奔   流

「なかなか大変だな…」
「ああ。ルイ・ジョゼフにはあんな風に大見得を切ったが、至難の業だ」
オスカルとアンドレは、差し向かいでワインを飲んでいた。
通常なら、一日の終わりの安らぎを感じるひとときであるはずだが、今夜ばかりは、さすがのオスカルでさえ、じっくり味わうゆとりがなかった。
バルトリ家からの帰宅時間は遅く、子供たちはすでに眠りについていて、会うことはできなかった。

これから先、ルイ・ジョゼフとマリー・テレーズの手紙を橋渡ししてくれる人間を捜す。
目下の二人の課題はこれである。
だが、簡単にいくものではない。
やつれ果てたルイ・ジョゼフの悲しみを理解しつつ、国王一家がとった行動を思えば、現在国王と秘密裏に連絡をつけることがいかに困難かは火を見るよりも明らかであった。
逃亡計画の首謀者であるフェルゼン伯爵は、国王一家との接点を望むなど到底不可能な状況である。
そして、この計画の成否を担っていたブイエ将軍は、すでに身の安全を確保するため、率いていた軍隊ごと国境を越えたらしいとの情報がある。
もはや国王の周囲に、国王のために動く、力のあるものは、いない。
フェルゼン伯爵と王妃との密書の仲介を果たしていたコミューンのものたちも、この逃亡事件によって、王妃への便宜供与などという危険きわまりない役を完全に放棄したはずである。

「ベルナールに依頼する、というわけにはいかないだろうか」
口にしてしまってから、オスカルは首を振った。
常に市民のために働くのがモットーのベルナール・シャトレが、国王のために働くはずはない。
そんなことは誰よりも知っている。
それでも、思わずその名を出してしまうほど、追い込まれていた。
「それなら、まだアランの方が見込みがないか?」
アンドレが、グラスに二杯めを注ぎながら言った。
めずらしいことだ。
彼もまた、酒の力を必要としているのだろう。
「国王の逃亡をみすみす許してしまった警備の責任を、アランが直接問われることはないだろうが、テュイルリー宮殿の監視は一層厳しくなっているはずだ。まさかその当事者に渡りを付けてくれとは言えない。危険すぎる」
オスカルは言下に否定した。
もっともだ。
アンドレはグラスを指ではじいた。
「手詰まりか…」

パリにいるものたちの顔を思い浮かべてみる。
つなぎ役を頼めるほど信頼できるもの。
国王に面会できるもの。
こちらの意をくんで動ける能力のあるもの。
まず考えたのはジャルジェ家の面々だった。
だが、貴族への監視は日に日に厳しくなっており、国王側近であったものたちは、もはや自分の身を守るだけで精一杯だ。
当然、ジャルジェ家も例外ではない。
そんな中で国王に近づいてくれなどとは到底できない相談だった。
そして、ベルナール、アラン…。
次々に浮かんでは消していく。
その繰り返しだった。
「この際、パリの知り合いを全部列挙してみよう。国王に面会できるかどうかは棚上げだ」
アンドレが開き直った。
「地位や身分や職業を問わず、性別も問わない。とにかく名前と顔を知っていれば全部リストにあげるんだ」

無茶苦茶な提案に思えたが、他に方法も見あたらないなら、やってみるほかない。
オスカルは、ペンと紙を用意したアンドレに向かって、次々に名前を挙げていった。
まずは軍隊関係。
人生の大半をそこで過ごしたから、知り合いの数も多い。
近衛隊、衛兵隊の将校を、上司も部下も交えて思いつく限り言ってみた。
だが、すぐにため息をついた。
「だめだ。まるで役にたたん」
「では軍人は終わりだ」
続いて取引のあった商人を口にしてみた。
だが、こちらもお粗末な結果となった。
ジャルジェ家の出入り商人は、ねこそぎ市民の襲撃を受け、大半はすでにパリを去っていた。
「他に、屋敷に出入りしていたものは…」

二人同時に叫んだ。
「ラソンヌ先生!」
なぜ、忘れていたのだろう。
こんなに信頼できて、自由に動けるひとを…。
医師ならば、国王一家に近づける。
ベルナールを使うのだ。
国王の側近の医師は信用できない、と提案させて、ラソンヌ医師を侍医に任命させるのだ。
腐っても国王。
侍医が検診に行くなら、おつきのものも同行できる。
クリスだ。
オスカルは、さまざまな因縁があって、随分衝突を繰り返したが、基本的にクリスという人間を信用しているし、高く評価もしている。
彼女が納得してくれれば、これほど強力な味方はいない。
アンドレもまた、そのことを誰よりも知っていた。
オスカルの妊娠を隠し通せたのは、すべてクリスの努力の賜だった。
「決まりだな」
オスカルがグラスを軽く掲げた。
「ああ、決まりだ」
アンドレもまた同様にした。

巻き込んでしまう後ろめたさ以上に、難問に対する解決の糸口が見つかった喜びは大きかった。
何とかなるかもしれない。
いや、何とかなる。
何とかしなければならないのだ。
これには、かわいい弟子の生死がかかっているのだから。
奔流に自ら飛び込むもの。
否応なく巻き込まれるもの。
まったく関わりないのに引きずり込まれるもの。
人生は、選べるようで選べない。
だが、少なくともオスカルは、自分で選んで奔流に飛び込み、かつ、引きずり込む人間まで勝手に自分で選んでしまった。
もちろんクリスは何も知らない。





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