書き上がった遺言書を封筒に入れようとしたところに、パタパタと足音がして、将軍は顔を上げた。
いったん両袖机に封筒を置き、扉の方に目をやると、ノックもなく双子が入ってきた。
椅子に座る将軍の傍らで控えていたアンドレがあわてて駆け寄り、二人を抱きとめる。
「こらこら、勝手に入って来ちゃだめだよ」
その優しい声にかぶせてオスカルが「何の用だ?」と肘掛け椅子から立ち上がった。
それがまるで部下を問いただしているようで、将軍は苦笑する。
昔、自分が子どもたちに同様の対応をしていたとは、思いもしない。
双子はするりと父親をかわすと祖父の前に進み出た。
「ん?」
言葉にはせず問いかけてやる。
なかなか慈悲深い対応だと自分で悦に入る。
「おじいさま」
先に口を開いたのはノエルだった。
「お聞きしたいことがあります」
無論将軍は声で聞き分けたのではない。
ミカエルが寝間着のままだから、そうでないほうをノエルだと判断したまでだ。
その寝間着の方が聞いてきた。
「ぼくに何かご用だったんですか?」
意外にしっかりとした口調だ。
「どうしてそう思う?」
ゆっくりと尋ねた。
「だってぼくに向かってミカエルかって聞いたじゃないですか?!」
答えたのはノエルだ。
またもや回答者が入れ替わる。
将軍は苦虫を噛みつぶす。
この際、無視だ。
ミカエルに向けた顔をそのままにして再び問いかけた。
「そうだと答えたら?」
ミカエルは一度息を吸いこんでから答えた。
「なんのご用が教えて下さい」

家督を譲りたかったのだ。
ジャルジェ家の全てを継がせたかったのだ。
心の中で繰り返す。
言おうか。
言うまいか。
こんな子どもにわかるのか。
逡巡の時間がわずかにあった。
その隙にオスカルが口を挟んだ。
「おじいさまはミカエルにご自分のものを全部やるとおおせだ」
身も蓋もない。
あれほど長く懇切に語って聞かせた思いを、そんなに簡潔にくくるのか。
思わず拳を握りしめる。
「へえ~!おじいさまのものって何があるの?剣とか?鎧とか?」
ノエルが興味津々で祖父に近づく。
肝心のミカエルはキョトンとしている。
「まあ、そんなようなものだ」
オスカルはしれっと答えてやっている。
冗談ではない。
家宝として剣や鎧もあるが、土地や爵位や、称号や諸々のもっと大切なものすべてを譲るという大決心だ。

「いいなあ!ぼくも欲しい!どうしてミカエルだけなの?」
アンドレがあわてて制止しようとしたが、ノエルは将軍に向かって臆することなく質問を重ねた。
「ぼくも剣や鎧がほしいです!今使っている剣もおじいさまからの贈り物だと聞いてます。もし2本目があるなら、ぼくもそれで稽古したいです!」
ノエルはきっぱりと言い切った。

将軍が絶句していることが、アンドレにははっきりと見て取れた。
娘ばかり6人続いて、末娘を男として育てた将軍ではあるが、男が生まれたのなら、その子に全てを譲ると、当然のように考えていたのだろう。
まさか女のノエルが相続権を主張してくるとは想定外だったはずだ。
「そ、そ、そうか…」
剣の稽古をしたいと言われて、嬉しさ半分戸惑い半分でもごもごしていると
「ぼくだけじゃなくてノエルにもあげて下さい!」
と、ミカエルも加勢した。
今日初めて聞くはっきりとした口調だ。
「う、うむ…、いや…」
そう簡単には…と将軍はさらに口ごもった。

「なるほど!確かにその線もないことはない」
オスカルが肯く。
「ば、ばか者!爵位を継げるのは一人だけだ」
ついに将軍は大声を出した。
貴族の位や財産は、基本的に跡取り、それも一般的には長男が単独相続するのが通例だ。
いちいち兄弟で分けていたら土地などは3代もたてば細分化されてなくなってしまう。
まして爵位は分けられない。
「先程もお話ししましたが、もう国王がおられないのです。爵位も領地もない。あるのはお手元の宝物類のみ。そしてジャルジェ家では宝物といえば装飾品ではなく剣や鎧でしょう。父上、ノエルが欲しいと言うならノエルにやればよろしい」
オスカルに滔々と説かれ、将軍は言葉に詰まった。
その通りなのだ。
渡すものがないのだ。
だが、将軍はミカエルに自分のものを譲りたかった。
そのために海を越えてイングランドから来たのだ。

「おじいさま、おじいさまの持ち物に書物もありますか?」
ミカエルがつぶらな瞳で聞いてきた。
「ぼくは剣より書物のほうがほしいです」
「な、なんだと?」
将軍の眉がつり上がる。
と、同時に「名案だ、ミカエル」とオスカルが絶賛した。
「銃剣類はノエルに、書物類はミカエルに。いかがです?あるものを分ける。ないものは継げませんからな」
そう言って高笑いするオスカルの袖を、アンドレが恐る恐るひっぱるが、オスカルはうるさいとばかりにはねのける。
「アンドレ、遺言書の書き直しだ。新しい紙を持ってこい」
アンドレは将軍の顔色をそっとうかがう。
つり上がった眉はそのままに、眉間がひくひくと痙攣している。
やばい。
だが、オスカルはおかまいなしだ。

そし双子は次々に祖父に質問を続ける。
「おじいさまって、何本くらい剣を持ってるんですか?」
「外国のお話とかもありますか?」
「銃もあるんですか?」
「童話もいいけど神話も読んでみたいです。ありますか?」
誰かが制止しなければ際限なく続きそうである。
「おお、おじいさまは全部持っておられるぞ。剣も銃も手放してはおられないはず。書物もベルサイユの屋敷からバルトリ侯の屋敷に全部運ばせたと姉上から聞いている」
オスカルは大乗り気で父に代わって返答する。
将軍は言いたいことがあるようだが、うまく言葉にできないらしく、口をパクパクとしたままだ。
そのうちにアンドレが新しい紙を机に置いた。
羽ペンも渡された。

先程書いた遺言書の文章にノエルの名前を足して日付けを入れた。

我がすべてのものを死後、ミカエル・グランディエ・ド・ジャルジェとノエル・グランディエ・ド・ジャルジェに譲る。
1797年1月5日 
フランソワ・オーギュスタン・オーギュスト・レニエ・シュバリエ・ド・ジャルジェ

書き上がったものをオスカルが横からかっさらい、確認する。
「完璧だ」
そう言いながら、前のものを破り捨てた。
将軍はもう言われるままだった。
なんでこんなことになっているのか。
ミカエルにすべてを譲るつもりではるばる海峡を越えてやってきたのに。
1枚の、いや2枚の遺言書を書かされて、1枚は破棄されて、それだけで日が暮れようとしている。
しかも内容は、ミカエルとノエルの分割相続だ。
爵位はどうするのだ?
称号はどうするのだ?
だが、それを言ったところで笑われるだけだ。
もうフランスに王はなく、従って貴族もない。
だから爵位も称号もない。
ないものは譲れない。
譲れるのは形ある物だけだ。
そう思うと肩の力が抜けた。
こんな遺言状になんの意味があるというのだ。


「おまえたち、ほしいものがあれば、今すぐにやろう。なにもわしの死後という必要は無い。ミカエル、読みたい書があればバルトリ侯の屋敷に行って探すが良い。ノエル、もう少し大きくなってイングランドに来られるなら、いつでも取りに来い。ジャルジェの紋章が入った銃剣はすべて運び出してある。どれでもくれてやるぞ」

祖父の言葉に双子は驚喜した。
ノエルは興奮してしまい、父にいつになったらイングランドに行って良いか足をバタバタさせながら聞いている。
ミカエルはミカエルで、明日にでもバルトリ侯爵のお屋敷に連れて行ってと母にせがんでいる。
そして双子は深々と肘掛け椅子に座っている祖父の膝にそろって飛びついた。
「おじいさま、ありがとうございます!」
きれいにそろった声が、将軍の両方の耳元に響く。
「おじいさま、大好き!」

時代は変わりゆく。
そして人も変わりゆく。
オスカルとアンドレは、将軍のまなじりが一気に下がり口元がほころんだことを見逃さなかった。










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変わりゆく…
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