オスカルはまんじりともせず、アンドレを待っていた。
自宅の様子を見に行かせただけなのに、ずいぶんと帰りが遅い。
屋敷と宮殿はそんなに離れているわけではないし、馬をとばしていけばとっくに往復している時間である。
何か不測の事態が起きたのだろうか。
いたたまれなくなってオスカルは司令官室を後にした。
早足で階段を下り、正面玄関を出る。
すると人だかりができていた。
何事だ。
駆け足で近づく。
一台の馬車を大勢の衛兵隊員が取り囲んでいるらしい。
「何事だ?!」
大声で呼びかけた。

時ならぬ隊長の登場に人だかりはスーッと解けた。
「怪しい馬車なので、尋問しようと止めました。」
担当の班長が返答した。
確かにこんな時間に衛兵隊に入ってくる馬車はない。
まして本部の正面玄関前まで乗り付けるなど、よほどの上役でなければ許されない。
オスカルはとりあえず御者を見た。
「決して怪しいものではございません。これははフェルゼン伯爵の馬車でございます。」
御者が震えながら訴えた。
「何だと…?では中を見せろ。」
オスカルは、素早く馬車の扉を開けた。

思わぬ光景が広がっていた。
大の男が二人、仲良く眠っているのである。
「アンドレ…、フェルゼン…。」
修羅場をかいくぐってきたオスカルではあるが、これはあまりに想定外のことで、あとの言葉が続かない。
しばらく沈黙したのち、ようやく、絞り出すように御者に聞いた。
「こ…これは、どういうことだ?」
「それが、わたくしにもとんと検討がつかないのでございます。ご主人様がジャルジェさまのお屋敷からお帰りになるときに、この従卒どのがおられて、ご主人さまは衛兵隊まで送ってやろうとおっしゃいました。それで夜道を駆けて門のあたりまで来ましたら、突然馬車が大きく傾きまして、あわてて馬車を止めました。中に声をかけましたがお返事がなく、失礼とは思いながら扉を開けましたら、この状態で…。とりあえずあなたさまにお知らせしようと、馬車のままこちらまで乗り付けた次第です。」

オスカルは二人の男の肩をあいついで揺すってみた。
が、反応はない。
顔を近づけ、呼吸を確認する。
どちらも規則正しい反復を繰り返している。
肩の力がどっと抜けた。
生きている。
大声で名前を呼んでみる。
「アンドレ、アンドレ!!」
耳元に唇を寄せ、相当大きい声を発しているのに、反応がない。
隣のフェルゼンの肩を再び揺する。
「フェルゼン、おい、フェルゼン、起きろ!」
だがこちらもうんともすんとも言わない。
ハラリと前髪が割れて額が表れた。
真っ赤に腫れている。
「これは…。」

以前、頭を強打した二人が入れ替わる場面に立ち会ったことがあった。
あまりに非日常的で、意識の奥深くに眠らせていたが、確かにアンドレとフェルゼンは入れ替わることがあるのだ。
アンドレはそれを極度に恐れ、警戒し、決して近づかないようにしていたから、それは一回きりのことで、多忙な日々の中で忘却の彼方に飛び去っていた。
その後もう一度二人は入れ替わっているのだが、オスカルには気づかれないまま過ごしたので、彼女は知らない。
実のところ、フェルゼンはそのとき打ち明けようとしたのだが、タイミングが悪すぎて、できなかったのだ。
従ってオスカルにとって二人の入れ替わりは、滅多にないこと、というかあり得ないこととして処理されていた。

だが、今、仲良く並んで横たわる二人を見ると、あの悪夢のような日々がはっきりとよみがえってきた。
オスカルは、フェルゼンになったアンドレがどうしていたかは知らない。
しかし、アンドレになったフェルゼンには散々苦しめられた。
とにかく無能なのだ。
人品も決して卑しくない、むしろ高潔過ぎるほどだし、知性も教養も人並み以上、剣の腕前だって相当だ。
つまり極めて有能な男のはずなのだ
ただ、副官とか、補佐とか、そういう職種に向かないのだろう。
その手の仕事が当たると、初任者でももう少しマシだろう、というほどミスを連発してくれる。
しかも無自覚ときているから始末が悪い。
陸軍連隊長なのだから当然かもしれないが、軍人としての誇りはきわめて高い。
だから自分のミスなどあり得ないという前提で動くのだ。
しかも、アンドレとして…。
その顔でそんな不始末をするな!と何度怒鳴りたくなったことだろう。
入れ替わりからしばらくの間は、アンドレが少しでもミスをすると、ひょっとしてフェルゼンになってしまったのでは、という疑いを恐怖感とともに抱いてしまったものだ。

さて、今、二人はどうなっているのだろう。
姿のままか。
あるいは入れ替わっているのか。
意識が戻らないため確認のしようがない。
真っ青になっている御者の手前、下手なこともできない。
「仕方がない。二人をわたしの部屋に運ぼう。」
オスカルは遠巻きに見つめている部下たちを呼び、二人を担がせた。
一応貴族のフェルゼンを仮眠室に、従者のアンドレを司令官室の長椅子に寝かせるよう指示した。
もしかしたら逆で、気づいた二人は場違いな場所に驚くかもしれないが、他に方法がなかった。

部下たちが退室すると、オスカルは続き部屋になっている司令官室と仮眠室を何度も行き来して、二人の意識が回復するのを待った。
白々と夜が明け始める。
明日は舞踏会だ。
自分の知らないところで勝手に人生を決められてたまるものか。
見ていろ。
オスカルは、窓辺に立ち、まるでそこに父がいるかのように、大木をカッとにらみつけた。














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舞踏会の奇跡

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