奔   流

意に反することがあると閉じこもるのは、オスカルの専売特許だと思っていたが、もしかすると、それはある種の性質を持つ青少年の特性だったのかもしれない。
途方にくれつつも、クロティルドはしたり顔で、アンドレに解説してくれた。
オスカルの場合、青少年期を通り越して、その傾向は相当長く続いていたように思うが、という言葉は、アンドレの口からは当然ながら、発せられない。
もし口にしようものなら、目の前の問題が吹き飛んで、えらい目に遭うこと間違いないのだ。
だが、実際、オスカルの、いやなことがあったら閉じこもる、という性癖は三十台をこえたつい最近まであったことなのだ。
などと感慨にふけってしまったアンドレは、オスカルのまなじりがつり上がったのに気づき、あわててクロティルドに問いかけた。
「食事はとっているのですか?」
「運ばせてはいるけれど、なんといっても室内に入れないものですからね。毎回扉の前に置いたままよ」
ルイ・ジョゼフの籠城はすでに三日目に入り、もともと丈夫ではない彼の断食は、母親代わりを自認するクロティルドにとって、頭も胃も痛いことであった。

バルトリ侯爵がルイ・ジョゼフの引きこもりを伝えに来た翌日、オスカルとアンドレはそろって侯爵邸に駆けつけた。
だが、面会はできなかった。
ルイ・ジョゼフは、よほど誰とも会いたくなかったのだろう。
執事のところから、自室の鍵を一切合切引き上げて、それを持ったまま部屋にこもったのだ。
だから、誰も外から入室することができない。
なまじ頭の回りがいいと、こういうことになる。
このあたり、似たもの師弟である。
始めのうちは、押し殺したような泣き声が漏れ聞こえていたという。
だが、やがて静かになり、物音ひとつ聞こえなくなった。
夜になって、庭から彼の部屋を見上げてみても、灯りひとつともらない。
眠っているのやら起きているのやら、それすらわからない。
ここにいたって、侯爵はどんぐり屋敷に急行し、援軍を求めたのだ。

「やむを得ん。強行突破だな。屈強な男を呼び集めよう」
オスカルは、ニコーラに命じて水夫を招集させた。
バルトリ侯爵が当主だということは、この際、脇に置いた。
侯爵自身、その案を考えないでもなかったのだが、最後の決断に躊躇してしまったのだ。
オスカルには、そんなためらいは、ない。
こうと決めたら断固貫く。
ある意味、ルイ・ジョゼフもそうだから、やはり似たもの師弟である。

腕に自信のあるものばかり、五人集まった。
そしていっせいに扉に突進させた。
「いいか。決してひるむな!何が何でもこじ開けろ!扉の一枚や二枚、壊れたってかまわん!!」
勇ましいかけ声が響き、バルトリ邸は一瞬にして戦場になった。
オスカルの怒声には、男どもを奮い立たせる何かが含まれているのだろうか。
普段なら、絶対にするはずのないお屋敷の破壊行為だが、水夫たちは、何物かに駆り立てられるように全力で扉に突進した。
二度三度と繰り返す内、メキメキという不吉な音が響き、美しい装飾を施された頑丈なはずの扉は無残にぶち破られた。
「やった!!よし!進軍!!」
オスカルは先頭を切って勇ましく室内に乗り込んだ。
そして、立ち尽くした。

青白い顔と腫れ上がった双眸。
細い手足を長椅子に投げ出して、ルイ・ジョゼフは横たわっていた。
たった今、目の前で起きた勇ましい出来事も、彼の心には届かなかったらしい。
心がどこか別の世界に行っている。
ただ、オスカルの顔を認めると、ほんの少し、こちらの世界に帰って来たような瞳を見せた。
「ルイ・ジョゼフ!」
オスカルはすぐに長椅子に駆け寄った。
ぐったりとした身体を受け止め、すぐに医師を、と叫んだ。
ニコーラがあわてて部屋を出て行く。
水夫たちも、ニコーラにうながされ、続いて退室した。
このあたりの配慮は、若いながら、見事である。
きっと、このあと、水夫達にたっぷりとご馳走して、たった今起こった出来事を口外しないよう、箝口令をしくのだろう。
そちらはニコーラに任せればいい。
オスカルは、アンドレの手をかりながら、少年を寝台に運んだ。
クロティルドが枕部に座り、涙ぐみながらルイ・ジョゼフの手を取った。
「ニコレット、何か飲み物を…!」
母の命に、ニコレットもあわてて部屋を飛び出した。

アンドレが、ルイ・ジョゼフの机の上に、大量の手紙を見つけ、オスカルに目配せした。
差出人はすべてフランス内親王マリー・テレーズだった。
当然といえば当然だ。
彼が文通できる人はこの少女をおいて、ない。
彼の生き甲斐。
彼の生きるよすが。
彼の喜び。
それらはすべてこの手紙によって与えられていた。
まだ12歳の少年と少女。
高貴な生まれではあるが、不遇をかこち、同世代の友人を持つことなく、世間からも隔絶されて暮らしている。
思春期の入口で、孤独を押し隠していた二つの魂が、一瞬にして惹かれ合い、結びついたことは、その手紙の束からから容易に想像された。

フェルゼン伯爵という取り持ち役がいなくなり、もはや二人をつなぐものはこの世にない。
しかも、愛しい少女は想像を絶する侮辱を受けているのに、自分には何もできないのだ。
こんなところで、こんなにのうのうと、何をしているのだろう。
少年は、三日三晩、他ならぬ自分自身を責め続けていたのだ。
そのことが、アンドレには痛いほど理解できた。
愛する人の苦衷に際して、なにもできない情けなさ。
何度そんな思いに一夜を明かしたことだろう。
アンドレは、自身の来し方を思い、涙腺が緩むのを禁じ得なかった。

「ひとつの手立てが失われたからといって、そんなに落ち込むな。いいか。武官というものはな、ことにのぞんで常に複数の手段を考えておくものだ」
オスカルが厳しい言葉を投げかけた。
だが、その手はとても優しく、少年の背中をさすっていた。
少年のうつろな瞳に、かすかな光が宿った。
「そんなものが、ありますか?」
「ある。もしなければ考えろ。何のために今まで必死で学んで来たのだ?逆境に直面して逃げないためではないか!学問とは生きるためのものだ。おまえは机上の空論だけを私から学んだというのか?!」

さすがに師である。
どんなときも、教育の場面にしている。
急ぎ足で戻ってきたニコレットから水の入ったグラスを受け取ると、オスカルはそれを弟子につきだした。
「さあ、飲め!まず、今のおまえにできることは、この水を身体に取り込んで、本当にしたいことができる自分になることだ。そんなヘロヘロでは、内親王殿下の前に出ても、言葉一つ発することができんだろう」
少年は催眠術にかかったように、細い手でグラスを受け取ると、口につけた。
「ああ、一気のみはするな。むせるからな。少しずつ飲むんだ」
言われたとおり、少年はほんの少しずつ、水を口に含んだ。
同時に、瞳も少しずつ色をたたえはじめた。
クロティルドが、涙ぐみながら、見つめている。
侯爵は、やられた!とアンドレに片目をつぶってよこした。
さて、これから作戦会議だな。
アンドレは、長くかかりそうなルイ・ジョゼフのための支援に供えて、揃えるべき資料を頭の中で考え始めた。




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