ベルサイユを離れる時がやってきた。
すでにベルサイユ在住の姉たちとは昨夜のうちに別れをすませている。
したがって当日はこっそりと出立するはずだったが、どこから聞きつけたのか、思わぬ人々の顔がジャルジェ家の車寄せにそろい始めた。
まずはパリのラソンヌ家一同である。
ラソンヌ家は、医師、クリス、ディアンヌ、そしてソワソン夫人が、元衛兵隊士で今は雑用係として医師宅で働くジャンの御する馬車でやってきた。
こんなに全員でやってきて病院は大丈夫なのか。
オスカルは目を見開いた。
だが、懐かしい。
話したいことが山のようだ。
「オスカルさまのおかげで今日は久しぶりの休診日です。お元気で何より。どうか皆々お健やかに…。」
医師が慈愛のこもった言葉をかけてくれた。
その視線がさりげなくやや離れたところでこちらを見守るジャルジェ夫人に注がれる。
その瞬間を捉えたアンドレは、胸がいっぱいになった。
おそらく死ぬまで届かぬ恋。
けれどもこんなにも穏やかなのは、医師の人徳に他ならない。
夫人が近づいてきて、にこやかに医師のこれまでの労をねぎらった。
控えめに返答する医師の顔に浮かぶ満足感は、傍らのアンドレをも幸せで満たしてくれた。

続いてオスカルの前にクリスが立った。
互いにほんの少しためらいがあったようだが、双方無難に握手をし、手を離す時には笑顔すら見せた。
「オスカルさまご無事でご出産との知らせを受けましてからは、わたくし、妊婦たちにあまりやかましく言わないようになりましたわ。結局の所、ゆっくり休んでなどいられない女は多いのすもの。」
悟りきった口調だ。
「それは朗報だな。案ずるより産むが易し。かえってたくましい子どもが生まれて結構なことだ。」
一言言いたいのをアンドレはぐっとこらえる。
曲がりなりにも感動的であるはずの別れの光景である。
ここで夫婦げんかを繰り広げるわけにはいかない。

「まったく仰るとおりですわ、オスカルさま。母は強し、さればこそ生まれる子も強いのです。」
剛毅な武官として名を馳せるアランの母、ソワソン夫人が、彼女ならではの格言を述べた。
妙に説得力がある。
そこへ、そんなアランと同じ腹から生まれたとは思えぬ風情のディアンヌが、外見に似合わぬ強い口調で母やクリスに加勢した。
「本当に…。出産直前まで水くみや洗濯などの重労働を担う女は、パリには数えきれぬほどおります。いたわってもらえる妊婦などいったいどれほどいることでしょう。」
助産師として働くディアンヌならではの実感であろう。

「出産後ですら、パリの女はいたわってなどもらえませんわ。父親だって親のはずなんですけれどね。」
さらに優しげな女性の声が加わった。
息子を抱いたロザリーである。
オスカルがベルサイユに来ていると聞き、すぐにも駆けつけたかったのに、ベルナールの多忙のためこの日にしか来られなかった恨みが、鈴のように美しい声にこもっている。
久しぶりの再会に抱き合おうとするオスカルとロザリーの横で懐かしさのあまりその子どもに手を差し出したのはアンドレだった。
「フランソワ!」
子どもは母の腕の中からじっとアンドレを見つめ返し、やがてにっこりとほほえんだ。
「覚えてくれているか?」
撫でるように優しい声だ。
つぶらな瞳のフランソワは、自分から手をだしアンドレに渡った。
もともとこっちを父親と思って育ち、その後、面影がよく似ていたお陰で実の父にもなついたのであるから、これは当然の結果だった。
「大きくなったな。ミカエルより少し大きいくらいか。」
オスカルも久しぶりに会うフランソワの成長に目を細めた。

四人の子どもがどんぐり屋敷で育っていた頃。
外の世界に触れたくて、たまらなかった。
激動の世情から置いて行かれた寂寥感が心を覆い、けれども生まれたばかりの子どもを放っていくこともできず、悶々としいた。
そんなときに現れたルイ・ジョゼフは、オスカルに生きる糧を与えてくれた。
不遇な中で決して腐らず自分を磨くこと。
オスカルは教えながら教えられていた。
そしてその教え子の願いをかなえるために、はるばるパリにやってきた。
多くの人の助力により、手紙での交流という新たな希望を得た少年は、満たされた心でノルマンディーに帰る。
弟子の充足感はそのまま師である自分の充足感でもあった。

懐かしい人々とも再会できた。
両親や使用人たち実家の面々、そして医師を始めとするパリの人たち。
また元部下であるアランはじめ国民衛兵の連中。
さらにはフェルゼン伯爵。
国王とお子様がたのお姿も遠目から拝した。
王妃のご様子だけ、直接見ることがかなわなかったが、それは欲である。
巡り会い、やがて別れ、また引き合う。
人と人とのつながりは人知を超えたところで絡み合い、思わぬ結果をもたらし、さらなるつながりを生んでいく。
ノルマンディーを出てきてよかった。
本当に満足した。
もういい。
もう帰ろう。
二人の天使が待つ我が家。
どんぐりの身がたわわに実るあの一風変わった屋敷に。

オスカルはもう一度すべての人と握手をかわした。
そしてニコーラとルイ・ジョゼフに声をかけた。
「出立だ。」
絶妙のタイミングでアンドレが馬車を回してきた。
御者台からサッと降り立った彼は、将軍夫妻に深々と頭を下げると馬車の扉を開けた。
ニコーラとルイ・ジョゼフが乗り込んだ。
最後にオスカルが車内に消え、アンドレが外から扉を閉めた。
見送る皆に再び頭を下げ、アンドレは御者台に乗った。
四頭の馬に鞭をあてる。
馬車はゆっくりと動き出した。
「オー・ルボワール!」
「オー・ルボワール!」
別れの言葉が高く高く空まで響いた。











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