「アラン、今度くる隊長の話、聞いたか? なんとあのオスカ」
「うるせぇ。黙れ」
「なんだよ。何イライラしてるんだ?」
「別にイライラなんて…。ただ新しくくるヤツが気に入らないだけだ」
「ま、女の上官なんて気分のいいもんじゃないからな」
「ああ。女のいうことなんて聞いてられっかってことよ」



アラン・ド・ソワソンが初めてオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの名前を聞いたのは、士官学校在学中の頃だった。
バカバカしいほどの伝説を聞かされたのだ。
いわく、学術優秀で稀代の天才。特にラテン語が秀でている。
そして剣の腕前では右に並ぶ者は皆無で、銃の腕も一流だという。
体術も素晴らしく、士官学校時代はけんかにあけくれたが負け知らずだったそうだ。
その上、馬術にも優れ、さらに容姿にも恵まれ、大天使のような美しさだと聞かされた。
なにより彼女、つまりオスカル・フランソワが女でジャルジェ将軍の末娘であることに驚かされた。
女が士官学校で剣も銃もけんかでさえも他を押さえ君臨していたというのが、バカらしくて信じられなかった。
ジャルジェ将軍のご機嫌取りのための大げさな噂だろう。
結局彼女は士官学校在学中に近衛隊に引き抜かれ、王妃の寵愛を受けて異例の出世をし、近衛連隊長にまでなった。
気分の悪い話だった。
自分のような、貴族とはいっても下級の貧しい暮らしをしている者には、大貴族の令嬢が父将軍の比護の元、チャラチャラ武官ごっこをしているかと思うと胸が悪くなる。
それをちやほやする周りの人間も腐ってるとしか思えなかった。

ある日、訓練を終え下校しようとしていたアランは教官にベルサイユへの使いを頼まれた。
普段その仕事をしている事務方の者が欠勤でもしたのだろう。
たまたま近くにいたアランが偶然に頼まれたのだと思う。
近衛のジャルジェ将軍へ文書を届けるだけという簡単なことだったので、アランも気軽に引き受けた。
アランが近衛の兵舎を訪ねるのはその時が初めてだった。
ただ文書を届けるだけだと思ったが、実際兵舎まで来ると、アランは自分でも驚いたがけっこう緊張してしまっていた。
近衛など、金持ちの貴族のお飾り的な名誉職だと思って軽い気持ちで来たアランだった。
しかし実際来てみると、その血筋の良さを思わせる兵士がそこここにいて、かもしだされる品の良さや雅な空気に気圧されてしまった。
周り中、血統書つきのヤツばっかりだ…。
アランにとっては苦手な空気そのものだった。
今思えば若かった。
バカにしていたはずの近衛なのに萎縮してしまったのだ。
とりあえず手にしている文書を届けて早く帰ろうと思うのだが、広い兵舎の中、どこへ向かえば良いのかわからない。
これは誰かに聞くしかないな。
ちょうど真正面から軍服を着た2人組が来たので、意を決して声をかけてみることにしたのだが…
アランは息を飲んだ。
2人とも長身でバランスのとれたいい体をしていた。
背の高い方は緩やかに波打った長髪の美しい男だった。
書類を何枚か手にして、何やら険しい表情で半歩先を行く軍服の肩越しに報告をしているようだ。
先を歩く方の軍人にアランは一目で圧倒された。
まとっている空気が違った。
まっすぐ伸ばされた姿勢から、気品とも軍人の誇りとでもいうような凜としたオーラを放っていた。
触れれば切れそうな凄みがある。
金色の髪はくるくると癖があり、陽の光を受けてきらきらと輝いているようだ。
顔立ちはまず青すぎるぐらいの青い目が印象的だった。そして紅を差したように赤いくちびる。白い肌。
真紅の軍服とぴったりマッチして完成された美しさだった。
しかし、それ故に冷ややかさも感じ、声をかけようとしていたアランはとまどってしまった。
こんな絵に描いたような大貴族丸出しのやつらじゃきっと相手にされないだろう…。
アランが廊下の隅で思案していると、意外なことにその金髪の方から話しかけてきた。予想と反した少し柔らかいアルトの声だった。
「何かお困りですか?」
アランはその物言いにも驚いた。もっとぞんざいな言い方をされると思っていた。
「あの… 士官学校からの使いで、この文書をジャルジェ将軍に届けなければならないのですが、どこへ行けばいいのかわからなくて…」
「ああ、そう。ジャルジェ将軍には連絡を入れてありますか?」
「わかりません。頼まれて代理で来たので」
金髪は少し考えているようだった。
「ジャルジェ将軍は予定外の来客とはお会いにならない」
「え!? そうなんですか これは確実に手渡すように言われてきたのに」
「預かって差し上げたらいかがですか?」
緩いウェイブの髪の男がそう言ったが金髪が制した。
「手渡すように言われているそうだから預かるわけにもいくまい。
よし、私がジャルジェ将軍の所まで同行しよう。
ジェローデル、訓練はおまえがいれば十分こと足りるだろう?」
「はい。お任せください」
「最近少したるんでいるからな。気合いを入れてやってくれ」
頷くと、ウェイブの髪の男はその長髪を揺らしながら立ち去った。
「さて、ジャルジェ将軍の所まで行きましょうか」
そう言うと金髪は歩き出した。
アランは金髪の後ろをついて歩いたが、兵舎のどこを歩いても、皆、この金髪に敬礼や目礼をしている。
どういった立場の人なんだろう…。
「あのっ」
思わず声をかけた。
「なんでしょう?」
柔らかな微笑を浮かべて金髪はふり返った。
す…ごい、美しい。
「え…と。ジャルジェ将軍には事前に連絡を入れないと会えないんですよね?」
「そうですが、私なら大丈夫かと思いますよ」
金髪はそう言うと、またつかつかと廊下を進んで行った。
その歩く姿にもすきがなく、それでいて華がある。
剣を持たせたらきっとすご腕だろうな。
そんなことを考えながらアランはついて行った。
階をひとつ上がり、しばらく歩くと金髪が立ち止まった。
「こちらがジャルジェ将軍の執務室です」
金髪は重厚な扉をノックした。
出てきたのはおそらく将軍の従卒だろう。訝しげな表情で出てきたが、金髪の顔を見て嬉しそうな表情になった。
「ジャルジェ将軍はいらっしゃるだろうか」
「ええ、おいでです」
「お手すきだったら、面会を申し出ている者がいるのでお願いしたいのだが」
「将軍に伺って参ります」
従卒がそう言うと一旦扉は閉められた。
「あなたは士官学校の生徒?」
突然「あなた」と呼びかけられてアランはどぎまぎした。
いつも「おまえ」「てめぇ」「貴様」「おい」と呼ばれるので「あなた」と呼びかけられたのは生まれて初めてだ。
「はい。奨学金で士官学校に行っています」
「では卒業したら軍務につかれるのでしょう?」
「その予定です」
「そう。では私の部下になる可能性もありますね」
驚くほど美しい笑顔で金髪は笑った。
ちょうどその時に扉が開いた。
従卒が中に入れと言う。
金髪は従卒に、用が済んだらアランをエントランスまで送るように頼んで、それからアランに手を差し出した。
アランもおずおずと手をだして、握手した。
「また会いましょう。未来の将校さん!」
そう笑って金髪は帰ってしまった。
すごい美形だったなぁ。
アランは将軍の執務室に入れてもらい、無事に文書を渡すと受取りのサインをもらった。
これで用事は済んだわけだ。
あとはこの場違いで落ちつかない兵舎から早く出よう。
金髪が頼んだとおり、将軍の従卒がエントランスまで送ってくれるというのでアランは一緒に歩いていった。
そして歩きながら気になっていたことを口に出してみた。
「さっき俺を案内してくれた金髪の人は誰なんですか?」
その質問を聞くと従卒は驚いたようだった。
「そうか。君はまだ学生だから知らないのだね。先ほどの方はジャルジェ将軍の末娘、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェさま。あの若さで近衛連隊長をしておられる方だよ」
「ええっ!?」
あれがオスカル・フランソワ…
父将軍の比護の元、軍人ごっこをやっているお嬢さま。
少なくとも、今、出会ったオスカル・フランソワからは女の気配は一切しなかった。すきが無く、氷のような鋭さを全身から放っていた。瞳が軍人そのものの色をしていた。
オスカル・フランソワがあんなヤツだったとは…
今まで心の内でバカにして嫌悪感を抱いていたオスカル・フランソワと、先ほど接したオスカル・フランソワがうまく重ならなかった。
ああ、何か気分が悪い。オスカル・フランソワがすごく嫌なヤツだったらすっきりするのに。
アランはひどく不安定な気持ちのまま近衛の兵舎を後にした。



衛兵隊に新しい隊長がきた。
オスカル・フランソワは黒い騎士を取り逃がしたことでの降等処分という名目で、近衛連隊長の立場から衛兵隊に新隊長としてきた。
しかし、そんなのは上辺のことで、オスカル・フランソワ自身が望んで近衛を飛び出したことはみんな知っていた。
きまぐれで近衛という温室を飛び出したお嬢さまが、このベルサイユ1荒い衛兵隊でやっていけるわけがない。誰もがそう思っていたし、何より衛兵隊の兵士達が皆、女隊長に拒否感を持っていた。
特にアランは挑戦的だった。
少年の日にオスカル・フランソワと出会い、お嬢さまの軍人ごっこと見下していた彼女に不覚にも好印象を持ってしまった自分にいらだち、屈折した感情がオスカル・フランソワへの反発となっていた。
前隊長が妹のディアンヌを手込めにしようとしたことで、大貴族への憎しみも増していた。
アランが班長をつとめる1班を中心に兵士達の反抗は強まっていく。
「お嬢さまが愛人連れで軍人気取りかよ」
聞こえよがしのいやみが兵舎を飛び交った。
そう、オスカル・フランソワはいつも黒髪の従者を連れていた。
アランも他の兵士達も、その飼い慣らされた従者が気に入らなかった。平民でありながら貴族の令嬢に心酔している姿は見ていて不愉快なものでしかなかった。
「貴族のお嬢さまの愛人も楽じゃねぇな」
「昼は兵舎で働いて夜は寝台遊戯では、さぞお疲れだろうよ」
オスカル・フランソワの従卒のアンドレという男は、普段は物静かなたちだったがキレたときの着火が早い。いつキレたかわからない早さでもう殴りかかってくる。
そこからは兵士達vsアンドレの乱闘になる。
「俺は何を言われてもいいけどな、オスカルを侮辱するやつは許さない」
隻眼のその男は相手が多勢でも怯むということなく、ほぼ毎日のように兵舎内で乱闘を繰り広げていた。
最終的にはそこにオスカル・フランソワがやってきて、全員を1人で片付けてしまうのだが…
今までの名ばかりの隊長とは違い、勤務のどこへでも顔を出すオスカル・フランソワにアランはいらだっていた。
衛兵隊など、のんびりダラダラするところなのだ。
前の隊長は妹に手を出そうとしたので顎の骨が砕けるほど殴りつけてやったし、その前の隊長は鬱陶しかったので射撃訓練のときに余興で的替わりにしてやったらびびって辞めてしまった。
結局、衛兵隊にくる隊長などそんなものなのにオスカル・フランソワは違った。
いくらボイコットしても無視しても、懲りずに何度でもやり直す。
だいたい身分からすれば、いちいち訓練に顔を出すような立場ではないのだ。
「椅子に座ってふんぞり返っていたければ、わざわざ近衛を辞めたりせん」
オスカル・フランソワはそう言って笑った。
冗談じゃない。
こんなヤツにうろつかれたら息抜きもできやしない。
今までちんたらしていて居心地の良かった衛兵隊がどんどん変えられていった。
頭にきたアランは剣での勝負に挑んだが、衛兵隊1の腕前を持つアランでさえもオスカル・フランソワには勝てなかった。
彼女は本当に剣の使い手だったのだ。
アランが負けたことで兵士達の不満も加速していった。
「ちょっと早い気もするが、ここらであの隊長さんにも出て行っていただくか」
夜勤の詰め所でアランがそうつぶやくと、すぐに何人かの兵士が寄り集まってきた。
「今回はどんな手でいくか、アラン」
「ふん。今回は簡単さ…」
まだ少年の頃に出会ったオスカル・フランソワが頭をよぎったが無理にふり払った。

あの頃はあの頃だ。このアランさまが女の言いなりになってられるか。今、俺たちにとって邪魔になるやつにはそれなりの洗礼をするまでだ。
彼らは入念に計画を練っていった。

その直前までアランは迷っていた。
少年の日、初めて会ったオスカル・フランソワ…。
女だとは全く気づかなかった。
むしろアランの思い描く軍人そのものだった。
そして先日の剣での勝負。
士官学校時代から剣では負け知らずだった俺を唯一負かした女。
ありえるか?
大貴族の出身で、王妃にも気に入られてとんとん拍子に出世して、本当に剣の使い手で、頭も良くて美しくて… 性格も良いなんて。
なんだか不愉快だった。
こんなできすぎたヤツ、気に入らない。
下級貴族出身の自分。金を持っている平民よりまだ悪い。母親は生活もままならないのに貴族の体面を保つのに必死だし、妹は貴族の娘だといっても舞踏会にだって出たことがない。それどころか安く見られて元上官に強姦されかかったぐらいだ。
下級貴族ほど惨めなものはない。いっそ貴族でない方がよっぽどすっきりする。
何もかもに恵まれたオスカル・フランソワ。
あんなヤツ、いる方がおかしい。
あの女を… 傷つけてやりたい。
アランの行き場のない想いが計画にGOサインを出した。

それは1班が夜勤の日のこと。
もともと2手に別れる予定だった。
1組はアンドレへのおとり。
もう1組はオスカル・フランソワの拉致。
まず、この2人を引き離すのが計画の第1段階だった。
しかし、天が見方したのか夜警中に闖入者が入った。オスカル・フランソワの顔見知りらしい。
陸軍連隊長だということで、彼女はアンドレをその男の見送り兼警護に出した。
うまいこと自分から1人になってくれたオスカル・フランソワ。
2手に別れる予定だったアラン達は総力を上げて彼女の拉致に集中することができる。なにしろ戦闘能力の高い女だ。真剣にかからなければならない。
しかも運のいいことに、アンドレを見送りに出した後のオスカル・フランソワにはいつもの緊張感がなかった。なにやら物思いにふけっている様子だった。
これは絶好のチャンス…。
1人が彼女の背後に立ち、口をふさぐと、他の1人がためらいなくみぞおちにひじを入れた。
これではいくらオスカル・フランソワの戦闘能力が高くても、どうにもならない。
意識をなくした彼女を、アラン達は人目につかないまま食堂へ連れこんだ。
とりあえず青い軍服を脱がせる。
つかんだ手首の細さにアランは驚いた。
手首だけではない。
軍服を着ていると威風堂々とした体格に見えたが実際のオスカル・フランソワははるかに華奢だった。ブラウスからのぞく首から鎖骨、肩へのラインは少し力を入れたら折れそうな繊細さだ。
胸のふくらみから細いウエストまでの曲線はまぎれもなく女そのものだった。
そして白い顔。意志の強い瞳が閉じられたその顔は、たおやかで美しい。
「もったいないな、これだけの女を…」
ミシェルがオスカル・フランソワを後ろ手に縛っているのをアランは壁に寄りかかって見ていた。
大貴族の令嬢。ジャルジェ将軍の末娘…か。
ベルサイユ1有名な武官、オスカル・フランソワを今、どうとでもできる。意識を無くして手を縛られ、床に伏している彼女は全く無防備だ。
…貴族のばかやろうが…
アランにとって、今、オスカル・フランソワは嫌悪する大貴族の象徴だった。
この女が傷ものになったら、いくらジャルジェ将軍だとて心を痛めるだろう。
ざまあみろ。処分なんて俺は怖くはないぞ。もともとこの手には無くす物などないのだから。
「…っ…」
しばらくするとオスカル・フランソワは気づいたようだった。
「お目覚めですか、お嬢さま?」
アランがそう声をかけるとオスカル・フランソワは瞬時に事態を理解したようで、跳ねるように身を起こした。
ひじ打ちをくらったみぞおちがまだ痛むらしく、片膝をついていて、顔色は相当に悪い。
けれど、さすがに気丈だった。
アランにはそこがまた気に入らない。
「ご苦労なことだな。たいした夜勤だぞ。私を… どうするつもりだ」
アランも、他の衛兵達もうす笑いを浮かべている。
「命をいただこうなんて物騒なことは考えてないさ。ただちょっと… あんたに自分が女だってことを体で思い知らせてやって、早々に衛兵隊からご退散願おうと思ってね」
「年下の男は… 趣味じゃないな」
オスカル・フランソワは逆にうす笑いを浮かべてそう言った。
「おい、聞いたか?たいした余裕だぜ。くっくっく…。年上だの年下だのと言ってる場合かよ」
アランは思わず笑ってしまったが、オスカル・フランソワがさらに平気で笑っているのを見て驚いた。
「こんなこと… 別に初めてなわけではないからな。おまえ達はまだ私に話す猶予を与えているだけましだ。本当にやる気なら私が意識を無くしている間にとっくにやっているだろうよ」
その時オスカル・フランソワの脳裏に浮かんだのは、あの日のアンドレと自分。
愛していると告白されて押し倒されて、ろくに抵抗もできなかった力の差に「やめてくれ」と泣いて頼んだ自分の姿だった。
アンドレのあの行動で受けたショックに比べれば、彼女にとってこの程度のこと、ショックの桁が違うのだった。
もっとも、それはアランのうかがい知らぬことなのだが…
「私がここで何をされようが軍務中の事故だ。軍人が1歩外へ出たら、どんなけがをしようが覚悟の上だ。ガタガタ言ってられるか!」
この言いようにアランも意地になる。
「その気の強さはご立派だが、お嬢さまがどこまでもつか楽しみだぜ」
アランはオスカル・フランソワのブラウスのボタンを1つずつ外していく。細い鎖骨の下、華奢な体の割に豊かな胸の谷間と白いコルセットが徐々に露わになっていった。
オスカル・フランソワは相変わらず好戦的な目をしている。
そこへ扉を開ける派手な音をさせてアンドレが飛び込んできた。
「てめぇら、しまいにはブッ殺すぞ!!」
手には銃が握られている。
食堂に緊張が走った。
そのアンドレをオスカル・フランソワが制した。
「私なら無事だ。だからアンドレ、落ちついてくれ」
そして小声でアランに言ってきた。
「あいつは普段おとなしいがキレると手がつけられないんだ。ここで発砲させるわけにはいかない。おまえ、とりあえず私を立たせて盾にしろ」
「は?あんた何言ってんだよ。撃ちたきゃ撃たせりゃいいだろう。俺達は別にかまわないぜ。どうせ片目じゃ当たるわけがないしな」
アランが余裕たっぷりで言ってやると、意外な言葉が返ってきた。
「ばかやろう。あいつが発砲したら私も始末書を書くはめになる。もしけが人が出れば何枚書かされることか。万一、死人でも出たら、私はブイエ将軍が退官するまでいやみを言われ続けるんだぞ」
死人が出たらいやみ…。
そういう問題か?
この女の言ってること、ズレてないか?
「ああ、もういい、アラン。何も考えるな。とにかく私が立つのを手伝え。ちくしょう、まだみぞおちが痛む。殴ったのはジュールだったな。覚えてろよ」
オスカル・フランソワがジュールに一瞥をくれる。本当に報復が恐ろしくなりそうな目線だった。
アランは一応、オスカル・フランソワを立たせてはやったが…
俺は何してるんだろう?
何でこの女の言うことを聞いているんだ?
なんだか混乱してきた。
「アラン、ボケッとしていないでとっととこのロープをほどけ。不自由で仕方ないだろう?」
「あんた、バカか?不自由ったってあんたを自由にさせないために縛ったんだろうが」
「うるさい。おまえこそバカなのか?状況を考えろ。今は発砲させないことが優先事項だ。縛るのが好きならあとでいくらでもつきあってやるから」
な、なな、何を言ってるんだ、この女はっ。縛るのが好きって、俺、そんな趣味ないし!あとでいくらでもって… おい。
脱力したアランはオスカル・フランソワを拘束していたロープをほどいてやった。
「私の軍服を取ってくれ」
この女、人使いが荒い。これだから貴族の女は…
もうどうでもよくなったアランは素直に青い軍服を拾うと手渡した。
オスカル・フランソワは手際よく袖を通すと、ブラウスのボタンを留めながらアンドレのもとまでゆっくりと近づいた。
「見ての通りだ。私は無事だし何もなかった。だから銃口を下げろ」
2人の距離が近づくにつれて銃口が下がっていく。
オスカル・フランソワがアンドレの真正面まで来た瞬間、銃口は完全に下げられアンドレが彼女の肩を抱いた。
「オスカル。良かった…」
アンドレはよほど安心したらしく、がしゃんっ!と音を立てて銃をとり落とした。その途端。
バンッッ!!!
はじける音がして弾が1発、発射された。
暴発だ。
びっくりした。
そこにいた全員が固まるほどびっくりした。
その中で。
オスカル・フランソワだけが「始末書が〜」と言いながら涙を流して悔しがっていた。

あれから数日経ち、1班に次の夜勤が回ってきた。
アランはジャンを連れて適当に庭園の夜警をして廻っていた。
自然と思い浮かぶのはオスカル・フランソワのことだ。
あの女… つくづく変わっている。
結局あのあと、アラン達には何の処分もなかった。
ジャルジェ将軍の末娘。その気になれば、あの件に係わった者全員を極刑にだってできたはず。
あの女、何を考えてるんだ。
それにあの女のことを考えると何でこんなにイライラするんだ。
そんなことを思いながらブラブラ歩いていたアランだったが、急にジャンに袖を引っ張られた。
「ア、アラン。何か…お、音がする」
ハッとして気を取り直すと確かに人が争うような音がする。
アランとジャンは適当にブラブラしていただけなので、本来の夜警ルートから外れ武器庫の方まで来ていた。もの音はその武器庫の裏からだ。
壁に体をつけて慎重に回り込む。
そこにアランとジャンが見た人影はオスカル・フランソワとアンドレだった。
「アラン、あの2人、け、けんか?」
ジャンが不安そうに言った。
けんか、ではないだろう。2人の表情からは真剣さがうかがえる。
これは… 格闘技の訓練だ。
月明かりの下で2人とも、相手のすきを狙おうと俊敏な動きを見せている。兵舎で見せるけんかなどよりずっと早い。

あいつら、兵士相手の乱闘も手を抜いていたのか。
今のところ手数ではオスカル・フランソワの方が多い。見た目だけなら彼女が押しているように見えるが…
かなり激しい攻防が続いたあと、背後を取ったのはアンドレだった。
やっぱりな、とアランは思った。
オスカル・フランソワもよく動いていたが、見る者が見ればアンドレの方が格上だ。
彼女の首をアンドレが完全にロックしている。オスカル・フランソワはそれを返そうとできる限りの努力はしているようだが、あれではどうしようもないだろう。
男にだってできない。
アランは見ていてだんだんハラハラしてきた。
アンドレ、それ、そろそろヤバいんじゃないか?
やり過ぎだ。
やり過ぎだって!!
なんとか形勢逆転を試みていたオスカル・フランソワの瞳が、ふっと閉じられる。アンドレの腕にかかっていた白い手が力をなくした。
失神(おち)たのだ。
こっそり見ていたアランとジャンはお互いに顔色が変わる思いだった。
ここまでやるか? 普通。
アンドレは慣れた手つきで崩れ落ちたオスカル・フランソワを腕の中に抱いて、様子を見ているようだった。
「オスカル…?」
アンドレが何度か呼びかけると彼女はゆっくりと目を開けた。
「私はまた… 負けたのか」
力のない静かな声だった。
「私がおまえに勝てなくなって、もうどれぐらい経つだろう」
「さぁ?」
アンドレは乱れたオスカル・フランソワの髪を梳いてやっている。
「オスカル、この訓練はもうやめないか。おまえに勝てる男はそうはいない。もういいんじゃないか?」
すると、オスカル・フランソワは身を起こしながらきっぱりと言った。
「訓練はやめない。私は武官だからな。兵士達の命をあずかる責任がある。そのためにはおまえに勝てるぐらいでないと。
おまえにはいやな役目かもしれないが、これからも手を抜かずにつきあってくれ。私もおまえをおとせるまで真剣にやるから。
こんなことはおまえにしか頼めない。
私は本来、誰にも負けてはいけないのだからな」
「…わかった」
「メルシ、アンドレ」
そう言って笑った顔は、アランが少年の日に近衛の兵舎で見たものと同じだった。
ああ、そうか。
立ち上がったオスカル・フランソワが一瞬ふらついた。
「大丈夫か、オスカル」
とっさに彼女を支えたアンドレが心配そうに聞くと
「……もし私が先に司令官室に着いたら明日は… ブランデー1本!」
そう言ってオスカル・フランソワはダッシュで兵舎に向かった。
「オスカルずるいぞ」
アンドレも負けずにダッシュで彼女のあとを追った。
いい大人の男と女が… 何やってるんだか。
ハラハラした分、あきれてアランは苦笑した。
目に浮かぶのはオスカル・フランソワの笑顔。
ああ、そうか。
あの少年の日の思い出。
忘れがたかったのは… あれが俺の初恋だったから。
参ったな。
アランは本格的に苦笑した。

夜勤があけて、アランは退勤前に日報を持って司令官室に向かった。
勤務中、特別変わった事態が発生しなかったことを口頭で伝えながら、アランはオスカル・フランソワに日報を手渡した。
何気ないふうに彼女の首筋に目をやると、軍服で隠れてよく見えないながらも赤く跡が残っている。
「あの…」


「なんだ?アラン」
「……」
「このあいだ倒れたフランソワのことが気にかかっているのだろう?彼には少し休養が必要だな。他の兵士達の健康管理も考えているところだ。私もできる限りのことはするから」
「あ…ああ、そうだよ。フランソワのことだよ。よろしく頼む。あんたのことだから、し…信用…してるけど」
「ほぉ。どうした、アラン。おまえもかわいいことを言うのだなぁ」
オスカル・フランソワは本当に意外そうな顔をした。
ふん。恥かきついでだから本当に言いたかったことも言ってやる。
アランは青い瞳をまっすぐ見て言った。
「あんたのことを隊長って呼んでやるよ!!」
するとオスカル・フラン… 隊長は花が開くように笑った。
「頼むぞ、1班班長!」
隊長が白い右手を差し出す。
アランはその手をしっかり握った。
「これでおまえは私の予言通り、私の部下になったわけだ」
「隊長、覚えてたんですか!?」
思わず敬語になってしまった。
「あたりまえだ。1度会った人の顔は忘れん」

朝の光さす時の中で、アランの2度目の恋はまだ始まったばかりだった。



FIN





     
ゆずの香さまから、実は随分以前に頂いておりました。
     私の都合でアップするのがこんなに遅くなってしまいましたこと、
     本当に申し訳なく思っております。
     アランの切ない恋心に、ジーンと来てしまいます。
     でも、この切なさがアランなんですよねえ(笑)。
     ゆずの香さま、ありがとうございました。
                                   さわらび




         
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あの日の想いは…

作  ゆずの香さま