真夏の奇蹟

フェルゼンは、広い庭園を衛兵の格好で歩きながら、しかし、すっかり立ち直っていた。
これはもしかして千載一遇のチャンスではないか。
このままオスカルの元に行き、またもや入れ替わってしまった事情を話した上で、アンドレの縁談について直談判してやるのだ。
そのままお見合いもかわってやったっていい。
アンドレはこの歳まで独身であるところを見ると、案外奥手なのだろうから、せっかく見つけてやった女性とのお見合いも、自分でつぶしてしまう可能性がある。
それなら、自分が身代わりをつとめ、見事に縁談をまとめたのち、元の体にもどる、という算段である。

フェルゼンは、「しっかり見張れよ。」と、調子のいいことを一班の4人に言ってから、勇んで司令官室に向かった。
だが、当然だがそこは無人だった。
フェルゼンにこっそり会うために、アンドレは自分だけが夜勤の日を選んだのだ。
したがってオスカルがここにいるはずはないのである。
フェルゼンはがっくりとうなだれた。
仕方がない。
ここで朝まで過ごし、出勤してきたオスカルに話をしよう。
そう思うと急に眠くなり、長いすにごろんと横になると、まもなくスヤスヤと寝息を立て始めた。

一方、アンドレである。
こちらもまた、これは千載一遇のチャンスではないか、と馬上で考え始めていた。
なんと言っても、このありがた迷惑な縁談の言い出しっぺはフェルゼン伯爵である。
であるならば、この話をつぶすことができるのも、フェルゼン以外無い。
どう言葉を尽くしてもわかってくれないフェルゼンを説得するよりは、自分がフェルゼンとして、率先して破談になるよう動けばよいのである。
そう思うと、落ち込んでいた気持ちもすっかり立ち直り、アンドレは嬉々として馬を御してフェルゼン邸に向かった。

馬がつくと、そっと廷内に入り、長い廊下を抜けて、以前入れ替わったときにも三日ほど過ごしたフェルゼンの私室に入った。
あのときは何分初めてのことでばれやしないかとドキドキしたが、今回は慣れたものである。
こうしていれば、いずれ爺がやってくることも了解済みだった。
案の定、奥ゆかしいノックの音が響いた。
「入れ。」
貴族ぶりも前回より板についている。
爺は相変わらずの献身的態度で主人に帰宅の挨拶を述べた。
「おや、また頭をぶつけられたのですか?」
無意識に後頭部をさすっているアンドレを見て、怪訝そうに主人の顔を見た。
「いや、そういうわけでもないのだが…。」
「いつもよりお早いお帰りですが、何かあったのですか。」

鋭い男である。
ダテにフェルゼンをむつきの頃から育ててきたわけではない。
王妃との密会ならもっと遅い帰宅になることを経験上熟知している。
「今日の外出は爺の想像しているような類ではない。実はアンドレ・グランディエと会ってきたのだ。」
一刻も早く縁談を無効にしたいアンドレは、これ幸いといきなり本題に入った。
爺は驚いて顔をあげた。
「結婚についての彼の意見をもう一度確認しておこうと思ってね。」

すでにジャルジェ家の執事から当人に話が行っていることは爺も知っている。
というか、フェルゼン家の執事職は、爺の兼任なのだ。
一人二役は大変だろうとフェルゼンが執事を雇おうにも、この老人は頑として受け入れなかった。
フランス人の執事など信用できない、というのがその主張である。
当初と違って、スウェーデンから連れてきた使用人は、長期化する異国暮らしを嫌って全員故国に戻っており、今となってはすべての使用人がフランス人なのだが、ただ一人となった爺は、家政全般を取り仕切る役に他国人をつけることだけは、絶対反対だった。

ということは、ジャルジェ家の執事に手紙を書いたのは爺ということである。
アンドレは当然このことも予想していた。
そして何食わぬ顔で続けた。
「どうやら、彼の理想の女性像というのは、わたしの勘違いだったらしい。彼は、突然の縁談に非常に困惑しているとのことだった。」
「なんと…!では、この話は流すということでしょうか。」
「いたしかたない。本人にその気がないのなら、無理強いもできまい。」
「さようでございますか。ではジェヌビエーブの方はいかがいたしましょう。まあ、あれもあまり乗り気ではないようでしたが…。」

貴重な情報だった。
まず、フェルゼンが見つけたというロザリー似の女性の名前がジェヌビエーブということ、そしてこちらも乗り気ではなかったということ。
「そうだったのか。」
「はい。ハンスさまがあまりにご熱心にお話を勧めようとなさるので申し上げにくかったのですが、実はジェヌビエーブの方にも、心に決めた男がいるようでございまして…。」
「それは本当か?」
思わずにっこり笑いそうになるのを懸命にこらえ、渋い顔を作った。
「ならば、わたしはとんだ迷惑をかけたことになるな。」
これは充分思いのこもった実感だった。
まったくもってフェルゼン伯爵はとんだ迷惑をまき散らしていたのだ。
「すまないが、もう一度ジャルジェ家に手紙を書いてくれないか。非はすべて当方にあることを認めた上で、この話はなかったことにしてほしい、とね。いや、これはすべてわたしの責任だ。わたしが明日ジャルジェ家を直接訪問し、あちらの執事と話をつけてこよう。」
そう言いながら、なんと妙案か、と自分に感激した。
これで、ジャルジェ家を訪問する大義名分ができた。
恥をかきたくないから内密に、と頼めば、ジャルジェ家の執事が、こっそりアンドレとなっているフェルゼンにあわせてくれるはずである。
「訪問時刻は、少し遅い方が良い。彼も忙しいらしいからね。」
「承知いたしました。ではそのようにとりはからいましょう。わたくしも大変良いお話だと思いましたが、何分、ジェヌビエーブにはいきなりなところに持ってきて、強引であったと後ろめたい部分もございましたので、爺も少々肩の荷が下りました。」
かくてフェルゼン家でのアンドレのもくろみは、フェルゼンのそれと違って万事見事に成功した。














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