《「相身互い身」の略》  同じ境遇にある者どうしが同情し、助け合うこと。また、その間柄。

相身互い

 あいみたがい


将軍夫妻とクロティルドがそろってオスカルの部屋にやってきた。
ここに父が来るのは、例の成敗騒動以来である。
父も子も、あの夜のことはできるなら忘却の彼方に追いやりたくてたまらないのだが、悲しいことに現在につながるすべてのことは、あそこから始まっている。
父は、娘の結婚と妊娠と妻の本心を、三連打のごとく告げられた。
子は、父には命を奪われかけ、母には新しい命が胎内に宿っていると告げられた。
おかげで二人そろって軍籍離脱を余儀なくされ、今は仲良く引退の身である。
相身互いすぎて、互いにどんな顔をすればいいかわからず、オスカルが衛兵隊から戻ってきてからというもの、同じ屋敷にいながら、父子は一度も顔を合わせていなかった。


微妙な雰囲気が二人の間を漂う。
母とアンドレもそれを察して、沈黙ののまま控えている。
ひとりクロティルドだけが、何がそんなにうれしいか、というほど顔をほころばせて、長椅子に座る妹に駆け寄った。
「オスカル!」
声も興奮気味である。
「まあまあ、オスカル!どうなの、調子は?」
当然のように隣に腰を下ろしてきた。
興味津々のまなざしで、そうあけすけに聞かれても、答えようがない。
自分ではまったく自覚症状がないのに、医師からはただ絶対安静とだけ言われているのだから。

「姉上こそいかがなのですか。というより、なんだって今頃こちらにいらしたのですか?」
ベルサイユ在住の武官としては当然すぎる質問だった。
「あら、いつもの買い付けよ。」
こちらも当然のように答えた。
「それなら義兄上の仕事でしょう。」
「彼は海の上なのよ。だから代わりにわたくしが…。あなたのお顔も見たかったし…ね。」
コロコロと口元を扇で押さえながら笑う姿は、年を感じさせない若々しさだ。

「途中、危険はありませんでしたか?」
オスカルの顔が引き締まる。
相当数の軍隊が動いているのだ。
どの街道もただならぬ気配を漂わせ始めているのは疑いない。
「わたくし自身は少しも危険なことはなかったのですけれど、人の往来がいつになく激しくて、宿がどこもいっぱい。軍隊が通るからなんでしょうね。横柄なくせに払いが悪いって評判でした。」
眉をひそめる姉に、思わずオスカルは父を見た。
その批判はおそらく当を得ているのであろうが、しかし、自分はともかく退役したとはいえ生粋の軍人である父の前で露骨な軍隊批判はいかがなものか。
父の機嫌をそこねたのではないか、とオスカルは案じた。
だが今日の父は何か達観しているというか諦観しているというか、いつもの緊張感がなく、オスカルほどにはその言葉に反応していなかった。

一方で、そういう気配を感じ取る能力が完全に欠落しているようなクロティルドは、しげしげと妹の顔をながめている。
「顔色もよさそうだわ。レイモンドの話では、訪ねてきた部下と面会したりして、案外お屋敷の中をうろうろしているそうですね。」
すでにそこまで知っているのか。
事実なだけに否定もできず、オスカルは、嫌な話題になったものだと顔をしかめた。
「それなら大丈夫ね。お母さま、オスカルのことはお任せ下さいな。」
クロティルドは母に言った。
「馬車よりはずっと静かですのよ。ご心配はいりませんわ。」


何が静かなのだろう。
どうしてクロティルドさまにオスカルを任せるのだろう。
少し離れて控えるアンドレは話が見えず、首をかしげた。
オスカルも同様に訝しげな表情をしている。
いつもながら発言の真意を探りにくい人だ。
悪気なくしたことが、自分たちにとっては福音となる経験を、今まで何度も積んでいながら、その都度、果たしてどうなるのか、という不安を起こさせる。
結果が出るまで、気が気ではないというものだ。
おそらくそれはクロティルド自身に真意がないからなのかもしれない。
つまり思いつき、行き当たりばったりなのだ。
ただ、希有なことに、どの場合も結果だけは良しと出る。
不思議といえば不思議この上ない人だ。


「あのね、オスカル。今日明日にもうちの荷物がこちらに届きます。そしたらそれを小船に乗せて水路を使い、セーヌで待機中のわたくしの船に移して、そのままわたくしは領地に戻ります。」
「それはまたお忙しいことですな。まあ、長逗留はおすすめできませんから、正解だとは思いますが。」
「だからあなたもできるだけ急いで身支度をしてちょうだいね。忘れ物をしても一旦セーヌに出ると取りに戻れないのよ、心してね。」


オスカルは姉の言葉が理解できなかった。
だから返事をしなかった。
すると姉は、大きくうなずいた。
「ああ、そうね。あなたに言っても所詮動けないのだから無駄ね。アンドレ。」
クロティルドはアンドレを呼んだ。
驚いてアンドレが返事をするのにかぶせてクロティルドは続けた。
「オスカルの分もあなたとのと一緒に荷造りしてちょうだい。これからはこの子の世話はあなたが一手に引き受けなきゃいけないのだから、頼みますよ。本当はオスカルも荷物と一緒に梱包できれば一番安心なのですけれどねえ。」
ひょっとしとてジャルジェ家では、妹には容赦しない、という姉たちの取り決めでもあるのだろうか。
なかなか手厳しい言葉である。
だがアンドレもクロティルドの言葉が理解できなかった。
したがって失礼とは思いつつ返事ができなかった。
どうしてオスカルを梱包すれば安心なのだろう。
というかれっきとした人間であるオスカルを梱包?
不思議さもここまでいくと発言者との意思疎通は断念するしかない。
二人はそろって将軍夫妻に助けを求めた。




「なんですって〜!」
オスカルが大声を出した。
アンドレも、この際、腹圧が、とたしなめるほどの余裕はなかった。
彼自身が、とにかく驚いてしまったからだ。
将軍がしかめっ面のまま、淡々と計画を述べた。
ところどころ夫人が補足した。
何度かクロティルドがチャチャを入れてひっかきまわした。
だが、それでなんとか理解できた。
だが理解できたのは頭の中だけで、実感はなかった。
これからバルトリ家の船で、はるばるノルマンディーまで行く、らしい…。
しかもこの行き先は自分の領地だという。
もとよりオスカルは、クロティルドから領地を譲られたこと自体知らなかったのだから、いきなり、そこに行けと言われて、はい、そうですか、とはいくらなんでも言い難い。
大声のあとは黙り込んでしまった。

一方、アンドレは領地のことは無論知っていた。
当然だ。
クロティルドはアンドレあてに送付してきたのだから。
だが、公の書類でもあることゆえ、これを自分の手元に置くことははばかられ、忙しいだんなさまには必要なときにお耳に入れてもらえれば、という判断のもと、一切を執事に託してあった。
したがってそれ以後遺産のことは完全に頭から消えていた。
クロティルド来訪と聞いても、まったく思い出さなかったくらいである。
それが今になって、オスカルと二人、そこへ行け、と言われようとは…。
人生、何が何につながるか、本当にわからないものである。
ことにクロティルドがらみとなると、一層その感が深い。
アンドレも言葉がなかった。


「突然のことゆえ、驚くのも無理はありません。」
夫人が優しい声をかけてきた。
「わたくしだって、さっき知ったお話なのですもの。」
チロリと、夫人の視線が、将軍に向けられた。
将軍の体がビクンと反応するほど、それは一瞬ではあるけれど鋭いものだった。
だが、夫人はすぐに柔和な顔に戻った。
「けれども、妙案だと思うのですよ。一刻も早く、あなたをここから連れ出したいと思っておりましたからね。マリー・アンヌたちがアラスに行くよう手配を整えてくれていたのに、思わぬことであきらめざるを得ず、どうしたものかと案じておりました。」
まったく懐妊中に馬を飛ばすなんて…と、いつもの繰り言につながりそうな気配を察し、オスカルは即座に頭を垂れて、詫びた。
これが始まると長いのだ。
これで母の心得などに移行しようものならここから軽く一時間は覚悟しなければならない。

「船ならば良いということでしょうか。」
とっさに質問を考え出した。
「セーヌの流れは緩やかですからね。小船ならともかくうちの船なら快適な旅を保証してあげてよ。」
クロティルドがそれと知らず助け船を出してくれた。
「わたくしも同行させていただいてよろしいのでしょうか。」
今度はアンドレがおそるおそる尋ねた。
だんなさまは先ほど二人で、とおっしゃっていたが、乗るのはバルトリ家の所有船だ。
クロティルドの了解なしに勝手なことはできない。
「当たり前でしょう。あなたが乗らなきゃオスカルも乗らないではありませんか。」
遠く離れていてもさすがに姉上、妹の性分はお見通しである。
「ありがとうごさいます。ではわたくしはすぐに用意にかかります。」
アンドレは即座に対応した。
動かせないと思っていたオスカルを、ベルサイユから遠ざけられる。
しかも、早急にだ。
こんなありがたい話はなかった。

「あなたは話が早くていいわ、アンドレ。ほんとに得難い人材ね。」
アンドレは高い評価に恐縮しつつ、居並ぶ夫妻とクロティルドに深々と頭を下げ、退出した。
オスカルは、あわてて、待て、と言おうとしたが間に合わず、父と母と姉の中に取り残された。
どうしろというのだ。
この面々の中に取り残されて、どんな会話が成立するというのか。
オスカルは完全に窮した。

だが将軍もまったく同感だったようだ。
「これがバルトリ家から譲られた領地の書類だ。すでにおまえの名義になっている。目を通しておけ。」
将軍は、長椅子のオスカルにポンと書類を投げると、アンドレの後を追うように出て行った。
こちらもいろいろさまざまに複合的な理由から、相当居づらかったのだろう。
無理もないことだった。
オスカルはいたく父に同情した。

「あら、アンドレ宛に送ったのに、お父さまがお持ちだなんて…。まったく男って信用なりませんことね。」
クロティルドが男二人が出て行った扉に向かって辛辣に言い放った。
たったいまアンドレに高い評価を与えたばかりなのに、この変わり身の早さは見事としか言いようがない。
しかもきつい娘の言葉に、母の夫人がたしなめるどころか、めずらしく大きくうなずいた。
「目を離すとすぐ勝手なことをするのです。アンドレも男にかわりはありませんからね、オスカル。」
夫人はクロティルドとは反対側のオスカルの隣に腰を下ろすと、母の心得ならぬ妻の心得を懇切丁寧に説き始めた。

所詮男と女の二種類しかいないのだ。
相身互いというものではないか。
そこまで批判したり対立したりしなくとも…。
男として生きてきたオスカルは、こういう場合でも、男の方により親近感を感じてしまう自分に気づき、両隣の母と姉に気づかれないようクスリと笑った。
それから真顔に戻ると、ノルマンインディーに行く、という計画について考え始めた。
母と姉の言葉は、まるで聞こえていない。
土台、自分にとって意味のないことは聞いても仕方がない。
それよりも船だ。
船ならば動けるのだ。
黙った姿を殊勝と見た夫人は延々と語り続けていた。








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