初夏にふさわしい、温かな陽光が地上に降り注ぎ、新緑の青さが眩しく映る、ある晴れた日の午後。
オスカルとアンドレは、いつものように、中庭で剣の稽古をしていた。
軽やか身のこなしでありながら、鋭い突きをみせるオスカルの剣を、アンドレはかろうじて受け止めている。
柔らかな日差しの中、小鳥のさえずりと共に、ふたりの掛け声が庭に響き渡っていた。
小1時間ほど剣を交えた後、ふたりは庭の隅にある樫の木の根元に腰を下ろした。
オスカルは軽く上がった息を整え、少し汗ばんだ身体に張り付いたシャツを、胸元でパタパタと仰ぎ風を通す。
それから、隣で大の字に寝転び、片手を額にかざして、大きく息を荒げている幼馴染に目をむけた。
「情けないぞ、アンドレ。少し身体を動かしただけでそんなに息を上げるなとは。普段、怠けている証拠だな」
美しい自慢の幼馴染から、からかい気味に非難を受けたアンドレは、大きくひとつ深呼吸をすると、片手を額にかざしたまま答える。
「これのどこが少しなんだ、オスカル。
ベルサイユきっての剣の使い手と、手合わせをする俺の身にもなってみろ。
頼むから少しは手加減してくれ」
少し息を切らせながら、哀願するように答える幼馴染の物言いに、おかしさがこみ上げてくるのを抑える事もなく、オスカルは言葉を続ける。
「私の辞書に手加減などという文字はない。それに、その素晴らしい剣の達人自らご指南頂けるんだ。こんな名誉ことはないだろう?」
含み笑いを浮かべ、いかにも楽しそうに言ってくる幼馴染に、アンドレは少し口を尖らせながら、
「はいはい。この上もなく光栄に思っておりますよ。あまりの嬉しさに涙が出そうでございます。おじょうさま」
と一気に答えた。
「なんだ?そう思っている割には、全然心のこもっていない言い草だな」
「そりゃ、そうだ。全く込めていないんだから」
悪びれる様子もなく、アンドレはそう答えると、彼女の方へと顔を向け、悪戯っぽい表情を浮かべる。
ふたりはお互いに顔を見合わせると、どちらからともなく、ぷっと吹き出し、高らかに笑いあった。
庭に今度は、ふたりの爽やかな笑い声が木霊していた。
暫く笑いあっていたふたりだったが、その笑いを収めると、ふとどこからか、「ふぅえ〜ん」という微かな声を耳にした。
「アンドレ、今、何か聞こえなかったか?」
「ああ、何だか泣き声のような声が・・・」
耳を澄ますと、弱々しいが、しっかりとしたかぼそい泣き声が、確かに聞こえてくる。
その声の主を確かめようと、ふたりは辺りを見回すが、近くには誰も見当たらず、人の気配も感じられない。
不思議に思い、また顔を見合わせて、お互いに首をかしげたあと、もう一度、耳を傾けてみる。
すると、その声が頭上の方から聞こえてくるのが分かった。
「オスカル。いたぞ。あそこだ!」
声に導かれるようにして、上を見上げたアンドレが、その声の主を見つけると、近くを捜していたオスカルを呼んだ。
オスカルは、アンドレの横に立ち、彼の指し示している指の先を辿ってみると、一匹の仔猫が、木の枝の先に必死にしがみつき、「ふぅえ〜ん」と悲しそうに泣いている姿が目にした。
「仔猫か。登ったのはいいが、降りられなくなったんだな」
そう言うと、オスカルは樫の木の幹に近づき、一番近くにある丈夫そうな枝を捜して見つけ、そこに手をかける。
「おい。どうするつもりだ?」
聞かなくとも既に分かっていたことだったが、思わずアンドレは問いかけた。
「決まっているだろう。木に登って、仔猫を助けてやるのだ」
「いや、登って助けるのは無理だろう。見ろ。仔猫のいる位置が悪すぎる」
アンドレにそう言われ、オスカルは先ほどの場所に戻り、もう一度仔猫の位置を確認する。
確かに、仔猫のいる場所は細い木の枝の先で、途中まで登って腕を伸ばしても、仔猫に届きそうにはなく、かといって、下から手を伸ばしても、到底届きそうもない。
「では、どうする?支えるところもなければ、はしごを使うのもむりだろう」
「う〜ん・・・」
ふたりはその場で腕を組み、一緒になって考え込んだ。
その間にも、仔猫は頭上で「ふぅえ〜ん。ふぅえ〜ん」と泣いている。
「そうだ!アンドレ、ここで四つんばいになれ」
思案していたオスカルが、突然指をぱちんと鳴らすと、顔を輝かせてアンドレに言った。
「四つんばい?」
「ああ。四つんばいになったお前の背中に、私が乗って、仔猫を助けるんだ」
「なるほど。それならいけるかも・・・」
最初は驚いたアンドレだったが、、オスカルの提案に納得すると、早速、両手と両足を地面につけて、四つんばいになり、その彼の背中にオスカルが靴を脱いで乗った。
「どうだ、オスカル。届きそうか?」
「いや、全然だめだ」
アンドレの背中につま先で立ちながら、必死で手を伸ばすが、仔猫には全く届かない。
「これならどうだ?」
地面に付けていた膝を少し上げて、アンドレは聞いてみる。
「いや、だめだな。さっきとあまり変わらん」
途中で体勢を変えられながらも、うまくバランスを取りながら、仔猫に手を差し伸べていたオスカルだったが、仔猫にはかすりもせず、残念そうにそう答えた。
仕方がなく、オスカルはアンドレの背中から下り、彼女が無事に下りたことを確認すると、アンドレも立ち上がる。
「さて、どうしたものかな・・・」
「・・・・・・・」
「よし、アンドレ、私を持ち上げろ」
「・・・・・さっきとあまり変わらないと思うが・・・・」
「つべこべいうな!やってみなくては分からんだろう」
言い出したら聞かない幼馴染に、やれやれと心の中で呟きながらも、彼は彼女の細い腰に手を当てて掴み、力を込めて持ち上げた。
「どうだ?届きそうか?」
「いや、先ほどよりかは近づいたが、まだだめだ」
「それでは、これならどうだ?」
膝を軽く曲げて中腰になると、アンドレは、一旦自分の腿にオスカルを立たせる体勢にして、今度は彼女の膝を掴み、持ち上げる。
突然、高く天に上げられたオスカルだったが、なんとかバランスを取り、仔猫に向けて腕を伸ばす。
「あ〜っ。あともう少しなのだが・・・」
何度か指先に仔猫が触れるのだが、あともうちょっとというところで、なかなか届かない。
「仕方がないな・・・」
アンドレはオスカルを静かに下ろすと、彼女の足の間に頭をいれて、すっと立ち上がった。
「うわっ。アンドレ、何をする!」
いきなり肩車をされ、驚いたオスカルがアンドレの頭にしがみつき、思わず声をあげる。
「これなら届くだろう」
オスカルの足を軽く掴みながら、アンドレは笑顔で答える。
「ちょっと、待て」
彼の意思が伝わり、姿勢を正すと、オスカルはそのまま、仔猫に手を伸ばした。
だが、まだ少し届かない。
「よいしょっと」
片膝をアンドレの肩に掛け、片手を彼の頭に乗せてバランスを保ちながら、少し身体を浮かせて腕を伸ばしてみると、やっと仔猫に手が届いたが、当の仔猫は、警戒するようにオスカルを見て、その小さな身を僅かに引いている。
「おいで」
オスカルは、仔猫に優しく声を掛ける。
だが、仔猫は警戒を解かない。
「怖がらなくてもいい・・・いい子だ。大丈夫だから・・・・さあ、おいで・・・」
そう言いながら、もう一度仔猫に手を伸ばす。
オスカルの優しい言葉と瞳に安心したのか、仔猫はおずおずとした動作で、差し伸べられた彼女の手の中へと入っていった。
オスカルは、しっかりと、けれど優しく仔猫を片手で抱きとめ、胸元に寄せると、アンドレの肩に乗りなおすと、
「よし、助けられたぞ」
と彼の顔を覗き込み、嬉しそうに笑いながら報告した。
「そうか。それは良かった」
アンドレも顔をあげ、オスカルの笑顔と彼女の胸に身を寄せている仔猫を見て、安心したように笑って答える。
仔猫を無事救出できた事を、ふたりで喜んでいると、
「何をなさっているのですか!お嬢様!
それに、アンドレ!!」
と大きな怒鳴り声がふたりの耳をつんざいた。
「ばあや!」
「げっ!おばあちゃん!」
急いで、怒鳴り声のした方へと顔を向けたふたりが同時に叫ぶ。
そこには、仲良く肩車をしているふたりの姿を見て、顔を真っ赤にしながら、わなわなと震えているマロンの姿があった。
「ばあや・・・これには訳が・・・」
「そうそう、俺たちは、仔猫を助けようとして・・・」
ふたりの話も、今のマロンの耳には全く届いていないようで、彼女はずんずんと肩をいからせながら歩いてくる。
憤怒の形相で近づいてくる祖母を前に、背中に冷たいものが流れていくのを感じつつ、アンドレはじりじりと後退していく。
「まずい。逃げろ!アンドレ!!」
「了解!!!」
オスカルの言葉に、アンドレは勢いよく答えると、くるっと向きをかえ、彼女を肩に乗せたまま全速力で駆け出した。
「あっ!こらっ、待ちなさい!アンドレ!!」
マロンの止める声にも耳を貸さず、アンドレは必死で走り続ける。
オスカルは、仔猫を落とさないようにしっかりと胸に抱きながら、大きな笑い声をあげていた。
「待て〜っ!アンドレ〜〜!!」
柔らかな日の光と、爽やかな風が吹き抜ける中、ジャルジェ家の庭では、マロンの怒鳴り声と、オスカルの笑い声、そして、「ふぅえ〜ん」という仔猫の頼りない声が響き渡っていた。
Fin
寒い季節に心温まる贈り物を月の子さまに頂きました。
幼馴染みのいかにも、という会話が楽しくて、例によって
ご無理をお願いしてアップさせて頂きました。月の子さま、
ありがとうございました。 さわらび