聖夜の奇跡のその後
〜1〜
1787年のノエルが無事に終わってから一週間、フェルゼン伯爵は大変退屈な日々を送っていた。
なぜなら、この世のすべてとお慕いする王妃さまが、年賀の公式行事の準備に忙殺され、一向に逢瀬の連絡が来なかったからである。
こうなってみると、アンドレ・グランディエとして過ごした非日常的な日々が、無性に恋しくなった。
毎日がハプニングの連続で、次に何が起きるか予想もつかない、スリルとサスペンスの日々。
このときばかりは、つらい恋のことも忘れ、眠れぬ日々どころか、馬車でも司令官室の椅子でも、使用人用の固い寝台でも、一瞬で夢の世界に入れるほどだった。
何と言っても、使用人としての世界に、衛兵隊士としての世界というのは、フェルゼンにとって、全く未知の世界であり、しかも、オスカルにべったり付きそうわけであるから、精神的にも肉体的にも疲労困憊しつつ、彼はその日々がなかなか楽しかったことに、今さらながら気づいたのである。
まもなく年明けがやってくる。
独り身の上に、異国住まいとくれば、招待でも受けない限り、訪ねていくところもない。
オスカルとはもう会わない、と約束してしまったから、ジャルジェ家にも顔を出せない。
だが、もし再びアンドレに変身できれば、なんの気遣いもなくジャルジェ家で正月を過ごすことができるのである。
客人としてではなく、使用人としてではあるが、なんと興味深い設定であろうか。
一度考え出すと、そっち方向の思考が止められなくなってしまった。
アンドレには悪いが、もう一度変わってもらうわけにはいかないだろうか、
彼も、伯爵としてフェルゼン家でゆったりとした正月を過ごすのはなかなかおつなものだと思ってくれれば有り難い、と一方的に妄想が展開していく。
育ちの良い人間というのは、何事も悪意なく、自分に都合の良いように考えるもので、フェルゼンはそういう意味でも典型的に育ちの良い人間だった。
彼は一枚の手紙をしたため、侍女にことづけた。
無論、アンドレ宛である。
「身体が入れ替わっていたときに、重大なできごとがあったのだが、うっかりして伝えるのを忘れていた。今後に支障があってはならないゆえ、至急会いたい。ついては明日、例の場所に例の時間来られたし」
いかに育ちが良くても、正直に話してアンドレがああそうですか、と言ってくれると思うほどお人好しではない。
軍人の策略を最大限発揮して、アンドレが絶対断らない口実を考え出した。
こう言われれば、オスカル命のアンドレは必ずやって来る。
彼は、従僕として完璧だ。
つまり、主人のことで知らないことがあってはならないと思っている。
自分がそばにいないときに、どんな重大事があったのか、何があっても知りたいはずである。
続いて、フェルゼンは、爺の前でわざと咳をした。
アンドレに変わったとき、彼が風邪だと言って部屋に籠もれるように、という配慮のつもりである。
こんなことがアンドレにとって配慮と思えるわけはなく、ありがた迷惑以外の何者でもないのだが、おぼっちゃまというのは、そういうことは気づかない。
案の定、心配性の爺は、ゆっくりお休みください、と言ってフェルゼンを部屋にひとりにしてくれた。
これで夜が来れば、こっそり屋敷を抜け出し、宮殿に出向き、庭園の壁をよじのぼってアンドレを待てばよいわけだ。
我ながら見事な作戦である。
フェルゼンは、にんまりと笑った。
MENUNEXTTOPBBS