常ならば、ルイ・ジョゼフに届けられる書簡は、すべてマリー・テレーズ内親王から彼本人に向けて書かれたものであるが、このたびの封書には、それ以外に一枚の書類が同封されていた。
ルイ・ジョゼフには馴染みのない形式のものであったので、そちらに詳しく目を通すことはせず、取り急ぎ待ち焦がれていた内親王からの手紙を読んだ。
厳しく寂しい日常のあれこれ、父や母や弟の様子など、少女らしい視点で書かれた内容は、少年を温かく包みこんで甘い感触を与えると同時に、彼女の苦悩からはるか遠くにしか存在しえない自分の情けなさを痛感させて、彼はいつものようにため息をこぼすしかなかった。
いつかきっともう一度会いましょう…という決まり文句の結語に、不覚にも涙を落としそうになった彼に、追伸の文字が飛び込んできた。
同封の書類についての説明だった。
「母からジャルジェ准将に渡すように、とのことです。」
あまりに短文かつ簡潔過ぎて、いささか驚く。
つまりは、ただ渡せ、ということなのだな、としばらくして気づいた。
添える言葉はないということだ。
王妃から准将へ。
ならば、公的文書なのか。
見慣れぬ形式もそれなら合点がいく。
ルイ・ジョゼフは、その書類だけを別の封筒に入れ、今日の午後から家庭教師に来るオスカル・フランソワのために取り置いた。

案の定、弟子のために重い書籍を抱えてきた恩師は、事の次第を聞くと少し顔色を変えた。
もはや過去のことではあるが、他人からは計り知れない固い縁で結ばれた主従の関係であった人からの書類となれば、氷のように冷静沈着なこの人でも、平静ではいられないのだろう。
ルイ・ジョゼフは、こんなことなら、アンドレも来てもらえばよかったと思った。
最近のアンドレは、時代の要請から、領地経営を抜本的に改革しようと思っているらしく、そのためひどく忙しいのだ。
だから、オスカルも家庭教師のみが目的のときは、単独で来ることが増えていた。
だが、今日は、王妃からの言づてという、特別な案件があったのだ。
オスカルの精神安定のためにも、彼は必要だったかもしれない。

「何か大切な用件ですか?」
少年はオスカルの動揺に気づきながらも、興味を押さえきれず尋ねてみた。
「そうだな。」
短い返事でかわされた。
聞かれたくないことなのか。
それを押してまで、というほど不作法者ではない。
ルイ・ジョゼフは、すぐに勉強の支度にとりかかった。
前回出されていた課題に対する自分なりの所見をまとめたものを、机上に広げる。
隣国イングランドの歴史についてのものだ。
ルイ・ジョゼフが本当に知りたいのは、自身の身体に流れるハプスブルグの歴史だが、オスカルは、まだそれを取り上げない。
広い世界を知ってのち、自身に回帰すべきとの考えがあるようだ。

「歴史といえば、これもまた、一つの歴史だな。」
突然オスカルが王妃からの書類を投げて寄越した。
びっくりして顔を上げる。
「軍務証書だ。」
「…?」
「わたしの軍における履歴、つまりは、歴史だ。」
ルイ・ジョゼフは、急いで書類を取り上げた。
氏名、生年月日から始まり、学歴、軍歴があまさず記されていた。
「軍隊ではこういうものがあるのですね。」
少年には、新鮮な驚きだった。
一人の人間の情報をこんなに詰め込んだものが存在するのだ。
「ふむ。軍属のものには必携だ。わたしも片時も身から離したことはなかった。」
オスカルの目が、一瞬遠くを見つめた。

取り上げられたのは、近衛隊の進軍を阻止したときだ。
それから、一言では言い尽くせぬほど諸々の事件が続き、結局そのまま除隊した。
あれから3年…。
なぜ今頃になって、これが自分のもとに届けられるのか。
ヴァレンヌ逃亡以来、もはや王権は、廃止すれば諸外国からの外圧が高まり戦争になりかねない、という理由によってのみ存在しているのだ。
そこまで落ちぶれた王が発行した軍隊における履歴など、まして、その証明書などなんの役にもたちはしない。
「今となっては、まったく無意味なものだ。」
華々しい出世の証明。
王妃の寵臣だから…。
えこひいきされているから…。
そういう冷たい視線に耐えて、営々と築いてきた軍歴。
だが…。
「こんな紙切れに、わたしの半生が書かれているとはな…。」

ひとしきり熱心に解読していたルイ・ジョゼフがうなり声をあげた。
「近衛隊入隊は、わたしの今の歳だったのですねえ!」
選び抜かれた上品なものたちばかりとはいえ、男ばかり、大人ばかりのなかで、たったひとり。
「さすがです!バルトリ侯爵が、先生に一目置かれ、常に尊重されているのも当然ですね。」
「そう…か…。」
こんなガキのときだったのか。
オーストリア皇女が身よりのない異国に単身嫁いできたのは…。
そして、自分がその人を守るために軍隊に入ったのは…。
「王妃さまとは、そのようなときからのご関係ということですか。」
ルイ・ジョゼフは素直に感心していた。
その後の二人がたどった道のりを理解するには、まだまだ彼は若い。
だが、そうだ。
これは、単なる軍歴ではない。
王妃とオスカルとの交流の歴史でもあるのだ。
オスカルは再び軍務証書を手に取った。
そしてゆっくりと目を通し始めた。

入隊は、出逢いだ。
昇進は、関係の深まり。
転任による距離。
そして、除隊で別れた…。

「うん?」
最後が除隊となっていなかった。
休隊…。
どういうことだろう。
確かに除隊したはずなのに…。

「最後が休隊となっていましたが、ではいずれ復帰が可能ということなのですか?」
ルイ・ジョゼフの素朴な疑問が胸をついた。
あり得ないことだ。
オスカルが再び軍に戻るなど,絶対にない。
第一、戻るべき軍隊がもうない。
今は、アラン達が新しい軍隊を作っているのだから。
だが、除隊ではなく休隊となっている。
そして、あえてその書類をオスカル本人に届けてきた。
王妃が、みずから、王女に託して。

「ああ…。」
オスカルは大きく息をはいた。
瞬間的に王妃の本心が透けて見えた。
「わたくしちは別れたのではありませんよ。ただ少しお休みをしているだけ。でも、いつかきっと、きっと…。ねえ、オスカル・フランソワ。」
大きな瞳、ツンとしたハプスブルグ特有の唇。
オスカルの脳裏に無邪気な少女だった王妃の姿がよみがえった。
これは軍務証書ではない。
王妃とオスカルの歴史を刻んだ、たった一枚の、証拠の書類。
数奇なさだめの下で、純粋に互いを思いやった二人だけが知る二人だけの証書。
一筋の涙がオスカルの白い頬を伝って、その紙片にポトリと落ちた。









※「軍務証書」については、すべてでたらめです。旧日本軍における軍人手帳のようなものを勝手に想像し、捏造しました。もとより私の書きますものはすべて史実ではないことを、言うまでもないことではありますが、一筆お断り申し上げます(^_^;)。





       
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