どんぐり屋敷の三賢者
自分たちの住んでいる屋敷周りには、どんぐりが随分多いな、とは感じていた。
外にいて、風が強く吹くと、時には痛いほどどんぐりが落ちてきて、避難を余儀なくされたことが何度かあった。
だが、まさかそれゆえにここが「どんぐり屋敷」と呼ばれていたなどとはつゆ知らなかった。
言われてみればなるほど屋敷のぐるり一周すべてがどんぐりの木だった。
正確に言うと楢の木になるのだろうか。
だが「楢屋敷」ではなく「どんぐり屋敷」と呼ばれているのだから、どんぐりの木と呼んで差し支えあるまい。
「どうしてこんなにたくさんあるのだろう?」
オスカルが首をかしげつつ、窓からどんぐりの木をながめている。
すでに実は落ちていて、いまだ木にしがみついているのは相当根性があるものと思われた。
「このお屋敷はバルトリ侯の叔父上のものだったそうだが、建物は奥方が、庭は叔父上が設計なさったらしい。」
アンドレは書類に目を落としたまま、クロティルドからの受け売りで答える。
「なるほど。それで内外のバランスがどうもちぐはぐなんだな。」
室内は非常に洗練されていて、そんなに広くはないが使い勝手が大変素晴らしい。
マロンは最初、大切なお嬢様がこんな小さなお屋敷にお住まいだなんて…!と憤慨していたのだが、暮らし始めるや即座に前言撤回、こんなに住みよい所はめずらしい、と絶賛に転向した。
だが、その屋敷内と比べると、庭園の方はおよそ美的感覚の欠如したものとなっていて、池も植栽もそれなりに配してあるのだが、どうも収まりが悪い。
「いざというとき、食べるに困らないよう、実のなるものばかり植えられたそうだ。」
アンドレの回答にオスカルは目を丸くする。
「それはまた変わった考えだな。とすると池にいるのは観賞用ではなく、食用の魚類というわけだな。」
分家とはいえ、バルトリ侯爵家の一族だ。
食べるに困る暮らしぶりだったとは思えない。
「とにかく変わったお方だったというのがクロティルドさまのご意見だ。」
そう言われても、クロティルド自体がオスカルからすれば随分変わっているように見えるので、釈然としない。
「変わった人が、誰かを変わった人だと評したら、それはまともな人ということにならないか?」
オスカルはひとりごとのようにつぶやいた。
書類から目を上げたアンドレは、真顔のオスカルを見て吹き出した。
「何がおかしい?」
「いや、おまえはクロティルドさまを変わったお方だと思っているのか?」
「当然だ。つかみ所のない性格だと確信している。」
きっとあちらもそう思っておいでだろう、とアンドレは笑いをこらえきれない。
オスカルは寝台から動かない生活をあらため、秋の間は庭に出てあちこちを散策していたが、さすがに12月になると寒さが厳しくなり、出歩くのは控えるようになった。
まもなくノエルという今日は、自室の暖炉の前に揺り椅子を置き、ガリア戦記を膝の上に置いている。
軍務についていたときは時間ができればぜひ再読したいと思っていたのだが、いざその時間が保証されるとなかなかはかどらない。
とりとめもない会話につい流れてしまう。
「それで、食糧確保のためにここはどんぐりだらけになったわけか。」
「実際に食したことがあったかどうかは知らんがな。」
「おそらくないな。一度モーリスに食べ方を聞いてみよう。」
それきりアンドレが書類に専念してしまったので、オスカルは暇をもてあました。
退屈である。
王妃が退屈をもっとも恐れたことがふと脳裏をよぎる。
することがない暮らしというのは、贅沢なようでいて、案外つらいものだと、今更ながら思う。
王妃は賭け事に走った。
だがオスカルは…。
パラパラとガリア戦記をめくる。
カエサルは生涯退屈などしなかったのだろう。
常に戦い、移動し、会話し…。
うらやましい限りだ。
だが、退屈な時間はここまでだった。
マロンが血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「オ、オ、オスカルさま〜!」
「どうしたの、おばあちゃん。」
ただならぬ祖母の様子にアンドレが駆け寄る。
手に便せんを握りしめ、アワアワと口を動かしているのだが、言葉にならないようだ。
アンドレは祖母の手からひったくって手紙を読み始めた。
「え〜!!」
今度はアンドレが口をパクパクさせはじめた。
オスカルは大儀そうに揺り椅子から立ち上がるとアンドレの側に行き手紙を受け取った。
「なんだ、クロティルド姉上じゃないか?」
そう言ったオスカルの手から、一枚の上質な便せんがヒラヒラと落ちた。
「先日、オルタンスのところからル・ルーが来ました。今日ニコーラとニコレットがそちらに連れて行きますから、よろしく。楽しいノエルをすごしてくださいね。」
年内いっぱい、三人の甥と姪がこのどんくり屋敷に滞在するとのことだった。
なぜここでわざわざノエルを過ごすのだろう。
クロティルドとオルタンスの嫌がらせだろうか。
オスカルは無言でアンドレとばあやの肩をたたいた。
二人の目はすでにうるんでいる。
当然だ。
ベルサイユならば、ジャルジェ夫人もオルガもラケルもいる。
いざというときは将軍だって押さえに回ってくれるはずだ。
だが、ここには…。
マロンは「モーリス!モーリス!」と叫びながら部屋を飛び出していった。
かわいそうだが、マヴーフとアゼルマの休暇もお預けだ。
アンドレは、最近、通いは不便だからと門番小屋に越してきたマヴーフ夫妻に事情を説明するため、これまた部屋を出て行った。
退屈というのは、やはり至福の喜びだったのだ。
オスカルは大きくため息をついた。
幻と消えた読書の時間が今更ながら惜しくなる。
ガリア戦記が恨めしげに揺り椅子の上に転がっていた。
今日は12月15日だ。
これから半月、退屈とは対極の生活が始まるのだ。
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