説き文句を褒められたことで、アランは調子に乗ったらしい。
ふざけたセリフを吐いてきた。
「サファイアの瞳のお嬢さん。もしよろしければ1曲お相手を」
ふざけやがって。
私は目を上げてアランをにらんだ。
「いくつも年下のくせに、お嬢さんとは言ってくれたものだな」
どうせ私は娘役にはいきすぎてるさ。
でも。
今夜のおかげで長年密かに抱えていたダンスのトラウマもどうでもよくなったし…
「こちらこそ喜んで」
私はアランの手を預かった。
「へ? 隊長…?」
私は宮廷舞踏会仕込みの派手な笑顔をアランに向けた。
もちろん男性側のステップは私が踏むのだ。
「ここまできてこれかよ!」
アランは何やら吠えている。
でも私はおかまいなしに、先日観たコメディ・フランセーズの1節を低く口ずさみながら、月明かりの下、アランをリードして踊りだした。
FIN
ゆずの香さまからいただきました。
ご自身のサイトで、このお話のSIDE Alanバージョンをすでにアップされています。
同時期にこちらでもと思いましたが、諸事情で遅れに遅れ、今企画でのアップとなってしまいました。
申し訳ありませんでした。
二つのバージョンをあわせてお楽しみいただければ幸いです。 さわらび
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ゆずの香さま作