どんぐり屋敷の三賢者

御者台に座して、機嫌良く馬に鞭をあてているニコーラの姿を遠目に見つけると、マヴーフは庭仕事の手を止めて、門に向かった。
ニコニコと愛想良く笑うこの侯爵家の御曹司は、きっと礼装すればどこの貴公子にも負けないほど立派なはずだが、こうして御者台に座っていると、これまた見事な御者ぶりで、明日からでもどこぞのお屋敷で雇ってもらえそうに見えるのが、マヴーフには不思議でならない。
だが、半年近くこのどんぐり屋敷に務める彼は、すでに不思議なことには随分と耐性ができていて、もはやこれしきのことではいちいち驚きを表現することはない。
その類のものはつつましく心の奥にしまい、表面にはいとも温厚な笑みを浮かべたまま、馬車を車寄せに誘導した。
その手つきも慣れたものである。
そうして、静かに止まった馬車の扉に手をかけたとたんに、中から勢いよく扉が開き、女の子が猛然と飛び降りてきた。

クルクルとした巻き毛の、クルクルとした目の少女は、初老の男に元気よく挨拶するや、あたりに響き渡る声で叫んだ。

「オスカルお姉ちゃま〜!!」

マヴーフは、いささか衝撃を隠すことができず、少し口を開けてしまった。
そのお姉ちゃまとはひょっとしてうちの奥さまであるオスカルさまのことだろうか。
そうに決まっているのだが、あまりに呼称が不似合いでいささか反応に困った。
「ル・ルー。そんなに叫んでもあのお腹では出てこられないわ。さあ中に入りましょう。」
後ろから落ち着いた仕草でニコレットがおりてきた。
「マヴーフ、こんにちは。しばらくお世話になります。あとの荷物をよろしくね。」

いつもながら冷静なその声にはっと我に返ったマヴーフは、急いで車内をのぞきこんだ。
そして今度こそ大声を上げた。

「ひ、ひぇ〜!!」

後部座席には、鞄に埋もれるようにして、今おりてきた少女のミニチュアがちょこんと座り、好奇心いっぱいの瞳でマヴーフを見つめていた。
よく心臓が持ちこたえたものだと、この夜、しみじみと妻に語ったほどの衝撃だった。
「マヴーフ、それはル・ルーの人形だ。よくできているだろう?わたしも最初はびっくりしたが、オルタンスおばさまの手作りだと聞いて二度びっくりだったよ。」
御者台からおりてきたニコーラがクスクスと笑って教えてくれた。
ニコーラさまのびっくりなど、全然大したことはございません、とマヴーフは小さくつぶやいた。
もう、そうたやすく驚くことはないと高をくくっていた彼は、完全に度肝を抜かれ、黙々と荷物運びに専念することにした。
このご一家と平常心で対峙するにはまだまだ修行が足りないのだと痛いほど思い知った。

立て続けに響いた大声に、屋敷のあちこちにいた人間が、ホールに集まってきた。
年齢の割に異常に動きの早いばあやが一番のりだ。
「きゃあ〜!ばあや!こんなところで会えるなんて、びっくりよ〜!!」
ル・ルーがとびつかんばかりに駆け寄る。
どんなびっくりも、わたしのにはかないませんよ、と荷物を抱えたマヴーフがぶつぶつこぼしているが、もちろん誰にも聞こえない。
「ル・ルーさま、まあまあ、よくこんなところまでお越し下さいました。長旅は大変でございましたでしょう?」
自分の旅を思い出し、こんな小さな子がどうやってここまで来たかとばあやは心底心配して尋ねた。
「あら、大丈夫よ。ニコーラが船で迎えに来てくれたから。」
ばあやの次にやってきたアンドレは、どうしてわざわざニコーラがル・ルーを迎えに行き、その上ここまで連れてきたのかわからず、首をかしげた。
「あの、皆さま、あちらでお茶の支度をいたします。どうぞ…。」
ようやく駆けつけたアゼルマが恐る恐る声をかけると、賑やかな一一団はぞろぞろと移動を開始した。

ニコーラとニコレット、ル・ルーとアンドレ、それにばあやが応接室に入ると、渋い顔のオスカルがショールを腹部にかけて、長椅子に座っていた。
が、そのショールの下が明らかに人目をひくほど大きくなっていることは一目瞭然だった。
「オスカルお姉ちゃま。ごきげんよう。」
という挨拶をするつもりだったル・ルーはまじまじとその部分を凝視した。
「やっぱりこの目で見ないと絶対信じられない事実っていうのがこの世にはあるのねえ〜。」
そして自分の後から入ってきたアンドレと、目の前に座っているオスカルを交互にながめ、ひとりうなずいている。
好奇心が服を着ているようだ。
オスカルもアンドレも居心地の悪いことこの上なかった。

ばあやにうながされ、適当に皆がそのあたりの椅子に腰掛けると、アゼルマとコリンヌが給仕をしてまわり、一渡り紅茶が行き渡った。
遠来の客との久々の再会となれば酒で乾杯が常識のオスカルだったが、自身懐妊中の上、客がル・ルーとなれば話は別である。
モーリスが丹精込めた焼き菓子と紅茶での歓迎となった。
美味しい紅茶で一息ついたところで、ニコーラとル・ルーが怒濤の説明を開始した。
どうしてここへ来たのか、オスカルもアンドレもばあやも、聞きたいのはその一点だけなのだが、彼らの説明は微に入り細に入っているわりには肝心なところではずすので、結局長い話を最後まで聞かなければ、真相にたどりつかないという代物だった。
以下は概略である。

ノルマンディーのバルトリ侯爵領に対し、ローランシー家は隣接するブルターニュに居を構えており、ここも比較的革命の影響が少なくてすんでいるという話だった。
以前ロザリーを伴ってアンドレと三人でオスカルが訪問したときも、騒乱などとは縁もゆかりもない平和な地方という印象だったから(その割には想像を絶するおぞましい事件が起きたのだが、ここでは触れない。)、現状が落ち着いているというのもうなずける。
そこにオスカルの懐妊と、そしてノルマンディーへの転居の知らせがジョゼフィーヌから届いた。
ある程度予想していたオルタンスと違い、寝耳に水のル・ルーは何が何でも我が目で確かめたい思いに駆られ、あらん限りの知恵を絞ってノルマンディー行きを画策した、らしい。
手っ取り早いのは両親をそそのかして共に旅に出ることだったが、いかに平穏とはいえ、領主がこの時期に領地を離れるのは無謀である。
それでなくともこの一家は三部会開会の行列見学のため一ヶ月近く自邸を留守にしてベルサイユに滞在していたことがあり、今年もう一度長期の旅行という提案は見向きもされなかった。

が、そこで、あきらめる彼女ではない。
ル・ルーは従兄のニコレットに手紙を書いた。
ブルターニュとノルマンディーは隣接しているので、今までに何度か互いに訪問し親しくしている。
特にクロティルドとオルタンスは、ともにベルサイユを離れたもの同士として絆が強かった。
従ってその子どもたちも自然懇意になっていて、オスカルなら到底理解できないところだが、ニコレットなどはル・ルーを「かわいい妹」と呼ぶほどだった。
抜け目ないル・ルーがこの関係を利用しない手はない。

「最近お目にかかれていないのが寂しくて母にねだってみたけれど、ご時世を理由に断られたので、そちらからお迎えにきてくださらないか。」

第三者からみれば相当厚かましい依頼だが、時期がよかった。
誰にとっての時期か、というとニコーラにとってである。
7月に母は単身ベルサイユに行き、父も同時期ロンドンまで商談に出かけた上、ベルサイユで母と合流。
さらに帰宅後は二人揃ってイタリア行きである。
領地が大変な時期に留守番ばかりさせられていた恨みもあって、ニコーラは渡りに船とばかりに、本当に船を出したのだ。
ニコーラにかかればアラン・ルヴェをそそのかすなどいともたやすい。
「頼りになるのはおまえだけだ。」と真剣なまなざしでぼっちゃまに言われて、アラン・ルヴェはすぐさま船を出してくれた。
ブルターニュといっても隣州である。
海づたいならすぐに風光明媚な港サン・マロに入れる。
ちょっと出かけてきます、と軽く父に言うとニコーラはあっという間に船上の人となった。
どんぐり屋敷でのお茶会からすぐのことだったらしい。

ちょっと出かけたはずのニコーラがル・ルーを連れて帰ってきたのだからバルトリ侯爵夫妻もびっくりしたが、来てしまったものは仕方がない。
オルタンスは去年に引き続き娘抜きのノエルを過ごせるとあって、大喜びで娘を甥に託したようで、クロティルドあてにくれぐれもよろしくとの手紙を持たせてきた。
バルトリ家まで来れば、どんぐり屋敷には着いたも同然である。
日を置かずしてル・ルーはまたまた従兄姉たちに頼んでオスカルのもとを訪ねてきたという訳らしい。

ル・ルーの胸はこれからはじまるノエルへの期待ではちきれそうにふくらんでいた。
そして迎えたどんぐり屋敷の面々の胸はこれまた不安に覆い尽くされそうな重苦しいものだった。
興味本位で訪ねてきたのがいきさつからして明らかで、どんなノエルになるのかと思うと美味しいはずの焼き菓子を味わう余裕もない。
まったく何も感じていないのは、例によってニコーラとニコレットの兄妹である。
「本当にここのお紅茶は最高ね。」
ニコレットがにっこり笑ったておかわりを求めたが、おのおの胸がいっぱいでその言葉に応ずるものは誰もいなかった。







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