サイドボードを開けて、適当に酒瓶を取り出すと、オスカルは食前酒として出されていたグラスいっぱいに酒をついだ。
それを一気に飲み干し、再度手酌する。
常より小さいグラスだから、二杯くらいでは飲んだ気がしない。
かれこれ四、五杯口にしたところで、ようやく心が落ち着いてきた。
やはり酒は妙薬である。
殊に美味な酒は効果がある。
アンドレとの会話を頭の中で反芻してみる余裕も出てきた。
怜悧な武官として、正確な記憶力は当然の素質である。
どんなに感情的になっていても、細部にいたるまで間違いなく脳裏にたたき込み、経験によって必要不必要を取捨選択して判断する。
またどんなに些細なことでも違和感を感じたら、きちんと整理してから理解する。
そういう脳内構造であるべく幼少時から訓練してきているのだ。

その観点から振り返ると、先ほどの会話は違和感だらけだった。
というか、まともな部分がひとつもなかったとすら言える。
アンドレがオスカルに結婚した方がいい、とほざいたのだ。
馬鹿げている。
明らかに不愉快な顔をしつつ彼女は考えた。
「彼は、もしわたしが他の男のもとに嫁いだら生きてはいけないだろうほどにわたしを愛してくれている。」
普通の女が言えば辟易しそうなほどの自信満々ぶりだが、オスカルの場合はいたって真面目である。
なぜなら、アンドレとともに暮らしてきた長い年月の記憶の全てが、アンドレの愛を証明し、オスカルの前に提示され続けているからだ。
あの失われた黒い瞳を日々直視している身として、彼の愛に疑問の差し挟む余地はなかった。

であるならば…。
あの発言の数々がアンドレによってなされたものであるはずがない。
「わたしのアンドレは決してあんなことは言わない。」
オスカルは、再び杯を満たした。
そしてグイッと勢いよく飲み干した。
「おのれ、フェルゼン…!よくも、よくも…。」
不可解な言動の理由はすぐにわかった。
オスカルはグラスを置いた。
そして呼び鈴をならした。
ぼとなく侍女がやってきた。
「食事を下げてくれ。それからアンドレをここに。至急だ。」
侍女は黙って頭を下げ、命令を実行するために小走りで退室した。

やがてオスカルの確信をさらに裏付けるように、呼び出されたアンドレはいたって平気な顔でやってきた。
これが本物のアンドレなら、さっきのオスカルの調子からして、相当用心深く探りを入れてからしか来ないはずだ。
長い屋敷勤めで構築した人脈をもって、オスカルの機嫌をはかり、何がもっとも効果的になだめ得るかを推察して、それから部屋の前で深く深呼吸し、やっとノックをする。
喧嘩をしたときのアンドレの常套手段だ。

だが、ニコニコ笑いながらやってきた男は、開口一番こう叫んだ。
「もう機嫌はなおったのか?さすが優秀な武官は感情のコントロールが見事だな。」
奥歯を思い切りかみしめてオスカルはこらえた。
知らずに握り拳になった両手がワナワナと震えている。
「さっきは悪かった。ちょっと頼みがある。」
出来る限り少ない言葉数で会話を続ける。
自分がすでに気づいていることを気取られてはならない。
やられたらやり返せ。
士官学校仕込みの負けん気がむくむくと頭をもたげる。

「ああ、なんなりと…。そういえば、礼服を頼まれていたのに、忘れてしまった。」
使用人にあるまじき発言である。
いかに無礼講で育ったアンドレでも、いや、アンドレなればこそ、オスカルの頼みを忘れたりはしない。
この男はアンドレを冒涜している。
オスカルはそれが許せなかった。

「礼服は、別のものに頼むからいい。おまえにはフェルゼン家に使いに言って欲しい。」
目の前の男の顔色が変わったのをオスカルは見逃さなかった。
くるりと男に背を向けると、文机に向かい、さらさらと一枚の書状をしたため、すぐに封筒に入れた。
途中で開けられないよう厳重に封をする。
それからきっと背中をおびただしい冷や汗でぬらしているであろう男に手渡した。
「これをフェルゼンに。おまえの手で直接届けるんだ。」
「な、中身は…?」
「昨夜、フェルゼンは父上に内密の用があって当家に来たと、おまえは言っていた。そうだな?」
舞踏会の日にちを間違えて来たと、プライドにかけて言えなかったフェルゼンは、確かそういう風に言いつくろった気がする。
「あ、ああ…。そうだ。そう聞いている。」
「そのことでちょっと確認したいことがあってな。フェルゼンに会いたいのだ。まあ、渡せば彼にはわかることだ。」
断固とした口調だ。
フェルゼンはもう一言突っ込みたいのをぐっとこらえた。
「今からか?」
「もちろんだ。大至急出発してほしい。この時間なら、もう屋敷に戻っているだろう。」
「もしまだ衛兵隊の方だったら?」
「そっちへ回れ。何があっても渡すんだ。」
「もしまだ眠っていたら?」

役務から逃れたいフェルゼンのひとことが、オスカルの心臓を直撃した。
アンドレが眠ったまま、意識が戻っていなかったら…。
そんな…。
うそだ、そんなことが…。
「そんなことはあり得ない。だがもしもそうだったら、フェルゼン家ではなく、ここへ連れてこい!いいな、必ずわたしの所へ連れてこい!!」
またまたえらい剣幕である。
「いったいわたしに何の用だろう。」
口には出さず、フェルゼンは首をかしげた。
完璧にアンドレになりきったと思っているフェルゼンは、用向きが気になって仕方がないのだ。
手紙は自分あてだから、途中で中身を拝見しても罪には成るまい。
そしてとりあえずフェルゼン家でアンドレに会うしかない。
だが、そうするとまたアンドレは入れ替わるために頭をぶつけようとするだろう。
それがいやだった。
だが、目の前のオスカルは苛立たしそうにこちらをにらみつけている。
仕方がない。
「わかった。すぐに行ってくる。」
フェルゼンは手紙を握りしめて部屋を飛び出した。
扉も閉めずに出て行く男の背中をオスカルが凝視していることはなどフェルゼンには想像すらできなかった。




















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舞踏会の奇跡

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