春   遠 か ら じ

オスカルが男女の双子を無事出産、という第一報はクロティルドによってベルサイユのジャルジェ家に届けられた。
そろそろではと案じていた夫人は、手紙を抱いたまま涙を浮かべ、すぐに将軍に報告した。
そしてベルサイユ在住の三人の娘たちにもその日のうちに知らせを出した。
もう宮殿での舞踏会もなければ、どこかのサロンで午餐会ということもない貴婦人たちは久々の吉報に直ちに実家にはせ参じた。

「ミカエルとノエルですって…。また変わった名前をつけたものね。」
辛辣な批評はいつもながらジョゼフィーヌである。
「母子共に健康だったのね。ああ、神様、心からお礼申し上げます。」
喜びをかみしめる母のかたわらで、カトリーヌは涙とともに十字を切った。
「双子だなんて、まったくいつもいつも想定外のことをしでかしてくれるわね。乳はたりているのかしら…。」
すぐに問題点を指摘するのは、さすがにマリー・アンヌだ。
三人は手紙を取り合うようにして、繰り返し読んだ。

ヘブライ語のミカエルと、男名のノエル。
これだけで将軍は万感胸に迫り、一読のあと、娘たちが来る前に自室に引き上げてしまった。
思うことがあふれるようにあって、そういう姿を妻や娘に見られたくないのだろうと、夫人はあえて夫を娘たちとのお茶には誘わなかった。
父には父の、母には母の喜び方があるのだ。
その領域は尊重されねばならない。
「とりあえずお祝いを贈ってやらねばなりませんわね。」
「産着など、一人分しか用意してなかったのではないかしら。」
ジョゼフィーヌとカトリーヌの会話に夫人が割って入った。
「そのあたりはばあやがついているから大丈夫でしょう。ぬかりはないと思いますよ。」
「わたくしもそう思います。ばあやのことです。そんなにたくさんどうするのか、とオスカルやアンドレが驚くほど、充分準備していたことでしょう。無論男女両方をね。むしろ心配なのはお乳の方です。」
マリー・アンヌが、すぐに母に賛同し、それから妹に向かって提案した。
「ジョゼフィーヌ、あなた、乳母を捜せないかしら。足りているならいいけれど、もしノルマンディーから依頼がきたらすぐに対応できるよう心がけておいてほしいの。年末頃までに出産を終えていて、乳の出がよい、できればまだこどもが一人という母親がいいわ。小さい子をつれてのノルマンディー行きは大変ですからね。それにもし一家で行くというなら、身の立つようにしてやる必要があるからなるべく母と子だけで、というほうがこちらとしてはありがたいわ。」

マリー・アンヌがいくつもの条件を提示するので、ジョゼフィーヌは吹き出した。
「まだ頼まれてもいませんのに、マリーお姉さまったら…。」
「あら、なにごとも備えあれば憂いなし。わたくしはいつだってこうしてきましたのよ。それで不都合はひとつもありませんでした。」
威厳ある姉の態度にジョゼフィーヌはしゅんとなった。
正直、妹のオスカルは存在そのものにいらだたしさを感じるほど生意気だが、この長姉は逆に、いるだけ、話すだけで圧倒的な威圧感を与えてくるときがあり、そういうときは到底反論など不可能なので、五女としては黙って引き下がるよりないのである。

そして案の定、マリー・アンヌの予想通り、ほどなくしてクロティルドから乳母を捜してほしいという手紙が直接ジョゼフィーヌのもとに届いた。
女医のパトロンをしていると、以前手紙に書いていたから、ジャルジェ家よりもジョゼフィーヌに頼む方が早いとのクロティルドの判断だと思われた。
これだからマリー・アンヌお姉さまにはかなわないのよねえ、とため息をつきながら、ジョゼフィーヌはクリスに連絡を取った。
騒乱が収まり、とりあえず市街戦の危機は去っていたので、パリとベルサイユの往来は以前ほど危険ではなくなっている。
というか、国王がパリに移ってしまった以上、もはやベルサイユには統治機構がないわけだから、そのうえ大半の有力貴族が亡命してしまっている現在、騒ぎの起きようがなく、その意味では皮肉なことにベルサイユはもっとも安全な場所ともいえた。

クリスは、国王を迎えて名実ともに都となったパリで、相変わらずラソンヌとともに医師として働いていた。
そしてディアンヌも看護と産婆の役を担って奮闘中だ。
ソワソン夫人の方は、出世したアランが与えられた屋敷と、ラソンヌ家の双方の家政を受け持つことになり、行ったり来たりの忙しくも充実した日々を送っている。
といってもアランはこの屋敷に戻ることはめったになく、たいがいは国民衛兵隊に割り当てられた営舎で寝泊まりしているので、さほど手のかかるものではなかった。

ジョゼフィーヌからの依頼を受けたクリスは、当然ながらディアンヌに乳母の心当たりを尋ねた。
助産師をしているのだから、乳母の紹介なら彼女をおいてない。
最近第一子を産んだばかりで、乳の出がよくて、はるばるノルマンディーまで夫を置いて行ってくれる人間…。
そんな都合の良い人物がいくらパリの人口が多いからとはいえ、そう簡単に見つかるのだろうか、と、実は尋ねたクリスが疑問に思っているくらいだった。
ところが、ディアンヌは間髪入れず即答した。
「ぴったりの人がいますわ。」
これには日頃肝の据わったクリスも目をぱちくりさせた。
「うそ…!」
思わず言ってしまって、あわててごめんなさい、と謝った。
「ロザリーさんです。」
その名前に、クリスは息をのみ、それから納得した。
「そうだったわね。彼女がいたわ。確か出産は12月の初めだったかしら?」
「ええ、そうです。かわいい男の子。お乳もよく出てすくすく育っています。」
「あの人なら、オスカルさまとも知り合いのようだし、込み入った事情を説明する手間がはぶけて言うことなしね。」
「それに、彼女はオスカルさまを崇拝していますから、こんな依頼をされれば明日にでも出発してくれますわ。」
ディアンヌはさもおかしそうに笑った。

クリスとディアンヌがロザリーと出会ったのは運命の7月14日。
ともに広場でけが人の手当をしていた。
ロザリーは素人ながら、実にてきぱきと動いていて、しかもけが人を不安にさせないようつねに笑顔を心がけていた。
その腕を見込んで、クリスは重傷だったフランソワとジャンをシャトレ家でしばらく預かってもらうことにしたくらいだ。
アランとシャトレ夫妻も顔見知りだったため、この話はすんなり決まり、おかげで二人は、軍隊復帰はできなかったものの、日常生活には戻れた。
ジャンは今、クリスのもとで雑用係として働いている。

このことをきっかけにロザリーはラソンヌ邸にしばしば出入りするようになった。
猫の手も借りたいラソンヌ家にとってロザリーは強力な助っ人だった。
そして夏の終わりに、ディアンヌはロザリーから妊娠を打ち明けられ、出産の際はぜひ来て欲しいと頼まれたのだ。
約束通り、産気づいたロザリーのもとにかけつけたディアンヌは、シャトレ夫妻の子どもを取り上げた。
子どもの名はフランソワ。
それが、オスカル・フランソワからつけた名前であることは、それまでの女同士のおしゃべりの中で得た知識からすぐに推測がついた。

こうしてジョゼフィーヌがクロティルドから手紙を受け取ってからきっかり一週間で、ロザリーはフランソワとともにノルマンディーに向かって出発することになった。
「オスカルさまのためでしたら、地の果てまででも参りますわ。夫ですか?出産の日だってどこかを飛び回っていたのですもの。しばらくわたしが留守にしても気づかないんじゃないかしら。ちゃんと置き手紙はしてきましたから大丈夫。もし何か聞いてきたら、ディアンヌ、クリス、よろしくお願いします。」
まだ寒い季節というのに、見送りに来たクリスとディアンヌに、ロザリーは春風のようなほほえみを残して、車中の人となった。



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