ジャルジェ家の大広間は、かつて見たことがないほど豪華に飾り立てられていた。
そんなにたくさんの燭台や食器がいったいどこに収納されていたのか不思議なほどである。
だが仮にも大貴族。
代々の当主が収集してきた銀の食器が、侍女たちによってほこりを払われ、ピカピカに磨き上げられていく様は壮観だった。
オスカルは、久しぶりの帰宅を喜び、口々に「お帰りなさいませ。」と挨拶する侍女たちに軽く手をあげて返しながら、足取り軽く自室に引き上げた。
フェルゼンも、アンドレの部屋に一直線で向かった。
入れ替わりも3回目となり、ジャルジェ家の間取りは随分理解していた。
同様にオスカルの行動パターンもある程度は予想できた。
彼女は、ああ見えてなかなか孝行娘だから、帰宅後はとりあえず両親の部屋に伺候するはずだ。
ならばその間にフェルゼンは服を着替え厨房に顔を出す必要がある。
衛兵隊では兵士だが、帰宅すればジャルジェ家の使用人として、仕事は山のようにあるのだ。
このあたりも、フェルゼンはしっかりと学習していた。
「わたしはきわめて能力の高い人間なのだ。少々地理に疎いことをのぞけば、大抵のことは人並み以上にこなせる。まして宮中で王家にお仕えする身、ジャルジェ家の使用人くらい難なくこなしてみせる。衛兵隊ではちょっと難しいが…。」
フェルゼンの心中はみなぎる闘志にあふれていた。
「アンドレ、オスカルさまは、朝のお食事はすませてこられたのかい?」
厨房をのぞくと、すぐに料理人が聞いてきた。
「いや、まだだ。」
「そうか。ではこれをお持ちしてくれ。」
トレイの上のスープから何とも言えないよい匂いが漂い、フェルゼンは、自分も夕べから何も食べていないことを思い出した。
なんと言っても気を失っていたのだから。
「あの、俺のはあるかな?」
「ああ、その棚に残りものがあるから適当にしろ。今、かまどはいっぱいだから暖められないけどな。」
使用人の食事がそういうものであることを、フェルゼンは思い出した。
腹の虫が激しく主張するので、冷たいままでもいいからこの場で食べようとして、料理人の驚愕の表情に気づき、慌ててトレイを持って厨房を出た。
主人に届ける前に先に食べるなど言語道断だということも、フェルゼンは思い出したのだ。
使用人くらい難なく…というのは随分怪しいものだと、しかし彼は気づかない。
育ちがよいというのは幸せなことである。
両親への挨拶はまったく型どおりのものだったようで、オスカルはフェルゼンが扉をノックして、食事を持ってきた旨を告げると、待ちかねたように入れと返事をよこした。
給仕の方法は心得ている。
やったことはないが、毎日毎食やってもらっているのだ。
むしろ優雅にやり過ぎて疑われないか、などとフェルゼンは自信満々の心配していた。
が、結局簡単な食事だったから、トレイをオスカルの目の前に置くだけですんだ。
やはり今回は神のご加護がフェルゼンに与えられているらしい。
「アンドレ、明日の礼装が届いているそうだ。あとで持ってきてくれないか。一度袖を通しておきたい。」
オスカルはゆったりとした部屋着を身にまとい、かなりくつろいで食事をとっている。
機嫌はすこぶる良さそうだ。
「ああ、わかった。おまえのドレス姿とは楽しみだな。」
フェルゼンの脳裏に、かつてコンデ大公妃の舞踏会で踊ったオスカルの姿がよみがえった。
王妃の存在さえなければ、取り憑かれそうなほどの美貌だった。
ガチャン!と大きくフォークを置く音がした。
フェルゼンは追憶から意識を取り戻した。
「おまえ、わたしがドレスを着ると思っているのか?」
オスカルが冷たい視線を投げかけていた。
「えっ?違うのか?」
「あたりまえだ。だれがあんなものを着るか!」
かなりの剣幕だ。
「もったいない…。」
思わずフェルゼンは小声でつぶやいた。
本音である。
普通なら年齢的に婿取りが相当難しくなっていることをカバーしてあまりある美しさであろうに…。
ボソボソと口ごもるフェルゼンに、オスカルのまなじりがつり上がった。
「なんだと?」
「あ…、いや…。おまえのドレス姿は絶品だと思って…。」
フェルゼンは正直ものである。
思ったことを素直に口にしてしまった。
「おまえ、わたしがドレスを着て、誰と踊るというのだ?」
いつもよりずっと低い声だ。
この声が持つ怒りの度合いを、アンドレなら瞬時に理解したはずだが、くフェルゼンはまったく感知できない。
「えっ?それは…。名乗りを上げる男全員だろう?そのための舞踏会なんだから…。」
ガチャーン!!とさらに大きくナイフを置く音がした。
「おまえは…、おまえは…。」
オスカルの唇がわなわなと震えている。
「だって、ジェローデル少佐との結婚が嫌なら、そうするほかに手っ取り早く相手を見つける方法はないだろう?なかなかの名案だと思うが…。」
バターン!!
椅子が後ろにひっくり返った。
オスカルの目がこれ以上ないほど見開かれ、恐ろしい形相でフェルゼンをにらみつけていた。
「出て行け!」
オスカルはまっすぐに扉を指さした。
「おまえの顔など見たくない。とっととここから出て行け!」
フェルゼンは呆然と立ち尽くした。
そんなに結婚が嫌なのか。
そういえばアンドレも言っていた。
オスカルは困惑している、と。
男として軍人として生きてきたのだ。
今さら人妻になれ、と言われても、侮辱にしか感じられないのだろう。
フェルゼンは穏やかに笑った。
「オスカル、結婚はそんなに悪いものでもないだろう?」
これにはオスカルが絶句した。
ここまで言っても出て行かず、平然としている。
しかも信じられないことを言う。
アンドレだって、相当この縁談にショックを受けていたではないか。
最近屋敷に帰ろうとしないのも、ただただジェローデルに会いたくないからだったはず。
そして会いたくない理由は、自分への押さえきれない思いだ、とオスカルは信じて疑わなかったのに。
「おまえは…、わたしが結婚したほうがよいと思うのか?」
オスカルはのどにたまる唾液をゴクリと飲み込んだ。
「無理矢理というのは良くないが、もし気に入った相手ができれば、それもいいんじゃないか、とは思う。」
いたって冷静だ。
「本気でそう思っているのか?」
「ここで冗談を言う理由はないが…。」
オスカルの質問こそ意外だと言わんばかりの口調である。
「百歩譲って、わたしが結婚すると仮定しよう。おまえはどうするのだ?」
声がかすれるのを自分でも忌々しく思いながら、オスカルはまたもや質問した。
「おれ?おれはここの使用人だからね。クビにならない限りはここにいて、それこそ気に入った相手ができれば結婚して…。おまえの代になったら執事くらいにしてもらうか。」
理由などわからない。
だがオスカルの怒りは沸点に達した。
ツカツカと扉まで行くと、バタンと開け放ち、たった一言。
「出て行け。二度とここに来るな。おまえの顔など金輪際見たくない!」
有無を言わさぬ口調だった。
それでもグズグズしているフェルゼンに雷が落ちた。
「出て行け〜!!」
今度はフェルゼンも理解した。
なんだか知らないが虎の尾を踏んでしまったらしい。
あるいは竜の鱗に触れてしまったか。
三十六計逃げるにしかず。
フェルゼンは一目散に部屋を飛び出した。
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