オスカルの計画はすべて首尾良く運んだ。
まず、ベルナールが、ロザリーの説得に折れて、ラソンヌ医師を国王一家の侍医職に推薦した。
彼は、議員になっているわけではないが、水面下では議員以上の影響力を持っていた。
それは彼が、ことにあたって常に無私を貫き、理想の実現に余念がなかったからだが、今回ばかりは、私情にほだされた。
なにも、文通の橋渡しをしろと言っているのではない。
ただ、ラソンヌ先生を侍医に推薦してくれるだけでいいのだ。
それくらい、聞いてくれても良いでしょう。
ロザリーは、ここで否といえば再びフランソワを連れてノルマンディーに行きかねない勢いだった。
妻の一滴の涙は、国家権力にすら屈しないベルナールを、いともたやすく籠絡したのだ。

また、推薦されたほうの医師も、同様の形で、この一件に取り込まれた。
ジャルジェ伯爵夫人からの依頼である。
オスカルは、書面にて、ルイ・ジョゼフの悲嘆を包み隠さず母に伝え、さらには少年自身の直訴状までも添えた。
心優しき夫人は、すぐに動いてくれた。
自らパリを訪ね、ラソンヌを説得したのである。
とらわれの身の国王一家の健康管理。
それだけである。
王と王子はラソンヌが、王妃と王女はクリスが担当してくれればいい。
「代々の忠臣、ジャルジェ家として、今できるせめてものことを、国王陛下のためにしたいのです。」
秘めた恋心を、真綿で幾重にも包んで暮らしてきた老医師は、当の女性からの訴えに、黙ってうなずくしかなかった。

クリスには、ジョゼフィーヌが伝達役を果たした。
クリスが女医として開業できたのは、ジョゼフィーヌの資金援助があったからである。
叔父の屋敷の隣を買い取り、医業ができるよう改築し、主に女性と子どもを担当する医師として、パリでは今や名の知れた人物となりつつあるクリスは、貴族とのつながりが表に出てはやりにくかろうと、完全に匿名で後援してくれたジョゼフィーヌの依頼となれば、承諾しないわけにはいかなかったのだ。
「私から王女に時々お手紙を書くので、それを届けて、またお返事を受け取ってきてちょうだい。ただそれだけでいいのよ。」
ジョゼフィーヌはいとも簡単なことだという口調で、クリスに指示した。

こうして、ヴァレンヌ事件以降、完全に隔離され監視されていた国王一家との交信が可能となった。
事件から三ヶ月弱、1791年9月のことである。
相前後して、フランス国憲法が成立した。
国王に残されたのは拒否権だけという、極めて厳しい内容であったが、国王は裁可した。
それ以外の道はなかったからである。
誰もが、何かに追い込まれ、退路を断たれて、仕方なく前に進んでいる。
これより他に道がない。
そんな悲壮感が、パリのそこここに漂っていた。

だが、ノルマンディーでは、全く違う空気が流れていた。
王女との文通を復活させたルイ・ジョゼフが、その空気の作り手である。
彼は、この経験を通じて、あきらめない、ということと、段取りをつける、ということの二点を学んだ。
フェルゼン伯爵という媒体を失って、身も世もなく泣き崩れた自分を叱咤激励したオスカルが、手品のように、新たな方法を編み出してくれた。
だが、それは魔法でもなければ手品でもなく、オスカルの長い経験と思考の賜であった。
聡明なルイ・ジョゼフは、そのことを肌で学んだのだ。
このようになりたい。
このように生きたい。
オスカルが、ルイ・ジョゼフの目標となった。
身近に手本を持ち得た人間は幸いである。
そして、自分を手本とする後進を得た人もまた、幸いである。

「最近、ルイ・ジョゼフのおまえを見る目が、輝いているな」
アンドレが書類を綴る手をとめ、オスカルを見上げた。
窓辺の彼の机には、ばらばらに書き散らされた文書がうずたかく積まれていて、昼一番からかかって、ようやく半分ほどが整理されてきていた。
オスカルは、手伝うという気配りは絶対にしないが、休憩の相手役は、嬉々として勤めてくれる。
今も、ばあやがいれたショコラを運んできて、無造作に書類をかきわけてカップをおいた。
これだけでも、ベルサイユでは考えられないくらいの気配りだ。
「あんなに真っ正面から敬意を表されると、なかなか面はゆいものがある」
アンドレは吹き出した。
「賞賛には慣れていると思っていたが…。」
かつて、オスカルは常に周囲の賞賛の的だった。
賞賛という衣装に包まれて生きていた節がある。
「そうか?」
気のない返事だ。
そう、常にオスカルはそれらに対し無関心だった。
「ロザリーなど、その典型だったじゃないか。」
ロザリーにとって、オスカルという存在は神にも等しい。
であればこそ、今回の計画でも、ベルナールの説得に動いてくれたのだ。
「あれは、妹のようなものだ。姉の頼みなら聞くだろう。」

今度こそアンドレはショコラを吹き出した。
そしてあわてて、書類が汚れていないか確かめた。
六人姉妹の末妹であるオスカルが、姉の頼みを聞いたことが、一度だってあったか。
試しに五人の姉上たちに聞いてみるとよい。
全員そろって真剣に怒り出すことだろう。
だが、姉上達は、いつも妹の頼みを聞いてくれた。
今回も、もっともソリの合わないジョゼフィーヌが、クリスを説得してくれたのだ。
オスカルは、まったくもって、ものごとを自分に置き換えるのが苦手らしい。

「それよりも、おまえを半日机に縛り付けているのはなんの書類だ?」
アンドレの態度に顔をしかめると、オスカルはさりげなく話題を変えた。
机の上から無作為に一枚取り上げ、そのタイトルを声に出して読み上げた。
「売買契約書。なんだ、これは?」
「バルトリ侯爵からの依頼だ。イングランドに屋敷を購入される。そのための書類だ。」
「ほう…。イングランドに…。別荘か?」
「いや、だんなさまと奥さま、それにマリー・アンヌさまご一家とジョゼフィーヌさまご一家のためだ。」
オスカルは、あわてて綴られたものを取り上げた。
「三種類あるが…。」
「だから、三軒買うのだ。」
「亡命か?」
「カトリーヌさまは、すでに、ご一家でオルタンスさまのところに身を寄せられた。だんなさまと奥さまだけなら、バルトリ家のお屋敷で充分だが、マリー・アンヌさまご一家となると、それ相応のものでなければならん。それにジョゼフィーヌさまも、ようやくお心がかたまったそうだ。それで、どうせなら、いっそのこと国内を避けて、皆さまをイングランドに…、というのが侯爵のお考えだ。」
散乱した書類はそのためのものだった。
三つの家族が三件の屋敷を、外国で購入するのだ。
はなはだややこしい手続きがあるのは疑いない。
実際に現地に赴いて交渉するのは侯爵だが、下準備はすべてアンドレが担っているのだろう。
この義兄弟は、不思議に、相性が良いらしい。

こいつ…。何気ない顔をして、やるではないか…!
オスカルは黙り込んだ。
アンドレは、自分とともに、ルイ・ジョゼフのための文通の算段をしながら、侯爵とともに、ジャルジェ一族の亡命の手配をしていたのだ。
「文通の橋渡しの件があったので、奥さまもジョゼフィーヌさまも、そちらが片付くまではと、ベルサイユにおられたのだが、なんとかうまくいったからな。今度はこちらを一気に進めるつもりだ。」
何食わぬ顔でアンドレは説明を続ける。

やられた…。
二件同時進行だったとは…。
ルイ・ジョゼフ、できる男というのは、こういう奴のことだ。
わたしなどを目標にしているようでは、まだまだ甘いぞ。

オスカルは、黙ってアンドレのカップを取り、トレーにのせた。
そして、自分のカップを隣に置くと、そのまま部屋を出た。
「今晩までには仕上げてくれ。邪魔はせん。」
扉を閉める間際のオスカルの言葉に、珍しく賞賛の響きを感じて、アンドレは若干とまどったが、やがて、一心不乱に書類に取り組み始めた。







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