オスカルの嫌み攻勢に音を上げて、予定していた晩餐を辞退して早々に引き上げたフェルゼンだったが、帰宅途中で重大事を思いだし、再びジャルジェ家に戻ってきた。
両殿下からの手紙を預かったオスカルが、返事はフェルゼン伯爵にことづけるようにと言っていたのを思い出したのだ。
もし返事がないとなれば、サン・クルー宮殿に明日伺候したとしても、謁見の許可は出ないだろう。
お子様方の母上への影響力は絶大なるものがあり、その意味で王妃はたとえ不倫をしていたとしても、間違いなく良き母だった。
そしてフェルゼンはそういう王妃のすべてを全身全霊を込めて愛していたのである。

当然ながら、再びジャルジェ邸のホールに立ったフェルゼンに、皆々びっくりである。
しかも彼は案内もされぬうちからつかつかと階段を上がり、ルイ・ジョゼフの部屋の前に立ったのだ。
「おい、返事は書けたか?」
若干乱暴な口調で声をかけながら、何のためらいもなく入室してきた彼に、ルイ・ジョゼフは、手紙を抱えて呆然としている。
ちょうど書き上がって階下へ降りようとしていたところだった。
「フェルゼン伯爵…!」
言葉が続かないルイ・ジョゼフの手元を確認すると、フェルゼンは快活に笑った。
「お…!書き上がっているな。よし、わたしが明日届けてやろう。」
言い終わらぬうちに、手紙はフェルゼンの手に渡った。
「お、お願いします。こっちが王子さま、そしてこっちが王女さま宛です。」
「お名前が書いてあるなら、間違いっこない。心配するな。」
フェルゼンは少年の背中をバンとたたくとさらに豪快に笑った。

自分の用件だけすませてとっとと帰ろうとするフェルゼンだったが、ここでオスカルの声がかからないわけはなかった。
「おい、フェルゼン、戻ってきたからには一緒に晩餐だぞ。なんなら一晩酒につきあってやってもいいが…。」
言いかけた言葉はアンドレによって中断された。
オスカルとの酒宴に良い思い出はない。
「伯爵、どうか広間の方へ。お戻りだと聞いてだんなさまも奥さまもぜひお連れするようにと…。」
酒につきあう気はさらさらないが、晩餐なら望むところだ。
だいたい、もともと同席するつもりであったのに、オスカルの口の悪さに閉口して帰宅を決意したようなものなのだ。
「それではお言葉に甘えて…。」
フェルゼンは自身の失態をごまかすつもりか、ルイ・ジョゼフの腕を取って広間に向かった。

手紙を書くことに夢中だったルイ・ジョゼフは、お腹の虫がうるさくなっていることに気づき、遅刻の不始末をどう詫びようかと考えあぐねているようだったが、先に着席したオスカルが助けてくれた。
「気にするな。殿下へのお返事が優先なのは言うまでもない。納得のいくものが書けたのなら、安心して食事につけ。」
ルイ・ジョゼフは、ほっとした表情で、夫人の隣に腰を下ろした。
フェルゼンは一応主賓として将軍の隣である。
「失礼します。」
優雅に腰掛けた彼に、またオスカルの言葉がとんだ。
「まったく失礼なやつだ。一旦帰っておきながら、どんな顔で戻ってきたかと思えば、実にあっけらかんとしているのだからな。」

オスカルの再攻撃が開始されてはたまらん、とばかりに、フェルゼンは話題を変えるため、いそいで室内を見渡した。
不思議なことにアンドレが一緒に席についている。
かつてなかったことだ。
おそらくオスカルとの関係に進展があり、家族内での彼の地位に変化があったのだろう。
だが、紳士たる彼は、そういうことは話題にしない。
別の話の種はないか。
首をまわした彼はやがて正面の壁に飾られたいとも麗しい子どもの絵を目に留めた。
幸福をそのまま写し取ったような双子の絵である。

「なんと美しい。天使のような子供たちですね。お孫さんですか?」
ジャルジェ家の五人の娘たちがそれぞれに幸福な結婚をし母になっていることは周知のことである。
いずれかの娘が、子どもの肖像画を実家に届けさせたと思うのは当然だ。
「ええ、そうですの。つい最近届きましたので、こうして広間に飾っているのです。」
ジャルジェ夫人が大層嬉しげに答えるのを見ると、よほど最近になって生まれた孫なのだろう。
「いつお生まれに?」
「今年の一月の公現祭の日に…。」
「それはおめでたい。どちらのご息女からですか?ベルサイユ在住のお方ならぜひ御祝いをさせていただきたい。」

少しの間、沈黙があり、やがて夫人は静かに答えた。
「残念ながらベルサイユではございませんの。」
「おや、そうでしたか。ではノルマンディーかブルターニュですね。」
フェルゼンは長いつきあいの成果で、オスカルの親戚関係にはかなり詳しい。
「ノルマンディーですわ。」
「おやおや、それではバルトリ侯爵家ですか。」
フェルゼンは完全に話題をそらせたことに満足し、自分からオスカルに振り返った。
「そういえば、オスカル。おまえも今はノルマンディーにいるのではなかったか?」
「そうだが…。」
オスカルはそれがどうした?という顔である。
「ではこの肖像画の天使たちを実際に見たことがあるというわけか。うらやましい。」
フェルゼンは目を細めた。
「絵の中ではじっとしているからな、それなりにかわいげがあるが、実物は動くので大変だぞ。」
 
オスカルの奇妙な返答に、今度はフェルゼンのほうが少し沈黙した。
「生きていれば動くのは当然だろう。だが、だからこそなのことかわいいのではないか。」
フェルゼンは取りなすように言った。
「それは子どもを知らぬ人間の発言だ。」
オスカルの答えは身も蓋もない。
「おまえに言われる筋合いはないと思うが…。」
ともに独身、子どもを育てた経験がないのは同じはずだ。
フェルゼンは、オスカルがノルマンディーに引き上げたのは体調を壊したからだと信じている。
わざわざフェルゼンの耳にオスカルの出産を耳に入れるものなどないのだから。

黙って聞いていたルイ・ジョゼフが口をはさんだ。
「先生、確かにノエルもミカエルもよく動きますが、かわいいというならこんなにかわいい赤子はないと、僕は思います。ねえ、アンドレ。」
無邪気に同意を求められたアンドレは困惑した。
我が子なのだからかわいいのは当然だが、将軍や夫人の前で親ばか丸出しの発言はしにくい。
「あ…、いや、まあ…。うん。」
不明瞭な言葉をつぶやくしかない。
「だって先生とアンドレの子どもなんだから、かわいくないわけないでしょう。」

このあとフェルゼンがあげた奇声は、かの7月14日、セーヌ河のほとりで衛兵隊員諸君が上げたものに匹敵するほど大きなものだった。










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