どんぐり屋敷の三賢者

オスカルとアンドレの寝室はどんぐり屋敷の二階にある。
越してきたときは、絶対安静だったから一階の客間を使っていたが、ばあやが来たころに上階に移った。
安定期に入ったこともあり、また、こちらの部屋が一番広かったこともその理由であった。
ここは寝室の続き部屋として居間がついていて、廊下に出て奥が書斎になっている。
この書斎は現在アンドレが仕事をする場所として使用している。
これら三室は階段を上がって東の方向に並んでいる。
一方西側には三室の客間が作られている。
といっても簡素なもので、寝台とテーブルと椅子が適当に配されているだけだが、突然の客人にはここよりほかに部屋を当てようがないので、ニコーラとニコレットとル・ルーはそれぞれ一室ずつを使用することになった。
住むとなると手入れが必要だが、二週間ほどの滞在ならば、客人が我慢すればすむことだ。
なんと言っても客人は、たくましいことこの上ないオスカルの甥と姪なのだ。

一階は応接室と、以前寝室として使っていた客間が一つ、それに厨房と、あまり広くもない広間があった。
ばあやはこの客間を使っている。
本当は厨房の横に小さな使用人室が2部屋あり、ばあやはそこを希望したのだが、当主の祖母がそんなところを使うな、というオスカルの一喝で、オスカルたちが出たあとの客間がばあやの居室になったのだ。
自宅から通っていたマヴーフとアゼルマ夫婦は、先日門番小屋に越してきた。
モーリスとコリンヌ夫婦はもともと庭番小屋にいる。
小屋といっても充分居住に耐えうるもので、夫婦二人で暮らすなら充分な環境だ。
ともに敷地内であるから、住み込みといってもさしつかえない。

ということで、このノエルのどんぐり屋敷の人口は総勢10人となった。
オスカル、アンドレ、マロン、ニコーラ、ニコレット、ル・ルー。
そして使用人のマヴーフ、アゼルマ、モーリス、コリンヌである。
実はオスカルの胎内には赤子がいるので命の数だともう少し多いのだが、それは数にはいれない。
まだ話ができないからである。
三人が帰ってから、双子が生まれ、乳母とその子、さらにはロザリーとその子どもまで加わって、一層賑やかになることも、まだ誰も知らないことである。

とにかく静かだった屋敷が突然やかましくなった。
ニコーラとニコレットはさほどうるさくないのだが、ル・ルーがひとりで5人分ほど騒ぐのである。
見るもの聞くものすべてが新鮮なのだ。
逗留初日から一週間はマヴーフにつきまとっていた。
彼は冬の間に庭の土を手入れし、春には美しい花を咲かせようと日々励んでいるのだが、その横にへばりつくようにル・ルーがいて、どうも勝手が悪そうだった。
だが、決して邪魔ばかりしているわけではない。
生まれた時から自邸の庭を探検しつくしたル・ルーは、この年齢の、しかも貴族のお嬢様にしては驚くほど植物に詳しく、にわか庭師のマヴーフのほうが教えられることもあったくらいだ。

「もうどんな不思議に出会っても今度こそわしは驚かん。」
マヴーフは、ジャルジェの血をひく人々の驚異の姿に、ようやく自分を順応させたように妻に言った。

−乳母にこきつかわれる旦那さま。
−男装の妊婦の奥さま。

そんな家なのだから、ちっともお嬢さまらしくないお嬢さまが来ても何の不思議もない。
「どうやらそのお嬢さまの次のねらいはモーリスのようよ。」
夫の決意を聞いてアゼルマが笑った。

そしてその予想どおり、次の日からル・ルーは、厨房に入り浸るようになった。
食物におけるブルターニュとノルマンディーの違い、さらにはベルサイユとの違いについて考察をしているのだ、とアンドレに聞かれたル・ルーは胸をはった。
ル・ルーの味覚は鋭い。
それは春のジャルジェ邸で証明済みだ。
アンドレはにわかに興味をひかれ、モーリス作のお菓子の評価を聞いてみた。

「少し自信がなさそうね。なぜかしら?とっても良い腕なのに…。でも実はとても情熱的な味がするわ。いざというときは迷わないタイプね。」

ル・ルーがジャルジェ家においてマリー・アンヌやカトリーヌの家のお菓子を評したとき、それはそのままその家の女主人の評価につながっていた。
母のオルタンスについても、ジョゼフィーヌについても、そしてジャルジェ夫人についても、その感想はなるほどうならせるものだった。
とすれば、この屋敷の味はオスカルへの評価になるのだろうか。
それにしてはどうもしっくりこない。
やはり焼き菓子の味と女主人の性格には共通性がある、というのは現実味に欠けるものだったか、とアンドレが首をかしげていると、ル・ルーが何気なく口にした。

「ずっと感じていたのだけれど、この家って、オスカルお姉ちゃまが主人で、アンドレのほうが奥さまみたいね。」

アンドレは茫然自失した。
オスカルが主人で自分が奥さま…。
ということは、この味の感想は自分のことか…。

腕は良いのに、自信がなくて、実は情熱的でいざというとき迷わない。

横で聞いていたオスカルが爆笑した。
大きなお腹を抱えて苦しそうなくらい笑っている。

「ル・ルー、さすがだ!見事だ!おまえは天才だ!!」

常ならぬオスカルの賞賛にル・ルーの方が目をぱちくりさせている。
「おまえ、ル・ルーにここまで読まれるなんて…、ちょっと情けなくないか?」
目に涙を浮かべながらオスカルは笑い続ける。
アンドレは、あまりに当を得ていて、図星過ぎて言葉がない。
焼き菓子の味と女主人の相関関係はここでも証明されたのだ。

この評価はそのままモーリスにもばあやを通して伝えられた。
アンドレの性格だと言われるとつらいものがあるが、料理の腕としては、自信さえもてばいい、というものだから、モーリスは大喜びだった。
俄然はりきって、その夜の夕食はいつもより一品増やしてくれた。
もちろんル・ルーには特製デザートがプレゼントされ、自信を持った彼の料理は、皆をうならせた。

「これでノエルのごちそうは安心ね。期待していいわよ、ニコレットお姉ちゃま。」
ル・ルーの深謀遠慮は底なしの感がある。
だが、ニコレットもさるものである。
「ノエルに家を追い出されたもの同士、せめてご馳走くらい頂かないと割に合わないわよね。」
ともに子どもなしの水入らずでノエルをすごそうとする両親へのささやかな抵抗を、なぜか叔母夫妻に対して試みているようだ。
ノエルの夜はいよいよ近い。
室内の暖かさに対して、外の寒さは一気に増してきた。








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