バルトリ侯が言ったとおり、セーヌ川は翌夕になって、蛇行にあきたかのように、まっすぐ西へ流れ始めた。
上流から下流へ、ただ流れに任せておけば、船は自然に目指す地へ向かう。
蛇行の間、せわしく操舵に携わっていた水夫たちは、一様に安心した表情を浮かべ、手の空いたものたちは、甲板に座り込んでカード遊びまで始めた。

日中のきつい日差しをさけて船室にいたオスカルとアンドレも、夕方になって甲板に出てきた。
見渡せば、パリ近郊とはまったく違う景色が広がっていて、色彩のあざやかさに目を奪われる。
川筋ではあまり見かけぬ大きな船ゆえ、岸辺で遊ぶ子どもたちが、小さな手を振る光景がたびたび見られた。
いかつい大男たちは、そのたび、律儀に手を振り返していて、アンドレはそのほほえましさに、つい口元がゆるんだ。

思えば、ジャルジェ家を小船で出てからの喧噪と比べて、なんという落ち着いた状況だろうか。
パリでは銃弾や砲弾が飛び交い死傷者まで出ていたし、それ以前も、三部会開会からは、怒濤の毎日だった。
だが、ここでは放牧された羊たちが、のんびりと草をはみ、青空にぽっかり浮かぶ白い雲と同化してしまいそうな穏やかさだ。
とても同じ国とは思えない。

船の責任者がクロティルドとアラン・ルヴェだけなら、決して緊張と警戒を解かなかったアンドレも、バルトリ侯爵の合流で、張り詰めていた心の糸がすーっとゆるんでいった。
これでノルマンディーまで、何があっても大丈夫だ。
クロティルドの言うとおり、まさに大船に乗ったつもりで構えていればよい。

二人は船首に回ってみた。
緑の大地をとうとうと流れる川が、光を反射してキラキラと輝いている。
パリ近郊に比べれば川幅も少し広がったようだ。
その分、流れも緩やかになっている。
このような時間が訪れるとは夢にも思わなかった。
誰よりも先頭を切って、あの銃弾の雨の中に身を置き、剣をふり戦っているものとばかり思っていた。
そのような運命のもとに生まれ、そのような生き方を、自分の意志で選び取ってきたはずだった。

オスカルは夕日のまぶしさに目を細めながら、けれどしっかりと船の行く末を見据えている。
日の沈む方角。
セーヌが海に注ぐかなた。
そこで待っているのは何だろう。
ただ穏やかな毎日だろうか。
あるいは、このような遠い地方にでも、革命の嵐は押し寄せて来るのだろうか。

ベルサイユやパリだけが人の住むところではない。
そんな当たり前のことが、左右に見える家や畑で実感された。
と、同時に、混乱の場に残っている人々の顔が浮かび、安寧の場所に去っていく自分が卑怯にも思えて、胸が痛んだ。
「父上はわたくしを卑怯者にだけはお育てにならなかったと、お信じ下さってよろしゅうございます。」
父に向かって胸張って断言した自分の姿。
果たして今、その言葉に背いてはいないだろうか。

「オスカル、人間はどんなときも卑屈になってはいけない。」
アンドレがまっすぐ前を見たまま言った。
昨夜、バルトリ侯が教えてくれた。
天の川の下、数ある星々がそれぞれの光を放つように、人には人の数だけ光がある。
「今、西にある太陽は、やがて姿を隠す。けれどそれは逃げたのではない。明日、再び昇るために沈むのだと、おれは思う。」
オスカルは黙ってアンドレの顔を見た。
それからゆっくりと夕日に目をやった。
再び昇るために沈む太陽。
自分たちも、今からあの太陽と同じ西へ向かう。
だが、それは決して逃避ではない。
再び昇る、ということが、ベルサイユに戻ることをさすのか、あるいはまったく違う生活を始めることをいうのか、それはわからない。
けれど、沈んだままでは終わらない。
ただノルマンディーに引っ込んだだけでは終わらない。

フランスは、新しく生まれ変わろうとしている。
新しいフランスになろうとしている。
一方で、自分もまた胎内に新しい命を育んでいる。
ならば新しい自分にならねばならない。

「そうだな。卑屈になどなってはいられないな。」

一旦、雲間に隠れた太陽が再び姿を現した。
そして一直線に船に向かって光りを投げかけてくる。
長い旅路はこれから始まるのだ。
もう振り返ることはない。
この川の上を、この光のままに進んでいこう。

二人はいつしかしっかりと手を握り合っていた。





            −完−






※長々と書いて参りました本編は一応これで「完」といたします。
今後は、ノルマンディー編や、本編中の挿話、あるいは本編にいたるまでの話、それにお馬鹿な企画ものなどを思いつくまま順不同で書いていこうと思っています。
長きにわたり、おつきあい下さりありがとうございました。
今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。







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陽はまた昇る