フェルゼンは、自分を激賞した。
見事な化けっぷりだった。
オスカルは完全に騙されている。
自分を本物のアンドレと信じ込んでいる。
してやったり。
散々馬鹿にされてきたが、今こそ思い知らせてやる。
自分がどれほど有能か。
どれほど完璧か。
ジャルジェ邸からの車中、再び激突することを懇願するアンドレを、とりあえず本部近くに来てからにしてくれと説得した。
実際、激しい痛みでどうにもこうにも我慢できなかったのだ。
そして、舞踏会までのいきさつをアンドレから聞き出した。
思い詰めた顔の彼は、いとも簡単に誘導尋問にひっかかり、オスカルが婚約者を避けていること、結婚自体を嫌がっていることなどを洗いざらい話してくれた。
その上、今夜アンドレがひとりでジャルジェ家に戻ってきた理由も教えてくれた。
日頃のアンドレならこんな風にしゃべることはないのだろうが、この日の彼は相当まいっているようで、うながされるままに言葉を継いでいた。
このアンドレとオスカルが、二人して「フェルゼンごっこ」などという造語をかわし、自分を笑っていたのである。
なんとも許し難いことである。
せめて一太刀報いたい。
フェルゼンは、このままアンドレの思惑通り、元の姿に戻るのが惜しくなってきた。
そこで、なんとか頭を打たなくてすむ方法はないかと考え始めた。
だが、アンドレの執念もすさまじかった。
彼はもうあの角を曲がれば到着、というときに、狭い馬車の中で逃げ回るフェルゼンに向かって突進してきたのだ。
ついにかわしきれず、激突した瞬間、馬車が角を曲がるために大きく揺れて二人はもう一度ぶつかった。
連続強打である。
これはたまらない。
二人揃ってあっという間に気絶した。
それきり記憶はとんでいた。
次に気がついたのは、衛兵隊の司令官室の長椅子の上だった。
ぼんやりと目を開けると、オスカルが隣の仮眠室に入っていくのが見えた。
自分の姿はアンドレのままである。
どうやら、二回の衝突で、再びアンドレになったらしい。
なんという僥倖であろうか。
やはり神は正しいものに味方したまうのだ。
フェルゼンは、気絶から快復してもすぐには行動を起こさなかった。
じっと目を閉じて考えていたのである。
幸い、アンドレのほうがまだ失神したままだということは、仮眠室から聞こえるオスカルの声から察せられた。
オスカルは何度もフェルゼンの名を呼んでいたのだ。
ならば、うまくやりさえすればオスカルに、自分をアンドレと信じ込ませられる。
そのためには…。
彼は眠ったふりをしながら考えた。
きっとオスカルは自分が目を開ければ、どちらかを確かめにかかる。
さて、どうするか。
夜勤明けであれば、まずはショコラだ。
味はアンドレの通りとはいかないが、なんとでも言いくるめられる。
そして、任務を放り出してとっとと屋敷に戻ればいいのだ。
それもまた、車中で仕入れた情報で、オスカルを丸め込むのはたやすい。
ジェローデルが来ていないことを告げればいいのである。
自分たちの帰宅後に、もしも仮眠室でアンドレが気づいても、あの格好だ。
まさかフェルゼン家の御者に対して、自分はアンドレだと主張することはできまい。
仕方なくフェルゼン家に戻るだろう。
忠実な従僕である彼のことだから、なんとかジャルジェ家に近づき自分と入れ替わろうとするだろうが、そこは自分がぴったりとオスカルの張り付き、接近させないようにするのだ。
アンドレがオスカルと行動を共にすることは誰も不審に思わない。
むしろフェルゼンが近づく方がよほどいぶかしい。
勝算は確信できた。
案の定、オスカルは、フェルゼンが用意した馬車に、すこぶる上機嫌で乗り込んできた。
いつもアンドレになったときに思うのだが、オスカルはアンドレに対しては素のままで話す。
格式もしきたりもなく、思うことを思うままに、感じることを感じるままに告げる。
それは、大親友として他の誰よりもオスカルと何でも話してきたと信じていたフェルゼンにとっては、意外な態度だった。
自分こそが、男女の垣根を越えた友情を育んできたと思っていたのに、やはりオスカルはフェルゼンの前では、何かこう作り上げた自分を見せていたと思わざるを得ない。
だが、だからこそ、そのアンドレとして自分が結婚を後押ししてやれば、オスカルは今とは全然違う境遇に飛び込むことができるのではないだろうか。
アンドレは、オスカルが結婚を嫌がっているといっていた。
そのことを告げるアンドレの表情はとても暗く沈んでいて、自分ではどうしてやることもできない、と深く深く落ち込んでいた。
まさに自分の出番である。
自分が見事に結婚相手を選んでやろう。
そうしてアンドレを解放してやろう。
フェルゼンは、まさかアンドレがオスカルに思いを寄せているとは想像もしていない。
暗い表情が結婚話によるものだとは思っても、それはオスカルが断るからだと解釈していて、オスカルと他の男性との結婚など死んでも見たくないという激しい嫉妬と懊悩から来ているとは、考えもしないのだ。
この勘違いこそがフェルゼンの真骨頂である。
これなくして、どうして他国の王妃との長い長い不倫をなしえようか。
これなくして、どうしてフェルゼンがフランス宮廷であんなにも堂々としていられるだろうか。
すべて順調だった。
フェルゼンの表情はおのずと明るくなる。
そして何も知らないオスカルは、ニコニコしたアンドレの笑顔に、ついつい自分もつられて、馬車はは最近まるでなかった楽しい雰囲気のまま、ジャルジェ家に到着したのである。
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