結局、将軍はすべてを白状せざるを得なかった。
こんなに綿密にことを運んできたのに、なぜ最後の最後でつまづくのか。
自分では全く遺漏なき計画だったはずなのに。
上手の手から水が漏れるとはこのことだ。
将軍は傍目にもありありとわかる落胆ぶりの中で答えを探した。
そして、これしかない、という回答を得た。
つまり、これは、ひとえにクロティルドの無謀なまでの好奇心と行動力のせいなのだ。
動乱のただ中から、一家が一丸となって武官であるオスカルをさえ逃がそうと躍起になっているときに、ほいほいと世間知らずの貴族の女が一人で出てくる神経は、将軍には全く理解できなかった。
だが、このように育てたのは自分である。
将軍は来し方を振り返らざるを得なかった。
早くに許婚者が決まったマリー・アンヌに続いて、年頃になり、ベルサイユ随一の美少女とうたわれたクロティルドには求婚が殺到していた。
代々の将軍職に加え、長女は王家と親戚の公爵家に嫁ぐことが決定していたジャルジェ家の、希代の美形の次女とくれば、それも無理からぬことだった。
そのあまたの求婚者を尻目に、ジャルジェ家が選んだのが、地方貴族出身の近衛士官であるバルトリ侯爵、当時は子爵であった。
なぜ申し込んでもいないバルトリ子爵か。
宮廷では、意外な人選に誰もが驚いた。
だが、直属の上司であったジャルジェ将軍は、いたって真剣だった。
アドルフ・レオポル・ド・バルトリは、線の細い近衛士官の中で、群を抜いて骨太で、気骨があり、臆せぬ物言いが嫌みにならぬ男だった。
家柄だけで人を評価するものには、決して理解できない尺度で、父は婿を選んだ。
男として育ていずれ近衛に入隊させる心づもりの跡継ぎにとって、これほど心強い後見はないという判断だった。
したがってクロティルドの意見は全く聞かれなかった。
初対面から結婚までに二人だけで面会したのは片手にも足りぬ回数だったはずだ。
そして、結局、将来を期待してやまなかった婿は、近衛を辞し、領地に妻を伴って帰ってしまった。
こういう境遇の次女が、自分などの思いもつかぬ行動を取ったとしても、責める資格はない。
「つまり、わたくしの船にオスカルとアンドレを乗せて帰ればよろしいのですね?」
すっかり沈黙してしまった両親に向かって、クロティルドはこともなげに言った。
「うむ。今となっては夢幻の計画だがな。そうできればと思っておった…。」
将軍は大きくためいきをついた。
「あら、どうしてですの?」
大きな目で問われても答える気にもならない。
ジャルジェ夫人が夫にかわって娘を諭した。
「いくらなんでもあなたの馬車に身重のオスカルを乗せるわけには行きませんでしょう?それができるくらいなら、とっくにアラスに行っています。だいたいあなたひとりで帰すことすら今となっては恐ろしいくらいですよ。本当に、こんなときに出てきてしまうなんて…。」
結局、夫人も夫とともにため息をつかざるを得なかった。
ここに留めておくのも、留守中の夫君に申し訳ないが、さりとて一人で帰すのも危険だ。
こうなった以上、このベルサイユに、夫婦と娘二人とでとどまるしかないのだろうか。
「お父さま、お母さま。わたくしが船を漕ぐわけではございませんのよ。うちの船に二人をのせるくらいたやすいことですわ。」
クロティルドの言葉に夫妻は意表を突かれた。
黙り込んだ両親にクロティルドは満面の笑みをたたえて説明し始めた。
確かにクロティルドは馬車で来た。
だが帰路は船を使うつもりでいたから、風向きのよい日を選んで、馬車と日をあわせて到着するよう前もって船を領地からさしむけてあるのだ。
おそらく今頃、その船は、運河との合流地点までセーヌを上ってきて待機しているはずだ。
パリからジャルジェ邸に注文済みの荷物が到着すれば、小船に積み込み水路と運河を使ってセーヌに出て、そこで待機中の船に乗り換え、一気に領地へ向かう。
こんな仕事など、夫でなくともできる、というのがクロティルドの言い分だった。
思いもかけぬ話だった。
いつもバルトリ侯自身が船でやってきて、パリに乗り込み、買い付けし、また船で帰っていくので、候が船を使うという発想はあったが、まさか娘が船をとは思わなかった。
てっきり乗ってきた馬車で帰る気なのだと思い込んでいた。
だからこそ、見知らぬ水夫の操る船にオスカルたちだけを乗せるわけにはいかないと思ったのだ。
「おまえは水夫たちを使えるというのか?」
将軍がゆっくりと口を開いた。
「もちろんですわ。これでも船乗り貴族と言われたバルトリ侯爵夫人ですのよ。水夫たちは皆、わたくしとは懇意のものばかりですわ。」
クロティルドは、誰に向かって言っているのだと言わんばかりの口調だった。
「船の男たちはなかなか気性が荒いと聞いていますが…。」
母は心配を隠しきれない。
「荒くれ者ほど優しいのです。」
クロティルドは自明の理だと断じた。
夫妻は顔を見合わせた。
そうなのだろうか。
軍人とはいえ、自分たちはもともと貴族としての暮らししか知らない。
商人とのつきあいも、物を通してのみだ。
しかも納品させてもらう立場ゆえ、彼らは一様にへりくだって接してくる。
商人ですらそうなのだ。
まして水夫たちがどんな人種か見当もつかない。
だが、領地に引き上げて十数年のクロティルドは、ベルサイユの貴族とは違う物差しを持っているようだ。
「わたくしの妹だと言えば皆歓迎してくれましょう。まして近くに住むとなればなおさらです。」
クロティルドはなんの心配もいらないと笑った。
「こんなことなら夫よりもわたくしが来て大正解でしたわ。妊婦の扱いは経験者のわたくしのほうがずっとふさわしいですものね。」
招かれざる客のごとく扱われた自分の訪問に、千金の価値を与えるべく、クロティルドは豪語した。
バルトリ侯が近衛隊を辞任して領地に戻ると聞かされたとき、夫妻はいったい娘はどうなるのかと身を切られるほど案じたものだった。
こんなことなら結婚させるのではなかったとすら思った。
特に父は、自分が選んだ婿だったからなおさら後悔の念をつのらせいてた。
ただ唯一の救いは、娘が親の案じるほどには先行きを心配しておらず、むしろ新しい生活を楽しみにしている風であることだった。
「なんのご心配もございません。お父さま、お母さま、ごきげんよう。」
最後の言葉は船の上からで、優雅に手を振る娘に、母は涙に暮れた。
案の定、遠い領地暮らしでは、行き来もままならず、夫君は買い付けのたびに立ち寄ってくれるものの、娘の方は数年に一度会えるかどうかという関係になってしまった。
遠くから案じるしかできない自分たちが情けなかった。
だが、その心配は杞憂だったようだ。
ベルサイユから旅だったか弱い一輪の花は、遠いノルマンディーで、親の予想を遙かに超えてたくましく育っていた。
水夫を使う貴婦人など聞いたこともないが、すでに娘を軍人として育てたジャルジェ家である。
もはや女が何をしようと、一向に気にせぬ家風が育ちつつあった。
夫妻は見事に開いた花一輪に、オスカルを委ねる決心を固めた。
花 一 輪
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