運命の扉

どうしても…という弟子の願いを無碍にはできなかった。
血のつながった人たちに会いたい。
つまり国王一家に会いたい。
それが唯一の望みだと少年は言う。
危険だとは百も承知だ。
馬鹿げていることも…。
幸薄き一生を終えたブリエ男爵夫人の遺言は、ただただ幸せに、無事に一生を送って欲しいというものだった。
だからこそ、情厚く聡明なナポリ王妃は、彼を軟禁状態にしてまで守ろうとしたのだ。

だが、無垢な瞳と真摯な願いを、だれが却下できるだろう。
病弱のまだわずか12歳の身で、バルトリ侯爵ひとりを頼りにはるばるとナポリからノルマンディーまでの船旅に耐えたのは、ひとえに縁者に会うためだったのだ。
母についで自分と濃い血縁者。
それはとりもなおさず、王家の子どもたちだった。
マリー・テレーズとルイ・シャルル。
この二人と自分は父方からも母方からも縁戚となる。
父の妹の子であり、母の甥の子どもでもあるのだ。
母亡きあと、最も近しい人。
しかも自分より年若い人。
ただ会いたいのだ。
少年の慟哭に、身が震えた。

義を見てせざるは勇なきなり。
かつて父が遠い国の聖人の言葉だと教えてくれた。
おそらく自分がまだルイ・ジョゼフくらいの年頃のことだ。
深く感動し、以来心に刻む言葉のひとつになった。
今まさに、その時ではないか。
ルイ・ジョゼフの強い希望をかなえてやれるのは自分しかいない。
バルトリ侯から、彼の一身を託されたのは、他ならぬ自分なのだから。

1790年秋、国王夫妻が避暑地のサン・クルー宮殿からテュイルリー宮殿に戻る前。
それがルイ・ジョゼフと国王一家の対面の唯一のチャンスだとオスカルは考えていた。
バリの中心部にあるテュイルリー宮殿と違い、郊外のこの地なら警備も注目も薄い。
しかもラ・ファイエット侯爵のはからいで今や国王夫妻の信頼厚きフェルゼン伯爵のため、専用の門があてがわれ、警備兵すら配置されていないという。
この情報は、父からの手紙に書かれていたから確かだ。
なんとかフェルゼンと連絡を取り、国王や王妃との対面は無理でも、せめて庭に出てきた王子や王女と会うことはできないか。
彼もまた、この薄幸の少年の願いを無視できるような人間ではあるまい。
「正義のためな死ねるぞ!」
彼がルイ15世の御前で叫んだ言葉をオスカルは決して忘れてはいない。
大丈夫だ。
きっと信頼に応えてくれる。
オスカルはじっくりと、けれど迅速に計画を練り始めた。

まずベルサイユの両親に長い手紙を書いた。
続いて、アランにパリの情勢を知らせるよう依頼した。
それからフェルゼン伯爵に、「会いたい」と連絡した。
程なくそれぞれから相前後して返事が届いた。
皆々、一様に驚いているのが文面から察せられた。
両親は、不遇な境遇に甘んじて育った少年に深い同情を寄せ、出来る限り力になりたい、と書き綴っていた。
アランは、そのように聞いてくるからには、パリまで出張ってくる気なのか、と単刀直入に質問しかえしてきた。
そして、それは大変危険な考えである、と前置きした上で、かといって自分の忠告など聞く人ではないであろうから、と詳細に情勢をまとめてくれていた。
もっとも驚いた様があからさまに現れていたのはフェルゼンのものだった。
これは当然ていえば当然で、まさかノルマンディーに隠遁したはずのオスカルから会いたいとの手紙を受け取るなど、思いも寄らないことだったろう。
だが、もちろん親友からの依頼となれば、いつでも歓迎するときっぱりと断言しているあたりが、いかにも誠実な彼らしかった。

手紙を出すにあたって、オスカルはアンドレには内緒にした。
反対されるのがわかっていたからだ。
アンドレが領地視察で留守の間をついて、モーリスにバルトリ家まで三通の手紙持参させた。
郵便制度が整いつつあるフランスではあるが、内容が内容だけに、見ず知らずの配達人よりは、身元の確かなバルトリ家の使用人にことづけたかったからである。
これは成功した。
バルトリ家の中でももっとも信頼のおけるアラン・ルヴェが使者としてたった。
彼は、完璧に任務を遂行し、それぞれからの返書を携えてどんぐり屋敷にやってきた。
だが、ここでオスカルの密かな決意と計画は完全に露呈した。
アラン・ルヴェは、返書を屋敷の主人であるアンドレのもとに差し出したのだ。

「今さら隠し事をするな。」
三通の返書を前にして、いつになく強い口調でとがめられた。
「コソコソするくらいならやめろ。堂々と俺を説き伏せて、それからことににあたれ。」
痛いところをつかれた。
その通りだ。
仮にも夫に隠れて、このような大それた事を企んだところで、うまくいくわけがない。
それよりは、仲間に引きずり込み、良き協力者にするほうがずっと賢明だ。
そんなことはわかっている。

「おまえは、いつだってそうしてきたじゃないか。」
アンドレの指摘にオスカルはうつむいた。
黒い騎士に化けて盗賊になれ、という無茶苦茶な計画も、アンドレは納得して協力してくれた。
どんな犠牲を払っても、この男は自分の味方になる。
だからこそ、危険から遠ざけておきたいという思いがあった。
二人の天使のためにも、両親揃って危険に首を突っ込むのは避けたい。
自分が行く以上、父親である彼を置いていくしかないではないか。
ボソボソとオスカルは言い返した。

アンドレの瞳が険しくつり上がった。
めったにないことだが、虎の尾を踏んでしまったらしい。
あるいは竜の鱗を逆なでしてしまったか。
「チビ達のために、母親は絶対に必要だ。だから俺がその母親を守るんだろう?!」
早くに両親を失うつらさを誰よりも知っているのは彼だったと、オスカルは思い出した。
「一人なら危険でも、二人なら大丈夫ということがある。おまえが決心したというなら、俺は絶対について行く。いいか?俺を連れて行かないなら、おまえも行かせない、絶対に…!」
きつく二の腕をつかまれた。
彼の指が食い込んで、思いの強さがそこから流れ込んでくる。

「連れて行け。地獄の果てまで、俺はおまえの影だ。」

心の中の叫びが伝わってくる。

「わ…、わかった。好きにするが良い。」
オスカルは、観念した。
そして静かに身体を彼に預けた。
アンドレの心臓の音がトックントックンと響いている。
それは、あるいは運命が扉をたたく音だったのかもしれない。



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