冬 ご も り

                



                                                                                    



ロザリーは、豊かな母乳とともにパリの風を運んできた。
厳しい寒さのノルマンディーゆえ、春風とはいかなかったが、クリスやディアンヌと知り合い、アランたち衛兵隊員とも懇意になった彼女は貴重な情報源となり得た。
しかも夫が政治畑の新聞記者でコミューンの委員とくれば、世情全般の知識も人並み以上に持ち合わせていた。
彼女は、自分の目で見、耳で聞いたことを、オスカルが尋ねるままに、何でも答えてくれた。

オスカルがもっとも興味を持ったのは、衛兵隊員のその後だった。
市民軍の名前が改称されて国民衛兵となり、その中核をアラン率いる旧衛兵隊二個中隊がかためた。
その彼らの任務の中に、国王一家の滞在するテュイルリー宮殿の警護があるというのだ。
身辺をお守りする、というのはもちろん名目に過ぎず、実は監視である。
国王夫妻が反革命勢力と手を組むことのないよう厳重な見張りがなされているのだ。
王も王妃も一日に何度もバルコニーに姿を現し、異常なきことを国民衛兵に確認させねばならなかった。

かつての部下の消息を尋ねることが、皮肉にもかつての主君の日常を知る結果となり、オスカルは人生の皮肉に衝撃を受けざるを得なかった。
兵士も国王夫妻も、どちらも甲乙つけがたい大切な存在である。
だが、国民が王政に反旗を翻し、自分もまたその思想信条を支持したのである。
この事実は粛然と受け入れるしかなかった。
それでも王妃が時折幼い王太子をつれて庭園を散策すると、警護の国民衛兵も市民も大歓迎している、という話には胸が熱くなった。
なんとか王と市民が心から信頼し理解しあえる方法はないのだろうか。
その方向にと動くものが、パリにいないのだろうか。

生まれ出たときには、人はこんなにも頑是無く無垢であるものを、とオスカルは四台並んだゆりかごを見ながらためいきをついた。
すると母の懊悩を察したのか、ノエルがぐずりはじめた。
小さな泣き声が次第に大きくなり、隣のミカエルに伝染した。
兄妹そろってヒックヒックと大声に突入する前の準備段階に入りつつある。
ここで隔離しなければ、確実にベルとフランソワにも波及する。
四重唱となったらもはや目もあてられない。
オスカルはあわててノエルとミカエルを両腕に抱え上げ、隣室に駆け込んだ。
どっかりと長椅子に腰掛け、よしよしとゆすってみる。
乳は先ほどロザリーとエメがたっぷりやっていたから、空腹ではない。

「みんなお腹がいっぱいだからしばらくは寝てくれると思います。その間に私たちは部屋を片付けてきますから、オスカルさま、しばらく見ていてくださいませ。」
どんどん人間が増えてきたため、使っていない部屋を掃除して暮らせるように、皆は暇を見つけては片付けに励んでいる。
ばあやの部屋、エメとベル親子の部屋、ロザリーとフランソワ親子の部屋。
それにまもなくミカエルとノエルの部屋も必要となる。
片付けの手はいくらあっても足りないのだ。
オスカルが四人の赤子を見る羽目になったのも致し方なかった。

「ああ、頼むからぐずらないでくれ。何が不満なんだ?」
母親の必死の思いが通じたかのように、ミカエルがおとなしくなった。
こいつは本当に聞き分けが良い。
いつもアンドレが言っているとおりだな、とオスカルも同感する。
たぶん屋敷内で一番忙しいはずのアンドレは、誰よりもよく赤子の個性を見極めていた。
「母親は三人いるが、父親はおれしかいないのだから、よく見てやらないと、ベルナールやエメのだんなに申し開きできないじゃないか。」
こういうあたりが、根っから律儀にできているらしい。
いっぺんに四人の子持ちになった感があるのに、余裕でこなしている。

一方ノエルの方はむずかったままである。
グズグズと鼻をならし、時に泣きじゃっくりを繰り返す。
「おまえは気むずかしいな。もうちょっと素直にならんと、いずれ苦労するぞ。」
生後間もない子どもにかける言葉にしてはいささか不似合いだが、オスカルは結構真剣に忠告しているつもりらしい。
赤子に個性があるなど、今までは考えたこともなかった。
というか、赤子そのものと無縁の生活を送ってきた。
それが今はどうだ。
四人の赤子に囲まれている。
マロンにロザリーにエメ、そしてコリンヌとアゼルマもいるから、オスカルの存在がどれほどの重きをなしているかは不明だが、とにかく日々の生活に赤子が密接に絡んでいるのは事実である。

「ノエル、女だからおとなしくしろ、と言う気は毛頭無いが、わざわざ生きづらい性格を選択するのもどうかと思うぞ。おまえの人生は始まったばかりだ。今なら修正も聞くはずだ。というか、今直しておかねば一生直らんのではないか。」
オスカルの奇妙な説教に、ノエルはぐずるのをやめ、きょとんとして、それからぱっちりと目を開けた。
「なんだ、起きてしまったのか。ミカエルは賢く寝ているのにな。」
もう一度寝かしつけて隣室のゆりかごに戻そうと思っていたが、あてがはずれた。

「ミカエルはおれが連れて行こう。」
いつから見ていたのか、アンドレが扉ごしに声をかけてきた。
「それはありがたい。頼む。」
二つ返事でオスカルはミカエルをアンドレに引き渡した。
「子ども部屋をのぞいたら大人が誰もいなくて、ベルとフランソワだけだったからびっくりしたぞ。」
「ああ、すまん。子守を頼まれたのだが、ノエルがぐずりだしてな。つられてミカエルまで泣きそうになったのでこっちに避難したんだ。四重唱になってはかなわんからな。」
「エメとロザリーは?」
「二階と屋根裏部屋を片付けに行った。」
「大騒動だな。」
アンドレはクスリと笑った。
オスカルもつられた。

「まさかロザリーが来るとは思わなかった。」
アンドレがミカエルを抱いたまま、オスカルの隣に腰を下ろした。
「それを言うなら、まさかロザリーが子どもを産んでいたとは思わなかった。」
オスカルはしみじみと言った。
7月14日のあのとき、ロザリーの胎内にはすでに子どもがいたわけで、そのような中、彼女は負傷者の手当をし、重傷のフランソワとジャンの看病も引き受けたのだ。
絶対安静以外の言葉をかけてもらったことのないオスカルには信じられないロザリーの奮闘ぶりだった。
「確かロザリーは、あのときわたしたちの船を追っかけて走ってきたんだよな。」
「ああ。橋の上から手を振ってくれていた。」
「大したものだ。あのロザリーが、あんなにたくましかったとは…。」
オスカルの声には羨望と憧憬がこめられている。

「しかも置き手紙一枚でこっちに来たらしい。ベルナールは今頃どうしているだろうな。」
アンドレは同じ男としてベルナールに深い同情を禁じ得ない。
いかに忙しくて出産当日帰らなかったとはいえ、帰宅したら妻も子も忽然と消えているなど、想像するだに恐ろしい。
「パリがそれだけ混乱しているということだろう。いたしかたあるまい。」
オスカルはアンドレほどベルナールの境遇に悲哀を感じていないようだ。
むしろ新しい体制作りに日夜取り組むベルナールに、ロザリーに対するのとはまた違った意味で羨望と憧憬を抱いている風でもある。

母乳が出ず、女手も豊富になった今、オスカルが実質的な子育てをする必要はほとんどない。
そして身一つとなった今、身体も思いのままに動かせる。
自分がここにいる意味について、知らず知らず懐疑的になってるようだ。
「おれなら、新しい国を作るより、幼い子どもを育てる方がよほどやりがいがあると思うがね。」
アンドレはミカエルを隣室に運んでいき、それから再びオスカルの隣に戻ってくると、今度はノエルを腕に抱き取った。
そして軽くトントンとノエルの背中をたたいてやった。
いかにも慣れた手つきである。
しばらくすると父親の胸に頬をすり寄せてノエルはすっと目を閉じた。

「こうしているとまさしく天使だな。」
オスカルが感心しながらノエルの顔をのぞきこんだ。
「おまえの生まれた頃にそっくりらしい。」
「ふむ。それでなければ誰の子どもかわからん状態だからな。」
オスカルのまじめな返答に、アンドレは吹き出した。
それから優しくオスカルを見つめた。
「母親というのはいるだけでありがたいものだとおれは思うよ。」
内心を見透かされたようで、オスカルは少し動揺した。
「そういうものか?」
「おれの骨身にしみこんだ経験談だ。信じろ。」
アンドレは真顔で言った。
オスカルは言葉を飲み込んだ。
自分の存在意義についての疑問に対する返答だとわかる。
その思いやりがなぜか切ない。

「今度の領地視察は一緒に行こうと思っている。」
ふいにアンドレが話題を変えた。
「戸数300ほどの小さな村だが、とてもよくまとまっている。もう馬車に揺られても一向にかまわないのだから、自分の領地くらい見ておきたいだろう?」
「もちろんだ。」
オスカルの声がはずんだ。
革命と無関係とはいかないだろうが、とりあえず今のところ平和に治まっているという自分の領地。
動けなかったためすべての管理をアンドレ任せにしていたが、そうだ。
もう動けるのだ。
「視察はいつだ?」
早速実施に向けた段取りにかかろうとするのがいかにもオスカルらしくて、見ている方も嬉しくなる。。
「村長には来週の初めと行ってある。」
「わかった。それまでに資料に目を通しておきたい。」
「そう言うだろうと思っていた。書斎にまとめてある。いつでも見てくれ。」
オスカルは部屋を飛び出した。
アンドレはあわててノエルを隣室のゆりかごに寝かせ、厨房にいたコリンヌに子どもたちを見てくれるよう頼んでから書斎に向かった。
冬ごもりは、無為の時ではない。
来るべき春に備えるための貴重な時間なのだ。
アンドレが書斎の扉を開けると、オスカルはキラキラと目を輝かせながら資料を読んでいた。




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