安易にろくでもない予想を口にすると、決まってその通りになるものである。
フェルゼンが、でまかせでオスカルに話したことが、現実になっていた。
オスカルの命を受けて自邸を訪ね、用件を口にするや、引きずられるように自分の寝室に連れて行かれた。
他家の使用人に対して破格の扱いである。
いくら自由闊達な家風を旨としてきたとはいえ、これはやりすぎだろう、と内心思っていると、自分の寝台で自分が静かに眠っていた。
側には蒼白の爺がぴったりと寄り添っている。
侍女たちもまたヒソヒソと必要最小限の言葉を交わすのみで、屋敷全体が陰鬱な空気にすっぽりと覆われていた。
オスカルがフェルゼンとともにジャルジェ邸に向かってから、いつまでたっても意識が戻らない主人に、ただごとではないと御者は思ったのだろう。
衛兵隊員の手を借りて眠ったままの主人を再び馬車に乗せ、とにもかくにも屋敷まで連れ戻ったらしい。

フェルゼンの身を案じる爺は、なんとかアンドレから事情を聞き出そうと、フェルゼンに詰め寄ってきた。
その忠誠心にフェルゼンは深く感動する一方で、これはえらいことになった、と事の重大さにようやく気づき始めた。
しどろもどろで、わけのわからない説明を試みるが、当然、爺は納得しない。
「わたくしもよく覚えていないのです。何せ馬車が揺れて強く頭を打って以降、記憶がなく、目覚めたときには衛兵隊の本部におりましたので…。」
「それは、御者からも聞いている。馬車がひどく揺れて、のぞいたら二人が気を失っていた…と。」
「その通りです。」
「だが、なぜ君がこんなに元気にしているのに、ハンスさまだけがこうして眠っておられるのか?悪いクスリでも飲まされたのか?ひょっとして君が…?」
爺の口元が震えている。
「まさか…!そんなことは絶対に…!!」
断固否定しながらも、言いようのない不安がフェルゼンにも伝染してきた。
もし、このままアンドレの意識が戻らなければ、自分はどうなるのだろう。
一生元に戻れないのだろうか。
よしんば、ここで強引にアンドレの頭に激突したとして、今度は自分が眠ったままになるのだろうか。
こんなことになるなら、素直に戻っておけばよかった。
後悔先に立たず。
彼は世界の格言を痛いほど味わっていた。

「それで、ジャルジェさまのご用件とはなんだね?」
きまじめな爺は、打ちしおれながらも、仕事はする。
「あっ…。手紙を預かってきたのです。何なら、ここで開けていただいても…。」
どうせ自分宛なのだから、という言葉はさすがに飲み込む。
「ふむ。致し方ない。場合が場合だからな。わたしが拝見しよう。」
誰もが予想しえない方向に事態は展開し、オスカルが厳重に封をした手紙はフェルゼン家の爺によって開封された。
ゆっくりと手紙を広げた爺は、すぐに首をかしげた。
「何だ?何かの暗号か?」
光にかざしたり裏返したりしたが、埒があかないらしく、ついにフェルゼンに救いを求めてきた。

「君はご主人さまからこの手紙について何か聞いているか?」
「いえ…。先日訪問されたときのことだ、とのみ…。」
「そうか…。だが、これでは対応のしようがない。困ったな。」
「失礼、わたくしにも拝見させて下さい。」
フェルゼンは強引に爺から手紙を取り上げた。
使用人の無礼な態度に眉をひそめながらも、爺は黙認してくれた。
この際、手紙の謎を解読するのが先決だと判断したのだろう。
フェルゼンが目に短い文が飛び込んできた。

「G線が切れたままだ。早く直してくれ。」

文章はこの二行だけだった。
頭の中を無数の疑問符が飛び交った。
なんだろう?
どういう意味だろう?
オスカルからフェルゼンに送る手紙としては、完全に中身が不明である。
フェルゼンは爺と目を合わせ、同時にため息をついた。
「お手上げだ。」
「君、もう一度ジャルジェさまに確認してきてくれないか。当家の主人はまだ目覚めず、従ってお返事のしようがないのだ、と。」
爺の言葉にフェルゼンはハッとした。
そうだった。
もしフェルゼンの意識が戻っていなかったら、そのままジャルジェ家に連れてこい、と彼女は言っていたのだ。
無論、この場にいたってそんなことは不可能である。
爺が大切なご主人様をこんな状態で他家に運ばせるわけはない。
とすると、またまた自分は仕事のできない無能者として、罵倒されるのだ。
何とかしなければ…。

フェルゼンは再び手紙を前に考え始めた。
G線…。
G線が切れたまま…。
オスカルとのからみを必死で思い出す。
G線というからにはバイオリンだ。
そう、彼女はバイオリンが得意だった。
若いときは、彼女の部屋でよく聞かされた。
だが、記憶はそこまでだ。
アンドレならもっと何かを知っているのだろうか。
彼も、部屋の片隅で一緒に彼女のバイオリンを聞いていたから…。

フェルゼンの想像は当たっていた。
もしここでアンドレの意識が戻ったなら、彼はすぐにも理解しただろう。
この手紙がフェルゼン宛ではなく、アンドレ宛であることを…。
この前切れたG線は、確かにそのままだ。
結婚話に動揺し、苦悩する彼女がめいっぱい張って切れてしまったG線。
ついでに自分の手の甲も切れて、大騒ぎだった。
傷の手当てに追われて、というか、それさえもG線とともに放り出してアンドレはオスカルの前から走り去った。
二人でいることの息苦しさに耐えかねて…。
それを直せ、という。
つまりは早く戻ってこい、ということだ。
アンドレが、オスカルに呼ばれて行かないでいることなどあり得ない。
オスカルは、だから、たった二行しか書かなかった。
書く必要がなかった。
目の前のアンドレを偽物と見抜き、本物のアンドレが直ちに戻れる手紙を書いた。
オスカルの目は確かだった。
たった1つの誤算は、フェルゼンになったアンドレの意識が戻っていないことだった。











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舞踏会の奇跡

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