フランス軍の拍手と歓声の中、オスカル達四人は迎えられた。
アランは以前、酒をおごってやった兵士達にもみくちゃにされるほどの抱擁を受けた。
納まるところを知らぬ歓声の中、オスカル達は王に謁見を願い出るために進んだ。
どうしても叶えてもらわなくてはならない願いがあった。
だが、謁見を願い出る前に、四人は近衛兵により見つけられ王の御前へと案内された。
王は満面の笑顔で迎え、その後にはポンパドゥール夫人が控えていた。
そして、少し離れたところに繋がれたハンスはとろんとした目で褒美のえさをむしゃむしゃと食べていた。
「よくぞたった4人で城を攻め落とし、我が軍を勝利へと導いた」
「戦は時の運でございます」
王は満足げに4人を見渡し、オスカルは伏目がちに願い事を申し出るチャンスを待った。
すると奥から、侍従長が金のフリンジの付いた深紅のクッションに金の小箱を載せ、うやうやしく王の横まで運んできた。
「これは世がいつか目覚しい勲功をあげた者に贈ろうと、ポワトロに作らせたものである。まさに、今回の奇跡のような奇襲攻撃により我が軍に勝利をもたらしたジャルジェを名乗るオスカル・フランソワに贈るに相応しい」
オスカルは王の前に進み出たが、その金の小箱を前に息を飲んだ。
それは、4色の金を使い、花や木の枝のふち飾りの中に兜、鎧、剣、盾、旗、太鼓にラッパというありとあらゆる武具が見事な彫金細工で施されているものだった。そして、ダイヤモンドと緑石までもが嵌め込まれていた。
これを作ったのはドミニク・フランソワ・ポワトロなのだが、その財を提供したのはまぎれもなく、苦しい生活の中、税を納めたフランス国民だった。
オスカルが受け取るのを躊躇していると、ポンパドゥール夫人が受け取るよう視線で合図を送った。
オスカルはその嗅ぎ煙草入れを両手で受け取ると一歩退いて深々とお辞儀をした。
「他に欲しい物があるのなら、申してみよ」
「陛下、ひとつだけお願いがございます。私達3人を除隊に、そして飯炊き女1人を解雇していただきたく存じます」
王は一瞬、その顔色を曇らせた。
「世に仕えるのを不服と申すか?」
「いいえ。陛下にお仕えする日は必ず、再びやってまいります。ですが、今は・・・」
オスカルはそう言うと、ディアンヌに近くに来るよう合図した。
「今は、この娘との結婚のためいったん、故郷に帰り盛大な婚礼を挙げたいと存じます」
そう言うと、オスカルはディアンヌをふわりと抱き上げた。
明るい陽射しの中、オスカルの金髪が風になびき、抱き上げられたディアンヌは頬を染めた。
平和ヶ原の緑と抜けるような青空に浮かぶ白い雲、青い瞳と金髪の美青年に黒髪の乙女。
あとはバックに木々と花々、そしてキューピットを添えたなら完璧な一枚の絵。
さらに花とリボンでふち飾りを付けたなら、一枚のタピストリー。
王といえども、どうしてこの若き二人の幸せを先送りにさせることなどできようか。
王は眩しそうに二人を眺めると微笑んだ。
「よかろう!確かに、男には値のつけられないほどの美術品よりも一人の女の方が大切な時がある」
そう言って、王はポンパドゥール夫人をちらりと見た。
「そなた達三人を除隊とし、その娘を解雇とする。だが、いつの日か必ず、世の元へ戻ってまいれ」
「はい。いつか必ず」
王の後では、ポンパドゥール夫人が満足そうにオスカル達を見守っていた。
オスカルはハンスを王に返すことにして、御前を下がった。
ハンスは普通の馬よりも咀嚼にかかる時間が長いのか、まだ口をむしゃむしゃと動かしていた。
「こいつの面は馬っていうより、ラクダだな!」
アランが笑うとハンスは下がっていたまぶたの片方を持ち上げ、チロリとアランを見た。
「ハンス、おまえは間違いなく名馬だ」
オスカルはハンスの首に腕を回し、もう片方の手で身体を撫でてその労をねぎらった。
ハンスは持ち上げたまぶたを再びとろんと下げ、さらに顔面の筋肉すべてから力を抜いた。
「まったく、ディアンヌだけじゃなく馬まで隊長にデレッとしやがって!」
ぼやくアランの肩にアンドレが笑いながら腕を回した。
やっと帰途につく算段のついた四人は、待たせてある二頭の馬の方に向かって歩き始めた。
しばらく歩くとアンドレは後から近寄る人の気配に気づいて振り返った。
「オスカル!」
アンドレの表情と声音にオスカルはそれが、一番会いたくなかった人物だと悟った。
「待たれよ!!」
この声にも聞き覚えがあった。
オスカルは覚悟を決めゆっくりと振り返り、その男と目を合わせた。
そこには、子供の頃に見覚えのある父の姿が、そして、まだ見たこともない娘の姿があった。
『父上!・・・お顔にほうれい線がありません・・・!』
『・・・なんと!!この顔立ち、瞳の色、まさにジャルジェ家の血筋!』
父子はお互いの驚きを胸に、しばらく見つめ合っていたが父が先に口を開いた。
「そなた、ジャルジェを名乗っていると聞いた」
「はい。ジャルジェ将軍とお見受けいたします。ジャルジェ家は約200年前、アンリ4世陛下に仕えていた時代に枝分かれしております。そして別の姓を名乗るようになった一族は隣国とも縁組を結びながら、軍事だけでなく、貿易、金融、商業と手広く事業を拡げ繁栄をとげてまいりました。ただ、私になって色濃くジャルジェ家の特徴が出たので、私だけジャルジェを名乗るようになりました」
オスカルはすらすらと自分の素性をでっち上げた。
「なるほど・・・。しかも、我が六女と同じオスカル・フランソワという名だとか?」
「女に男の名を?」
オスカルは方眉を少し上げ、小首を傾げてみせた。
「酷だと思われるかもしれんが、王家の軍隊を統率するジャルジェ家は、たまたま男子に恵まれず、苦肉の策として私が決断した」
「酷かどうかは本人にしか分かりません。それに、どのようにお育てになっても最後はご息女自身が、その人生を選ばれることでしょう」
「ふむ。そうかもしれん。ただ、家のための決断とはいえ、取り返しのつかないことをしてしまったような気になることがある。普通に娘として育てていれば、いずれ幸せに結婚していっただろうに」
父は今まで見せたことのない弱気な表情を垣間見せた。
「男にとってそうであるように、女にとっても結婚がすべてではありますまい」
この父子の会話を、オスカルの後でアンドレとアランとディアンヌが聞いていた。
「女にとって、結婚がすべてではないと?」
父の問いに答える前にオスカルはディアンヌを自分の横に呼び寄せた。
「はい。私はこの未来の妻だけを生涯、愛しぬきます。ですが、妻を家の中に閉じ込めておく気はありません。ディアンヌにはディアンヌにしかできない何かがきっとあるはず。まして、ディアンヌは2万の兵を助けた勇者です」
オスカルはにっこりと微笑んだ。
「ふむ。ディアンヌ嬢、あなたはよい夫に恵まれたようだな」
ディアンヌは膝を折って応え、オスカルは一礼して将軍に背を向けた。
「オスカル!」
将軍はさらに呼び止めた。
「ジャルジェ家の養子にきてもらえないか」
オスカルはゆっくりと将軍に向き直った。
「将軍、ひとつ、お尋ねいたします。王と国とどちらが大切とお考えになりますか」
「言うまでもない。王あっての国である」
「私はそうは考えません。王が国や国民の生活をかえりみなければ、やがて王室は時代の波に飲み込まれてしまいます」
「乱世がやってくると?その時は、王室のために戦ってくれるのではないのか?」
「王室に真実があれば王室のために戦います。ですが、そうでなければ私はその真実のために戦います。いずれ、袂を分かつかもしれない将軍のもとへ私は参れません」
将軍は予期せぬ答に口をつぐんだ。
見つめ合う父子の間をやや冷気を帯びた午後の風が一陣、吹き抜けた。
そして、オスカルの後では口をぽかんと開けたままのアランが立ち尽くしていた。
「そうか。ではいたしかたない」
言葉の真意を計り知れぬまま、将軍はやっと娘に言葉を返した。
「将軍」
今度はオスカルの後に影のように立っていた黒髪の男が口を開いた。
「ひとつ、お願いがございます」
将軍は、その柔らかな声音を放つ男に視線を移した。
「今度のノエルの休暇にはぜひ、できるだけ長い休暇を兵士達にお与え下さい」
そう言って、その男は微笑んだ。
「アンドレと申したな。よかろう。そのように王に進言してみよう」
将軍の言葉に4人はお辞儀をすると、その場を去った。
しばらく歩くとアランがディアンヌを押しのけてオスカルの横に立った。
「隊長!さっき、将軍に言ったことは本心ですか!?」
それまで、口元をきゅっと引き結んでいたオスカルはアランを見て寂しげに微笑んだ。
「アラン、ここは夢の中だ。忘れろ」
「そうだ。そろそろこの夢から現実に帰らなきゃな」
アンドレがアランの肩を叩いた。
「なんだ、おまえはいつも隊長のオウムみたいに!」
アランがアンドレにかみついていると、遠くからハンスのいななきが聞こえてきた。
「ブヒヒヒヒーン!!」
四人は顔を見合わせ、微笑むと平和ヶ原を後にした。
(9)
オンディーヌさま作