※このお話は「深まりゆく秋」の続きです。





「とても寝覚めが悪い」
眉間に皺を寄せながらオスカルが寝台から起き上がった。
金髪を無造作にかき上げている。
そんなふうにくしゃくしゃにすると、あとが大変だとアンドレは思う。
好き勝手な方向を向きたがるオスカルの髪は、手入れに結構手間がかかる。
大勢の侍女がいたジャルジェ家の屋敷と違い、このノルマンディーのどんぐり屋敷ではオスカルの世話はアンドレひとりが受け持っている。
庭師夫婦は外回りで手一杯だし、料理人夫婦は屋敷内の手入れと食事の仕度などで、一日動き回っている。
オスカルの身の回りにまで手が回らなかった。
だがそれを口では言えないアンドレは、オスカルのそばに寄ると、そっと手を取った。
非常に上手い実力行使だ。
これならオスカルは、まさか髪が乱れるのを止められているとは気づかない。
さらにアンドレは優しく「どんな夢を見たんだ?」と聞くこともを忘れなかった。
100点満点の夫である。

その夫に向かって、美しい唇からおよそ似つかわしくない言葉が発せられた。
「今朝は、血まみれでうつぶせに倒れていた」
ギョッとしたアンドレは「誰が?」と尋ねた。
「もちろん、わたしだ」
「それは…!」
凄惨な光景を頭から追い払う。
「嫌な夢だろう?」
オスカルはアンドレに手を取られたまま黒い瞳を見つめた。
「嫌な夢だな」
とんでもないことだ。
「昨日は、仰向けで何か叫んでから倒れた。やはり血まみれだった」
「…!」
驚きでアンドレは言葉も出ない。
「嫌な夢だろう?」
オスカルは再び同じ台詞を言った。
「ああ、たまらないな」
やっと声を絞り出した。
「そうなんだ。しかも、そんなときなのに、どうやらおまえはいないようなのだ」
オスカルがアンドレの手を強く握ってきた。
「ほう…。そうか…。なるほど。それならまだよかった」
アンドレはわずかにほほえんだ。
「何がよかったんだ?」
「おまえの死ぬところなど見たくないからな、その場に俺がいないのは正解だ」
オスカルは握っていたアンドレの手を勢いよく振り払った。
「馬鹿者!そういう問題ではない!」

明らかに不機嫌なまま寝台から下りた。
ゆったりとした部屋着で隠れているが、腹部が少し大きくなっている。
アンドレはあわててオスカルの足元に室内履きを並べた。
素足で歩き回られては風邪をひく。
夏の終わりで、寒いわけではないが、昨晩から随分天候が荒れているのだ。
窓は閉めているが、素足が風にあたるのはよろしくない。
オスカルは、黙って履きものに足を入れた。
それを確かめてから、アンドレはオスカルの肩に厚めの上着をはおらせた。
丈が長いので腹部まで完全に覆ってくれる。
これはベルサイユからジャルジェ夫人が送ってくれたものだ。
非常にゆったりとしたデザインでしかも軽い。

重くなった腹部のせいで歩くのもおっくうなオスカルは、結局寝台に座り直した。
「朝食はここでとるか?」
そう言いながら、アンドレはもう小卓を寝台のそばに引き寄せている。
「あまりに安静にと言われ続けて、だんだん身体がそれになじんでしまった。ちょっと動くのも嫌になる」
「もう少しで落ち着くはずだと、クリスの手紙には書いてあった。そうなれば動いた方がかえってよいそうだ」
「きっとそのうち歩き方も忘れるぞ」
オスカルが毒づくのを無視して、アンドレは朝食を取りに部屋を出た。

扉を出るなり、険しい顔つきになる。
夢の話。
オスカルの最期だという。
二日連続でそんな夢を見るのはつらいだろう。
なぜ急にそんな夢を見始めたのか。
ついこの間までは、熟睡していたのに。
それからふと思い出した。
パリから届いた手紙のことを。
バスティーユ陥落の後日談をアランが簡潔に報告してきたものだ。
感情を差し挟まず、事実だけを連ねた彼の手紙はそれゆえに戦闘現場の悲惨さを雄弁に語ってしまい、オスカルの精神を直撃したのだ。
衛兵隊で命を落としたものはなかったと聞いている。
だが負傷者はそれなりに出たし、中にはもう軍隊に復帰できない負傷を負ったものも少なくはなかった。
フランソワやジャンもその中に含まれていた。
オスカルの胸中察するべしである。

アンドレは料理人が厨房に用意しくれていた朝食に暖かいショコラを添えてトレイにのせると再び寝室に戻った。
オスカルの髪が一層乱れていた。
相当かきむしったようだ。
アンドレは小さくため息をついた。
それからトレイを小卓に置き、椅子をひとつ抱えてきて寝台と差し向かいになるようにして座った。
「なぜわたしはあのように死んでいるのだろう」
オスカルば夢の話を続けた。
「なぜだろうな…」
ショコラを一口アンドレは口に入れる。
良い味だ。
「昨日の夢で、何か叫んでいたと言ったが、どうもフランス万歳だったような気がする」
「それはまた勇ましいな」
「いつかそうなるという予知夢だろうか」
オスカルの瞳が曇っている。
「それこそ馬鹿者だ」
アンドレの口調が心なしかきつくなった。
「だが、こう連続すると、そういう気になってくる」

アンドレはカップを置いた。
「むしろ反対じゃないのか」
「え?」
「逆夢ってことさ」
「正夢ではなく…?」
「ああ。現実には夢と反対のことが起きるということだ」
アンドレは強い口調で言った。
「つまり死なないと?」
「そう。うつぶせで死ぬこともなければ、仰向けに死ぬこともない」
「人間、いつかは死ぬぞ」
「それはわかってる。だが近々ではない」
アンドレの言葉にオスカルは首をかしげた。
「死ぬの反対は?」
歌うようにアンドレが問題を出した。
「生きる」
即座にオスカルが答えた。
だがアンドレは首を横に振った。
「もう一つあるだろう?」
「えっ?」
「人間、死ぬためには生きていなくちゃならない。そして生きるためにはこの世に…?」
「あっ、そうか。生まれるだ!」
「そういうこと。死ぬの反対は生まれるだ。おまえはもうすぐ子どもを産む。まさしく夢と反対だ」
「うーむ…」
オスカルはうなり声を上げた。
「ショコラが冷めるぞ」
「うーむ…」
まだ考え込んでいる。
「オスカル!」
オスカルはうなりながらカップを手に取った。

「集中しないとこぼすぞ」
アンドレが世話焼きの本領を発揮する。
「うまいな」
一口飲んだオスカルが微笑んだ。
「おばあちゃん直伝だからな」
ついでに言うと、世話焼きも直伝、というか遺伝である。
「この味は、子どもにも伝えたい」
「よし、おれがしっかり仕込んでおくよ」
アンドレはにっこりと請け負った。
「それは頼もしい」
話題がすっかり明るくなった。
オスカルは朝食に手を付け始めた。

仰向けにもうつぶせにも死なせはしない。
アンドレが生きている限り、オスカルは守り抜く。
そしてアンドレは、オスカルを置いて死にはしない。
いつか神の元に召されるとしても、安らかな光の中で子どもや孫に囲まれて旅立つのだ。
家族への愛と感謝を抱きながら…。
懐胎しなければ、絶対にバスティーユに出動していたはずのオスカル。
夢は正夢だったのかもしれない。
軍人としてのオスカルはそういう死を進んで受け入れただろう。
誰から強制されたわけではなく、自ら選び取った道として…。

だが、それこそが、今となっては遠い夢だ。
オスカルは生きている。
そして年明けには出産する。
アンドレはそっとオスカルの腹部に目をやった。
そこに宿るのは、今の夢。
生まれ来る命の夢。
決してあきらめずアンドレが愛し抜いたことへの、神の報償。

そして神のみが知り給う。
なぜ死の夢が2回続いたか。
それは出産が2回であるからだ。
その逆夢だからだ。
オスカルもアンドレも今は知るよしもないことだが、あと100日すれば知るだろう。
オスカルが生み出す命は二つだということを。








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夢のまた夢