生まれ出でし命

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乳が足りない。
まったく足りない。
すくすく育つ双子に対し、オスカルの提供できる母乳は圧倒的に足りなかった。
というのは少し違う。
はじめは出ていたのかもしれないが、授乳しなかったためとまってしまったのだ。
原因はばあやがオスカルに断固授乳させなかったからである。
貴族たるもの、母乳で我が子を育てるなどもってのほか、乳は乳母が出すものだ。
自分の乳がジャルジェ将軍を育てたことはばあやの生涯の誇りだった。
だから、出産直後から、オスカルは我が子を抱くことはしても、授乳はしなかったのである。

こういう事情であるから、お腹の子が双子だとわかった時、ばあやは当然、できるかぎり大勢の乳母を集めようとした。
乳母には自身の子どももいるわけであるから、双子なら、最低でも二人の乳母がいると考えたのである。
だが、あいにく同時期に出産を終えたばかりで豊富な乳量を持った女は近隣にはひとりしかいなかった。
エメという農婦である。
なんといってもオスカルが譲り受けた領地は狭い。
そんなに都合良く出産した女がいるほうがおかしいのだ。
もしこの時、ばあやがアンドレに双子だと告げていたら、もっと真剣に探してくれたのだろうが、逆に二人手配できたのに無事に生まれなかったら、あまりにアンドレが哀れに思えて、ばあやはそれ以上厳しく求めることができなかった。
だから、何も知らないアンドレが、エメは乳の出がよいと評判だからひとりで充分だよ、と言って無理に探そうとしなかったのは、当然と言えば当然だった。


実際、はじめはそれでもなんとかなった。
生後すぐの双子がそんなに大量に飲むわけではないから、豊富な乳量のエメは双子に乳をやってから我が子にも与えることができたのだ。
この間に、ばあやとアンドレはクロティルドを通じて、バルトリ侯領内で最近子どもを生んだ女を至急捜してもらった。
クロティルドはすぐに手配してくれた。
だが、数人の候補はあがったものの、家を離れての住み込みはできない、というものや、二人分は出ないというものなど、どれも否定的な返事ばかりだった。
革命の影響で、どこもかしこも物不足だ。
出産を終えた女は貴重な働き手であり、第一子ならともかく、下に子どものいる女が住み込みをいやがるのは無理もないことだった。
破格の金をつめばなんとか、とも思ったが、人の暮らしを金銭でひっかきまわすようなことは、アンドレの望むことではなかった。

ひとりで三人分をがんばってくれているエメが、ついに泣きそうな顔でアンドレにせまったのは生後2週間ほどしてからである。
「だんなさま、いくらあたしが乳牛なみにがんばったって、これは無理です。今ようやくノエルさまが終わりましたが、ミカエルさまの分はもうどれほども残っておりません。」
けなげなエメが、我が子の分を後回しにしてくれているのをアンドレは知っている。
ということは、エメの子どもが飲む分はまったくないということを意味する。
「すまない。もう少しの辛抱だ。クロティルドさまが奔走してくださっているから、いずれ応援が来てくれる。」
そう言いつつ、このご時世である。
バルトリ候領外からはるばる乳をやりにきてくれる奇特な女がいるだろうか。
「できるだけ早く頼みますよ。最近、みんなやせてきてかわいそうでならないんです。」
エメの目には涙が浮かんでいた。

ことここにいたって、ようやくばあやが方針を転向した。
いくら貴族といえど、弱っていく我が子を見捨ててよいわけはない。
ミカエルとノエルの旺盛な食欲に、ばあやが渋々オスカルが授乳することを認めたのである。
だが、出産当初こそ乳が張って痛がっていたオスカルも、もともとが出にくい体質だったのか、それとも授乳しなかった空白の期間が響いたのか、事情を知ってあわてて乳をやろうと試みても、もはやわずかな量しか出なかった。
それでもないよりはましであろう、ということになり、エメが自分の子とノエルに乳をやり、それでも残ったらミカエルにも与え、オスカルはできるかぎりミカエルに飲ませる、という形をとった。
つまり、エメが2.5人分、オスカルが0.5人分を受け持つというわけである。

だが、この方法では、すぐにミカエルが栄養不足になってしまった。
そこで、三人の子どもをローテーションで回し始めたが、足りないものはどんな形にしても足りないのだ。
今度は三人揃って不機嫌になり、屋敷は常に赤子の泣き声が響く毎日となった。

なかでも衰弱が顕著に現れたのはエメが連れてきていた女児だった。
ベルと名付けられたその子は、11月に生まれていて、エメの豊富な乳ですくすく育っていた。
無論、屋敷に来た時点ではこの子が一番重かった。
「一月半違うと、随分違うものだな。子どもはこんなに早く大きくなるのか。」
あまり子どもを見たことがないオスカルはすっかり感心したものである。
もともと双子で生まれた分、常の赤子より若干小さかったミカエルとノエルに比べれば、肉のつき具合も豊かで、愛くるしい子どもだった。
「ベルがいつの間にか、ミカエルやノエルと変わらなくなっている。」
オスカルがぽつりとつぶやいた。
その腕にはグズグズとむずかるミカエルが抱かれていた。

こうなった原因は自分の乳が出ないからだ。
生まれた直後から自分が乳を与えていればこんなことにはならなかったのだろう。
だが、ばあやは絶対に許さなかったし、自分も子どもの乳は乳母がやるものだと思い込んでいた。
それはベルサイユでは当然のことだったし、ノルマンディーにおいても貴族はそうしていた。
ベルサイユで生まれたニコーラも、ノルマンディーで生まれたニコレットも、どちらも乳母の乳で育ったのだ。

「姉上からの返事はないのか?」
慣れぬ手つきでオスカルがミカエルをあやしながらアンドレに聞いた。
「ああ。残念ながらまだだ。」
「ニコレットが神父にも頼んでみるといっていたが、この状況では難しいだろうな。」
「近々、修道教団も廃止されるとニコーラが言っていた。そうなるとモン・サン=ミシェルはどうなるのだろう。」
国家財政破綻を防ぐため、教会の国有化が画策されていた。
ぜいたくな暮らしをしている高級僧侶に対する長年の国民の不満が一気にそこに向かい、教会の収入を国庫にいれることで打開しようという算段である。
我が子命名の由来である修道院の存在も風前の灯火であり、あまつさえ、我が子自身も危うくなってきている。

ようやく無事出産しても、無事育てるというのはこんなにも難しいことなのだ。
母やソワソン夫人が口を酸っぱくして説いていたことが今更ながら脳裏をよぎる。
育てたように育つというが、肝心の乳がなければ育つことすらできない。
生まれるまでは、と色々なことを堪え忍んできたのに、いざ生まれたとなると早速大問題をつきつけてくる。
乳が足りないと泣かれるよりは、重いお腹をかかえているほうがよほどましだった。
自分さえしっかり食べていれば、子どもは勝手に育ってくれたのだから。

「どうして赤子というものは乳しか飲まないのだろうな。この際、液体ならなんでもいいと言ってくれればどんなに楽かしれない。」
そうなったらワインでもブランデーでも飲ませそうなオスカルの口ぶりである。
母の苦衷を察したのか、ミカエルがひときわ大きな声で泣き始めた。
オスカルは生まれ出でし命と同時に生まれ出でた悩みに大きなためいきをついた。

だがさすがに天使の名前を冠しただけのことはあった。
援軍は思わぬところからやってきた。
一月も終わりにさしかかったころ、ロザリーがこれまたかわいい赤子を連れてはるばるパリからノルマンディーまでやってきたのである。
まさしく救いの女神の登場であった。