聖夜の奇跡のその後

〜6〜

アンドレは軽い脳しんとうを起こしていた。
当然だ。
フェルゼンは一応覚悟の上での強打だが、アンドレはまったくの不意打ちだったのだから。
オスカルは、フェルゼンに、これくらい当然だとばかりにアンドレを背負わせ、急ぎ司令官室わきの仮眠室に連れ帰った。
続いて厨房から濡れたタオルを持ってこさせ、アンドレの頭部にあてた。
随分ひどく腫れている。

「フェルゼン、おまえは大丈夫なのか?」
一応、身体はアンドレで、片眼を失っているわけだから、そっちが心配でオスカルは尋ねた。
「わたしは石頭らしい、ということに今回気がついた。新しい発見だ」
フェルゼンは悠然と答えた。

「すぐにも戻りたいのに…」
意識を取り戻したアンドレが寝台の上でつぶやいた。
「相当腫れ上がっている。再度強打するのは無理だ。今度は命まで危ない」
冷静に言ってから、オスカルはその言葉の恐ろしさにぞっとした。
「大げさだな。もう一度気絶するくらいだろう」
「だめだ!意識が戻らなかったらどうする?!」
語調が厳しくなった。
「身体は伯爵のものだからな。俺の意識がとんで、身体だけが残るってことか…」
アンドレはオスカルの心配がフェルゼンの身体であると思い、それを深い切なさとともに受け入れ、再度の強打をあきらめた。

「とにかく、しばらくはこのままでいくしかない。アンドレはここで回復を待て。そして、フェルゼン」
オスカルはフェルゼンに視線を当てた。
「おまえはここでアンドレの介抱をしていろ」
「だめだ、オスカル!」
今度はアンドレが叫んだ。
「ひとりで戻ってはだめだ!」
衛兵隊の内情は厳しい。
護衛なしで戻すわけにはいかない。
「伯爵、こうなった以上、あなたにお願いするしかありません。オスカルを頼みます」
アンドレの思い詰めた顔に、オスカルに警護などいらないだろう、とたかをくくっていたフェルゼンも表情をひきしめた。
「わかった。まかせてくれ」
胸をたたくフェルゼンを二人は冷たく見つめた。



人生、安請け合いほど後悔する物はない、とフェルゼンが思い知ったのは、それからまもなくだった
オスカルの逆襲が始まったのだ。
彼女は、今となってはめったに行かない宮殿の新年祝賀の式に参列したのだ。
もちろん付き人としてアンドレ姿のフェルゼンも同行した。
目の前に王妃の姿があるのに、気づいてすらもらえず、オスカルと王妃が楽しげに会話をかわすのをただ黙って見つめるしかないおのれに、フェルゼンは砂を咬むような思いで耐えた。

しかもオスカルは、わざとらしくフェルゼンのことを話題にあげ、どうやら風邪をひいて寝込んでいるとの噂でございます、などと王妃に告げている。
素直にその話を信じ、人目をはばかりながら心配そうに目を伏せる王妃の美しさが、フェルゼンから仮面を奪い、彼はただただ熱いまなざしを王妃にそそぐのを止められなかった。

「アントワネットさま、フェルゼンは目の前におります。ここで、あなたさまを見つめております!」

フェルゼンは今にも叫び出しそうだった
馬鹿なことをした。
アンドレになりたいなどと…。
フェルゼンの姿であってこそ、王妃との切ない恋もあるわけで、別人になってしまっては、存在すら認めてもらえないのだ。
フェルゼンは完全に意気消沈し、腑抜けのようになった。

薬が効きすぎたようだ。
オスカルは謁見を早々に切り上げた。
フェルゼンは借りてきた猫のようにおとなしくしおれている。
「オスカル、勝手なようだが、一刻も早く元の姿に戻りたい。アンドレの腫れはいつひくだろう」
謁見の間を出ると、泣き出しそうな顔でオスカルに尋ねてきた。
まったく勝手な話だ。
アンドレがどんなに戻りたがっているか。
それができないことをどんなにもどかしがっているか。
オスカルは自分が、何に怒っているのかつかみかねながら、当座、目の前の男にそれをぶつけて、任務の遂行に専念することにした。
何年も想い続けた男をあごでこき使いながら、オスカルの胸はいらだたしさと空しさが錯綜して、一日心が晴れなかった。

そしてようやく司令官室に戻ると、すぐに仮眠室に飛び込んだ。
不思議なことだが、恋いこがれた男の姿で、幼馴染みが座っていた。
その目は、心配で心配で到底横になどなっていられない、と率直に告げていた。
「伯爵は?」
だが、彼が口にしたのはオスカルのことではなく、自分の姿で一日歩き回った男のことだった。
「司令官室にいる」
なぜ口惜しいのかわからないまま、オスカルは短く答えた。
「何度も冷やしたので、随分ましになった。これなら戻れると思うから、呼んできてくれないか」
「大丈夫か?」
「ああ、もう限界なんだ」


あこがれ続けた貴族。
しかもオスカルの思い人の姿。
はからずも自分がそうなった。
黙ってこのままいたら、もしかしたらオスカルと全然違う形で関係を持つことができたかもしれない。
だが…。
だが…、できなかった。
アンドレ・グランディエとして側にいるのでなければ、何の意味もないのだ。
フェルゼンとして愛されても、それはみじめなだけなのだ。
アンドレは仮眠室の寝台でずっと考えていた。
オスカルへの思いは、もうどうしようもないものなのだ。
それならば、元の自分のまま、自分の思いに忠実に生きていくしかない。
仮の、偽りの姿でいることは、もう限界だった。



オスカルに呼ばれてフェルゼンは転がるように仮眠室にかけ込み、嬉々とした表情でアンドレの前に立った。
「さあ、戻ろう!」
無類のお調子者である。
「ええ、庭園に行きましょう」
アンドレもゆっくりと立ち上がった。
「わたしも行くぞ。前代未聞のできごとだ。この目でしっかり見ておきたい」
オスカルが手を取り合わんばかりにして外へ出た二人のあとを追った。


例の壁ぎわまで来て、フェルゼンがよじ登った。
アンドレが真下に立つ。
その横でオスカルが審判のように目を光らせていた。

「えい!」

勢い充分にフェルゼンがアンドレめがけて飛び降りた。


ゴチ〜ん!

鈍い音がして二人の男が転がった。

「アンドレ!フェルゼン!」

オスカルが駆け寄る。
「アンドレ…!」
アンドレの身体をゆする。
うっすらと目を開けた男は頭をさすりながら起き上がった。
「どっちだ?」
オスカルが詰問する。
「おれだ…。オスカル。アンドレだ」
「アンドレ…!本当に、本物のアンドレだな?」
「ああ。まちがいない」
「ばあやの名前は?」
「マロン・グラッセ」
「こまっしゃくれのローランシー家の娘は?」
「ル・ルー」
「アンドレ!まちがいない。アンドレだ」

「う…ん」
隣でごそごそともう一人の男が立ち上がった。
「フェルゼン」
オスカルが呼んだ。
「あ…、、ああ。フェルゼンはわたしだ」
そういいながら自分のいでたちをすぐに目視で確認し、
「ああ、よかった。これで王妃さまにお目通りできる!」
と拳をにぎりしめた。
「明日にでも謁見を申し出るぞ」
ひとり悦に入っている。
が、オスカルが白い目を向けていることに気づき、彼は照れ笑いをした。
「オスカル、色々すまなかったな」
「謝罪なら、わたしにではなくアンドレにしろ」
至極もっともな意見だった。
「アンドレ、」
フェルゼンはアンドレに向かい、まっすぐに姿勢を正すと、きちんと頭を下げた。
「すまなかった」

アンドレは片手をあげてそれを制そうとし、オスカルに止められた。
「まだたりないくらいだ。せめてこれくらいは受けておけ」
「まったく面目ない。いずれ形にして誠意を表明するよ」
フェルゼンはアンドレに意味ありげに視線を向けた。
「伯爵、どうぞ、もうお気遣いなく…」
「うちにロザリーによく似た侍女がいることを思い出したんだ。きっと気に入ると思う。では、また…」
フェルゼンはニコニコとその場を去っていった。

「伯爵!誤解です!」
アンドレの声が空しく闇に消えた。
「アンドレ、行くぞ!」
オスカルはくるっと向きを変え大股で営舎に戻っていく。
心なしかその肩が怒りに震えていた。
その怒りの意味に彼女はまだ気づかない。
けれど、一年後のノエル、二人は…。  



                                       FIN



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