兵舎に戻るとディアンヌは夫や息子の安否を心配して待っていた飯炊き女達に、今日の一部始終を話した。
飯炊き女達は歓声を上げ、ディアンヌに抱きついた。
「あの人は無事なんだね!」
「あの子が無傷で帰ってくる!」
女達は口々に家族の無事を喜び、ディアンヌを抱きしめた。
「家から私のペチコートを持ってきてやるよ。その代わり、マケナイ城で翻ってるあんたのペチコートはもらったよ。あんたのペチコートの方がきっと上等に違いないから私ゃ得したよ」
ディアンヌはペチコートを受け取ると、誰もいなくなった炊事場の椅子に座り込んだ。
そして、今日の出来事を振り返ってみた。
兄達の後を追って、誰もいない地下道を通り、城の地下室から敵の参謀本部に侵入した。
そして、熱くなった銃に水をかけ、見様見真似で弾まで込めた。
最初はたどたどしかったが、慣れてきたら1分間に何丁もの銃を撃つだけの状態にできた。
次に自分のペチコートで敵の敗北を知らせ、戦闘なしにフランス軍を勝利に導いた。
ディアンヌはひとつ溜め息をついた。
夢の中のことかもしれないが、こんな冒険はもう二度とないだろう。
こんなに自分が誇らしく思えることも・・・。
ディアンヌはどうして、自分が「誇らしく」思えるのか、その理由について考えてみた。
兵士の命を救ったという事実もそうなのだが、それにもまして、オスカルも兄も王までもが自分を評価してくれた。
このことが自分をこんなにも晴れ晴れとした気持ちにさせてくれるのだ。
それは、花をもらうより、褒美を受け取るよりも嬉しく、自分自身の存在を明らかにしてくれる行為だった。
次にディアンヌは修道院での生活を思い出した。
そこには、たくさんの年頃の娘達が厳しい規律の元、一緒に生活していた。
先輩達は女には二つの自由を得る必要があると言っていた。
まず、親が自分の良い結婚相手を早く決め、この修道院から出してくれること。
これが第一の自由。
そして、愛してもいない、また愛してもくれない夫との結婚生活を体よくこなしながら、愛人を見つけ生きがいとすること。
これこそ第二の自由。
先輩達は母親を見習って、自分達も必ず二つの自由を手にすると豪語していた。
ディアンヌが結婚を楽しみにしていたのは、もちろん、そんなことのためではなかった。
結婚すれば家計は楽になり、男爵家との縁組ならなにかと実家の役にも立てる。
この貧乏な毎日の繰り返しに終止符を打って、生活を変えるにはまさに好機だった。
もちろん、気の弱そうなドゥトゥール男爵のことは嫌いではなかったし、相手も自分を気に入ってくれているようだった。
結婚という人生の一大イベントに他の娘同様の憧れもあった。
だが、今日のこの誇らかな一日と比べれば、なんと浅はかで惨めな決断だったのだろう。
ディアンヌは膝に両肘をつくと、手で顔を覆って泣き出してしまった。
どれくらいの時間泣いていたのか、ディアンヌは涙が枯れ果てると、すっくと立って厩で帰り支度をしている兄のもとに走った。
「おにいさん!」
そのいつになく、思いつめた妹の声と表情にアランは手を止めた。
「おにいさん、私、結婚したくないの!私が結婚すれば口減らしにもなるし、家のためにも役に立てると思うけど、でも今は結婚したくないの」
アランは突然の妹の言葉に唖然とした。
「私、私・・・自分が特別なことができるなんて思ってないわ。でも、結婚するなら本当に私を必要としてくれる人と結婚したいし、まだお母さんやお兄さんと一緒に暮らしていたいの。だから・・・」
ディアンヌの枯れ果てたと思っていた涙はまたしても、溢れ出した。
アランはいたたまれずにディアンヌに駆け寄り、胸に抱きしめた。
「口減らしなんて・・・口減らしなんて情けないことを言うな。おまえ達が食べるぶんくらい俺がなんとかする。結婚も断ってやる。だから泣くな」
アランは「扉」をくぐる前にみた夢の意味を理解した。
ディアンヌの涙が結婚後のそれではなくて、本当によかった。
いまなら、まだ取り返しが付く。
アランがディアンヌの背中をさすっていると、着替えをすませたオスカルとアンドレが厩に入ってきた。
「ディアンヌ嬢、もし働きたいのなら家の者に言ってどこかよいところを探させよう」
「そうだ、ラソンヌ先生のところも人手不足らしいし、この間行った金物屋も売り子に辞められ困っていると言っていた」
アンドレも口を添えた。
兄の胸から顔を離したディアンヌは涙を手で拭うと、オスカルとアンドレを振り返った。
「どちらにしろ、元の世界に帰らなくてはな」
オスカルはディアンヌにウィンクを贈ると馬の手綱に手をかけた。
四人は二頭の馬に乗り、最初にたどり着いた納屋の持ち主である農家を訪ねた。
「ムッシュウ、私達は旅の者だが、今晩一晩だけ納屋に泊めてもらえないだろうか」
アンドレの言葉に年老いた農夫は、気持ちよく承諾の返事をくれた。
納屋に案内されたオスカルは二階の扉について聞いてみた。
「ああ、あれは昔、隣にもうひとつ納屋が建ってまして、そことつながっていたんです。今は開かないように釘が打ってありますが」
「ムッシュウ、この辺りには宿もないようですので本当に助かります」
「いえいえ、こんなところでよければどうぞ、どうぞ」
農夫はそう言うと、腰をさすりながら出て行った。
四人は目を合わせると、二階への階段を上っていった。
扉を打ち付けてあったという釘は、入ってきたときに抜けてしまったらしく下に落ちていた。
そして、アンドレがその扉を開くと、まだ日も沈んでいないというのにそこには暗闇が広がっていた。
「さあ、オスカル!」
アンドレがオスカルの手首を取ろうとすると、オスカルはディアンヌを振り返った。
「ディアンヌ嬢、これはあなたに」
そう言うとオスカルは上着の襟から薔薇のブローチを取り、ディアンヌのローブの胸につけた。
「あなたの勇気への勲章です」
ディアンヌはオスカルの目をまっすぐに見返し、微笑んだ。
「じゃあ、行くぞ!オスカル!」
「ディアンヌ嬢!」
「おにいさん!」
四人は来たときと同じように手をつなぎ、暗闇の中に躍り出た。
「いったい、誰だったんだい?」
家に戻った農夫は妻に来客四人の様子を説明し、納屋に泊めることにしたと伝えた。
夫の言葉に妻は目を丸くした。
「あんた!そりゃ、平和ヶ原の戦をくい止めたっていう四人じゃないのかね!?」
「そういや、一人は見事な金髪、一人はえらく男前、もう一人はもみ上げ、そして娘もいた」
「あんた!王様に褒美をもらうような人達を納屋なんかに泊めたら、私達があとでおとがめをもらっちまうよ!!」
「だが、こんな小さな家に四人も泊められないだろう」
「バカだね!私達二人が納屋で寝るんだよ!」
老夫婦二人は慌てふためいて納屋まで走った。
農夫が扉を開けると、そこにはおとなしく二頭の馬がつながれていた。
「あれ?いない」
納屋の中を見回すが人の気配はなかった。
そして、馬の鞍に手紙がはさんであるのを妻が見つけた。
『一泊のお礼として、この馬、二頭をお受け取り下さい。』
「一泊って言ったって、まだ泊まってもいないのに・・・」
農夫が不思議がっていると頭上からパタンパタンという音が聞こえてきた。
見上げると釘で打ちつけてあったはずの扉が開いてしまっていた。
老夫婦は手すりにつかまりながら、ゆっくりと二階へと上ってみた。
釘は扉の下に散らばり、扉の外の青空はいつしか真っ赤な夕焼けに変わっていた。
―完―
映画「FANFAN LA TULIPE」の製作者、出演者の方々に感謝を込めて
(10)
オンディーヌさま作