聖夜の奇跡のその後

〜3〜

オスカルは軍人である自分に誇りを持っている。
それは周囲の事象に細心の注意を払い、わずかでも危険な兆候を察知したならば、即座に行動を起こすという習性を育み身につけさせた。
ノエル前からの、アンドレの動向は、この観点からすれば、極めて異常だった。
自分の側からできるだけ距離を置こうとしていた。
その理由に心当たりがなくはなかったので、というか、大いにあったので、オスカルとしては、そういうアンドレを受け入れざるを得ないのか、と自身に言い聞かせていたのだが、ノエルの夜遅く、自分の部屋に駆け込んできたアンドレは、全くいつもの彼で、すこぶる安心したところだった。

しかるに平穏な一週間ののち、アンドレはまたもや奇怪な提案をしてきた。
確かにこの一週間のうちにも、三日ほどの記憶がとんでいるのでは?と思われるような会話が、そう頻繁ではないが、あるにはあった。
たとえば、侍女のルイーズはおまえに随分優しいが、気があるのではないか?とからかってやると、何のことだか全然わからないようだった。
また、おまえの部屋はなかなか整理されていたな、とほめてやると、いつ入ったんだ?という顔をしていた。
フェルゼンとぶつかって強打したためだろうか。
顔面の腫れが相当ひどかったのは事実だ。
それとも、精神的に不安定になるようなことが、フェルゼンとの間にあったのだろうか?
確かアンドレは、衛兵隊を欠勤したくせに、フェルゼン邸へ見舞いに出かけたと聞いた。
フェルゼンとアンドレ…。
なかなか微妙なとりあわせである。

アンドレは、ずっとおまえを愛していた、と言った。
心底驚愕した。
だいたい、その告白の日が、フェルゼンとの決別の日だったのだから、驚愕も二乗の大きさだった。
自分の恋心が相手にばれて、完璧に振られた日に、別の男から恋心を告げられたわけだ。
無論、受け入れようもなく、こちらもまた、形は少々異なるが、振ったことになってしまった。

だが、フェルゼンとの関係は断たれたが、アンドレとは、そうはならなかった。
オスカルはアンドレに、二度と会わない、とは言わなかったし、アンドレも言わなかった。
だから、フェルゼンとの場合と違って、アンドレとの関係は、今までとまったく変わりなく続けてきた。
それは自分にとって当然のことだった。
アンドレは自分の生活に必要不可欠であり、まして衛兵隊で辛酸をなめる日々にあって、彼のフォローなくして日々の任務の遂行はなしえない。
「いつもおまえが影のようについてくれるからこそ、わたしは思うままに動くことが出来る。わたしひとりでは何もできない」
きちんと自分の口でそう伝えてもあるのだ。
聞きようによっては、立派な愛の告白なのだが、オスカルもアンドレも、互いにそうは思っていない。
とにかく、アンドレとの関係は今まで通りだったし、少々おかしい3日間はあっても、アンドレはいつものアンドレに戻っていた。
だから安心していたのだ。


しかるに…。
アンドレの動きが怪しい、と察したオスカルは、わざとだまされてやった。
素直にひとりで馬車に乗り、帰宅するフリをして、途中で忘れ物をした、と言って、営舎に戻った。
そして、今夜は泊まるからと、御者に告げた。
御者は、厩舎に馬車を入れ、自分も厩舎内の用人部屋に引き上げた。
それを確認するとオスカルは、二階に上がり、司令官室の隣の会議用の部屋にそっと身を潜ませた。
ここなら、司令官室の扉が開く音が聞こえるはずだ。
もしアンドレが何か動きを見せれば、躊躇なく尾行を開始するつもりだった。

馬車に乗る自分を見送ったアンドレは、いつものアンドレだった。
なぜならいつもの台詞を言っていたから。
馬の頭を撫で、「オスカルを頼むぞ」と…。
その言葉は不思議に温かく自分の心を包んだ。
そして、それを言わなかった日の異様さに、不信感を抱かざるを得なかった。

どれくらいたっただろう。
隣室の扉が開く音がした。
オスカルは会議室の扉にピッタリと身体を寄せ、耳をすませた。
こちらの気配を感じ取られてはならない。
階段を下りる音が聞こえなくなってから、そっと扉を開け、廊下に出た。
すでにまっくらである。
だが、灯りをつけるわけにはいかない。
オスカルは日頃の記憶を頼りに、できるだけ音を立てずに階段へ向かい、手すりを支えにして階段を下り始めた。

営舎の扉が開く音がした。
あわてて手すりのそばにかがみ、身を隠した。
アンドレが出て行ったようだ。
すぐさま階段を駆け下りた。
そして、静かに扉を開けた。
三日月の明かりでは、随分心許ないが、この際、贅沢は言っていられない。
精神を集中させて、アンドレの足音を聞く。
彼の靴音を聞きつつ、自分のそれは聞かれないようにするのは至難のわざだ。
だが、誇り高き軍人のオスカルは、斥候の訓練も充分に受けていた。
アンドレはどうやら隠密に動きたいらしく、衛兵と出会わない道を選んで歩いているようだ。
それはオスカルにとっても好都合だった。
やがて、アンドレがゴソゴソと音をたてて、茂みの中に入っていった。
確かそこは、以前、フェルゼンとアンドレがぶつかった壁のある場所だ。
オスカルは、ゆっくりと気配を消して、茂みに近づいた。
すると、
「冗談ではありません!」
という叫び声が聞こえた。
まず間違いないが、それはフェルゼンのものだった。
きつい口調だが、丁寧な言葉遣いである。
誰に向かって叫んだのだろう、と考えてハッとした。
アンドレを尾行したつもりが、王妃とフェルゼンの密会現場に出くわしたのだろうか。

だが、続いて聞こえてきた声は、小さくて内容は聞き取れないが、確かにアンドレのものだった。
彼の声は、身体が覚えているらしく、どんなに小さな息づかいでもオスカルにはわかるのだ。
それはアンドレも同様で、どんなに遠くても、どんなに小さくてもアンドレはオスカルの声を聞き分けた。

オスカルは思い切って姿を表すことにした。
茂みを割って壁の前に出ると、きわめてなじみ深い二人の男が、そろって目をまん丸にして、自分の名を叫んだ。




         MENUBACKNEXTTOPBBS