オスカルはいったん、地下室に下りると上の状況を他の二人に説明した。
「敵の参謀達は会議に熱中している。まさか、敵が床下から這い上がってくるなど想像もしていまい」
そう言うとオスカルはにやりと笑った。
そして再度、床石をはずすと、最初にオスカルが、続いてアンドレとアランがテーブルの下に這い上がった。
三人はタイミングを見計らうべく、顔を見合わせていたが、オスカルが小声で合図をかけた。
「アン、ドゥ、トゥロワ!」
次の瞬間、軍用ブーツの間をくぐり抜けた三人は音もなく将軍達の背後に回り、オスカルとアランは彼らの腰から銃と剣を奪った。
そして、アンドレはフラントブルグ元帥の首に短剣を突きつけた。
「武器を捨てろ!!」
普段、おとなしい人間の豹変振りほど怖いものはない。
将軍達はただの脅しではないと悟ると、残りの武器を次々と床に投げ出した。
オスカルとアランは将軍達を後手に縛り、最後にフラントブルグ元帥も縛り上げると隣室に閉じ込めた。
アンドレは大テーブルを押すと、扉の前にぴたりと付けた。
兵が出陣した後とはいえ、さすが、参謀本部。
部屋の中にはマスケット銃が何十丁も残っていた。
それを出窓にずらりと並べると、次々と外へ向かって連射していった。
今回も敵を狙う必要はなかった。
狙うよりも多く撃って、こちらの人数を多く見せかけることが肝要だった。
一丁の銃を10発以上、連射すると銃身が過熱して持てなくなる。
そうなった銃を三人は部屋の中央へ投げ捨てていった。
夢中で連射していたが、アランはふと部屋の中に気配を感じ、振り返った。
そこには、いるはずのないディアンヌが地下室に石を積み上げて、自分達と同じように這い上がってきていた。
「ディ、ディアンヌ!なにをしてるんだ!?」
と、叫んでみても来てしまったものはしょうがない。
「ディアンヌ嬢、流れ弾に当たる!身を伏せて!」
オスカルも気遣ったが、敵は慌てふためいており打ち返してくる余裕などないようだった。
「ディアンヌ嬢、その銃に水差しの水をかけてくれ!」
手持ち無沙汰にしているディアンヌにオスカルが声をかけた。
だが、水で銃身が冷えるとディアンヌは兄たちの真似をして、弾まで込めだした。
薬包を口で噛み切ると、コックを引き火皿に点火薬を入れ、銃口に弾を挿入して込め矢で押し込む。
こうして、撃つ準備のできた銃を、身を伏せながら出窓に置いていった。
敵城に潜入した兵士は、こうして三人から四人に増えた。
オスカルは残りの銃を小脇に抱えると二階に駆け上っていった。
そして、南、東、西の出窓に数丁ずつ並べると、二階からも連射した。
「参謀本部が敵に占領されたぞー!!」
「平和ヶ原に早く、知らせろー!!」
「元帥殿が捕らえられたぞー!!」
城に残っていた兵士達は残らず、逃げるか平和ヶ原に向けて走り去った。
その間、小部屋に閉じ込められていた敵の将軍達は縛られたまま、お尻でなんとかドアを押し開けられないものかと奮闘していた。
だが、一人の将軍が手にかけられたロープを解くことに成功すると、次々と他の将軍達のロープも解かれていった。
こうして、身体の拘束を解かれた敵の参謀達は重いテーブルで塞がれたドアをみんなで押し、なんとかかんとか人一人通れるだけの隙間を作り部屋から逃げ出した。
そして、部屋の出口でそれぞれ剣を取り戻すと城の玄関に向かおうとした。
撃つのに夢中なアンドレとアランは気づかなかったが、ディアンヌが声を上げた。
振り返ったアンドレは将軍達の足元に向けて銃を放った。
一瞬、ひるんだ将軍達の隙をついて、アンドレがすかさず回りこんだ。
行く手を阻まれた将軍達は、今度は方向を変え、二階へと続く階段を駆け上った。
二階ではオスカルがそんなこととは知らず、一人で闘っていた。
今度はアンドレが自分の判断が誤りであったことを悟り、青くなった。
敵に逃げられるよりも、オスカルのいる方向へ行かれる方が、はるかに都合が悪かった。
「オスカル!!敵が二階へ逃げたぞ!!」
アンドレの言葉は銃声でかき消されてしまったが、外へ向けてではなく、明らかに室内での銃声、そしてアンドレの叫び声。
明らかに異変が起こったに違いないと理解したオスカルは、部屋の入り口に向けて銃を構えた。
そこへ飛び込んできた、将軍達はこれまた慌てて方向を変えた。
今度は二階の屋上に逃げた将軍達をオスカルが、続いてアンドレとアランとディアンヌまでもが追ってきた。
空はあくまで青く、遠く彼方の平和ヶ原ではフランス軍とプロイセン軍が決戦の時を待っていた。
フラントブルグ元帥と将軍達、計8名は追ってきたオスカル達に向けて剣を構えた。
オスカル達には銃も剣もあったが、敵は剣のみだった。
数では相手が有利、武器においてはこちらが有利。
しかし、敵とはいえ名だたる名将ぞろい。
ここは公平にと、オスカルとアランは銃を捨てた。
アンドレも同じように銃を捨てようとしたが、やっぱり万が一に備え、腰に戻した。
青空の下、剣を交える音が響き渡った。
相手が名将ぞろいなら、こちらは四半世紀後には異国にもその名を轟かせることになる近衛連隊長オスカル・フランソワとフランス衛兵隊きっての剣の使い手アラン・ド・ソワソン。
まず一人が腕に傷を負い、もう一人が足を切られ戦力からはずれた。
勢いにのってもう二人もその場に倒した。
しかし、残った将軍ほどその力は強く、オスカルとアランを押し返してきた。
四人の敵に囲まれた二人は背中合わせになり、反撃の機をうかがっていた。
アンドレは少し離れたところで、ディアンヌを守りながら自分の出番を待った。
すると、ディアンヌがアンドレの上着の裾をつんつんと引っ張った。
見下ろすと座っているディアンヌがアンドレに望遠鏡を差し出している。
どうやら、司令官室から持ってきた望遠鏡で平和ヶ原の様子を見ろということらしい。
味方の二人がとうてい負けるとは思えないアンドレは、促されるまま望遠鏡の焦点を平和ヶ原に合わせた。
両軍はまんじりともせず、にらみ合っていたが、やがて、フランス軍の大砲の位置が動かされ始めた。
「オスカル!!まずい!!戦闘が始まってしまう!!」
いつまで待っても来ないプロイセン軍の参謀達をおいて、じれた両軍はまさにその戦いの火蓋を切ろうとしていた。
「ディアンヌ嬢!ペチコートを脱いで下さい!!」
オスカルの声にディアンヌは驚いて立ち上がった。
「なっ、何を言ってるんだ!?このヤロー!!」
言葉の意味を理解しきれないアランは背中越しに、上官に向かって、暴言を吐いた。
オスカル達を囲んでいた4人の敵の剣先もやや下がった。
「あなたの勇気に2万のフランス兵の命がかかっているのです!城が落ちたと白旗を!」
「ディアンヌ、淑女としてのたしなみを忘れるな!」
ディアンヌは至近距離にいたアンドレと目を合わせていたが、アンドレも驚いた表情のままだった。
しかし、ディアンヌの顔に決意の兆しが見えると、アンドレはとたんに身を翻して背を向けた。
ディアンヌは臆することなく、スカートをたくし上げるとペチコートを引き下げた。
ディアンヌの陽に透けるような白く細い足首がちらりと見えると、敵四人の剣先はますます下がっていった。
「見るんじゃねー!!このヤロー!!」
まさに反撃の機だった。
オスカルとアランは打ってでると、敵の名将四人を追い詰めていった。
その間に、アンドレはパタパタとはためいているプロイセン軍の旗を引き降ろした。
そして、代わりにディアンヌが自分のペチコートをくくりつけた。
こうしてどこまでも青い空に、敵の敗北を意味する真っ白なペチコートが掲げられた。
一方、こちらは平和ヶ原。
軍の先頭に立つプロイセン軍の若き将校達はいつまで待っても来ない、自分達の参謀達に苛立っていた。
「いくら勝ち戦とはいえ、フラントブルグ元帥達はなにをしておられるのか!?」
「もう、我らだけで戦いを始めましょう!!」
フランス軍もそうとう、頭にきていた。
「これだけ我らをじらせるとは、プロイセンは戦う気があるのか!?」
「陛下、もうこちらから戦いをしかけましょう!!」
「先に突っ込めば、敵の大砲の射程距離に入り、多くの兵を失います」
ジャルジェ将軍だけが冷静に戦いの時期ではないことを主張していた。
「では、我が軍の大砲を先に前へ出せ」
しかし待つのに飽きたルイ15世はとうとう、決断してしまった。
「大砲を前へ!!」
命令は即座に伝えられた。
ジャルジェ将軍は負け戦を確信し、静かに目を閉じた。
その時だった。
一人の将校が敵の異変に気がついた。
「敵の陣形に乱れが生じております!」
王と将軍達は即座に望遠鏡を取った。
確かに、敵の陣形の中央に亀裂が入り、どよめきが起こっている。
すると、その亀裂から一頭の馬が姿を現した。
その走る速度はアフリカの平原でガゼルを追うチーターのようであり、その容貌はといえば見開かれた目は血走り、口は耳までも裂け、まるで地獄から這い上がってきた悪魔の使いのようであった。
しかも、その馬の脇腹にはブルボン王朝の旗が掲げられていた。
「あれはハンスではないか!!」
王は自分の愛馬の名を口にした。
そう、ハンスは寄り道もせず、道にも迷わず、オスカルの命令どおりに元の主人のところに戻ってきたのだった。
敵軍のところへは、ハンスを追ってきた兵士達がフランス軍の奇襲を伝えた。
「敵は後にも迫っているかもしれません!」
さらに遅れて、別の兵士達が悪い知らせを運んできた。
「城が敵に占領されました!」
「フラントブルグ元帥はじめ、我が軍の将軍達はすべて捕らえられました!」
「後から迫っているのはスイス軍かもしれません!」
戦争経験の少ない若き将校達は度肝を抜かれた。
そして、落ちたと伝えられたマケナイ城に望遠鏡を向けた。
フランス国王とフランスの将軍達も同じようにマケナイの城を確かめるために望遠鏡を覗いた。
そこには、間違いなく白旗が掲げられていた。
「たっ、退却ーっ!!」
プロイセン軍は慌てふためいて撤退し始めた。
しかし、陣の最前列の兵士達は長引く戦争と緊張に疲れ果て、武器を投げ出しフランス軍の方へ歩き出した。
もう、戦の勝ち負けなどどうでもよかった。
追っ手に怯えて逃げるよりも、敵に一時、身を預けてでも早く故郷に帰りたかった。
シュレジェンの奪回だとか、植民地支配を巡るヨーロッパ諸国のいざこざだとかは、勝手に戦争を始めた王侯貴族にとっての大義。
もう戦の意味さえ忘れてしまうほど長引いている戦争にこれ以上付き合わされるより、自分の身を守り一日も早く、妻の顔、さぞかし大きくなっているだろう子供の姿を確かめることこそが兵士達にとっての大義であった。
しかし、これにはフランス軍も驚いた。
「一人の兵も失わず勝利した挙句に、敵兵と敵兵の投げ捨てた武器まで手に入るというのか!」
フランスの将軍達はこの棚ぼた式の勝利に唖然とし、口々にまだ見ぬ、オスカル・フランソワの武勇を称え始めた。
プロイセン軍の撤退をマケナイの城から確認したオスカル達は城を捨てると、林に繋いでおいた馬を探した。
二頭の馬は逃げることもなく、木陰でおとなしくオスカル達を待っていた。
アランは自分の馬の前にディアンヌを乗せ、アンドレはオスカルと二人で馬をまたぎ、平和ヶ原へと向かった。
「おにいさん、私、2万の兵隊さんの命を救ったわ」
ディアンヌはそう言うとにっこりと笑い、兄の胸に頭を預けた。
「そうだ、おまえの手柄だ」
やがて嫁ぎゆく妹の誇らしげな笑顔がまぶしく見えるのは、木漏れ日のせいなのか。
四人は馬を急がせることもなく、日差しの中を作戦の成功を噛み締めながらゆっくりと進んだ。
(8)
オンディーヌさま作