思いもよらぬ成り行きで強制引退を強いられ、人生でかつてない自由時間を手にした将軍が、一矢報いんと熟考の末に考え出した案は、いみじくも暇に飽かして始めた書類整理の産物だった。
あとでゆっくり見ようと思っていた私信の束をひもとく中で、クロティルドの夫でかつての部下、バルトリ侯からのものが、優先順位の低い方に紛れ込んでいたのに気づいたのだ。
いささか驚きあわてて封を切った。
もし急ぎであったなら、放置していたというのは随分失礼なことだ。
あせりつつ開いた封書には思いがけないことが綴られていた。
先般死去した叔父からの遺産処分を妻に任せたところ、ジャルジェ准将に譲ったとの報告を受けた。しかも父上には内密のことだと言う。もってのほかであると言ったが、父上もご存知の通りの女性で、聞く耳をもたない。当家からジャルジェ家に領地を譲るというのはおこがましいこと極まりなく、どうかご不快に受け止められることなく、できれば献上とご解釈願いたい。領地は当方領地とはセーヌにそって地続きにあり、広さはさしてないが、上質の綿が取れる地である。収穫高は…。
以下領地の説明が簡潔に述べられて、最後に、両親の健康を神に祈ると付されていた。
義父に対する配慮に充ち満ちた手紙であった。
クロティルドが何を考えてこのような挙に出たのかはわかりかねたが、領地献納というのであれば当主として知らなかったではすまない。
ここのところオスカルの結婚やら何やら蚊帳の外にされることが続いている。
今度こそ時間もあることだ。
しっかり対処せねば沽券に関わるというものだ。
将軍はすぐに執事のラケルを呼び寄せた。
ここ最近、クロティルドからオスカルに手紙が来たかと問うと、アンドレあてに来たとの答えが返ってきた。
なるほど考えたものだ。
領地に関する書類をクロティルドはアンドレに送った。
無論代理人ということだろうが、オスカル自身に送るよりよほど確実に保管されるはずだ。
しかもラケルは驚くべきことを告げた。
「クロティルドさまからの書類は、実は一切がっさい自分が預かっております。アンドレから渡されました。そしてもしだんなさまからこのお話が出たら、すぐにお渡ししてほしいとのことしでした。」
そう言ってラケルは領地関連の書類を将軍に提出した。
すべて当主に内密にことを運ぶ女性軍に対して、男というのはなんと忠実でけなげなものか。
バルトリ侯といいアンドレといい、皆、自分に対し最大限の敬意を持って隠し事なく対してくれている。
考えてみれば、この二人の男はどちらも娘の夫である。
ひとりは近衛連隊長の職を蹴って貿易に従事し、ひとりは貴族ではなく平民の従僕だ。
そろってなかなか毛色の変わった男たちである。
だがどちらも自分に誠実だ。
息子には恵まれなかったが、神は婿という形で味方を授けてくださった。
将軍は深く感謝し十字を切った。
こうして婿二人のあずかり知らぬところで、将軍によって密かにジャルジェ家男性軍が結成され、将軍の計画は始まった。
クロティルドがオスカルに譲ったバルトリ侯の叔父の遺産は、少しばかりの領地と別荘だった。
そしてそれは候の領地同様セーヌの下流ノルマンディーにある。
したがってベルサイユから運河経由でセーヌに出る候の船に乗れば、オスカルの新領地となった別荘には簡単に到達できる。
将軍の秘かな目論見は、この船にオスカルとアンドレを積んでしまうという、なかなか大胆なものだった。
アラスに妻とオスカルをつれて隠遁するというのは、ジャルジェ家としては最善の方法だった。
フランスの一大事に王室を見捨てていくような形になるのは断腸の思いだったが、事ここに至った以上ほかにとるべき道はないと判断した。
だが、身重のオスカルの様態が、馬車の長旅に耐えられない事態となった。
引退した以上、いつまでもベルサイユにとどまるのは本意ではない。
とりあえず自分たち夫婦だけでも出発しようと思ったら、妻に一蹴された。
「いつまでも、どこまでも」ついていくと言った妻は、どこかに消えていた。
それはないだろう、と言うのが将軍の正直な気持ちだった。
夫より娘を取るのか。
がっくりと来た。
だが、一方で妻の気持ちも理解できた。
あの娘のことだ。
ベルサイユに置いたまま、両親の目がなくなれば、何をしでかすかわからない。
手元でしっかり監視しておかねば、命の危険すらある。
妻が頑として動かぬ理由は明らかだった。
アンドレを信用しないわけではないが、長くオスカルの意志に従って生きることを信条として来た彼は、最後の最後でオスカルに譲歩してしまう可能性が高い。
やはり母親がついているしかない。
そこにこの話である。
船ならば、馬車よりずっと早くベルサイユを離れられる。
ここのところの長雨でセーヌの水かさは安定している。
しかも途中でどこかの軍隊とすれ違う心配もない。
自分と妻は予定通りアラスへ、そしてオスカルとアンドレは新領地へ。
ベルサイユから遠ざければ、そうそう馬鹿なこともできまい。
オスカルの監視はアンドレひとりで充分だ。
この二人ならば小さな領地くらい苦もなく治めるだろう。
自分は妻と二人、子供のことで思い煩うことなく、悠々自適の老後を、送るのだ。
決してひとりでアラスに向かうという計画は思いつかぬ将軍だった。
すぐにバルトリ侯あてに返書を書いた。
内容は以下の通りである。
領地の件、委細承知した。心遣いに感謝する。そろそろ貴公がパリに出てくる季節だが、現在のパリは非常に混乱している。あらかじめ希望する商品は書面で手配し、ジャルジェ家に納入させたほうが安全である。また人間の数は少ない方が動きが取りやすい。数日当家に滞在し積荷を受け取ったら速やかに帰郷するのがよかろう。
これでバルトリ侯と少数の付き人が来訪すれば、腹を割って詳細を説明し、オスカルとアンドレを同船させてもらう、という段取りだった。
妻や娘たちには、バルトリ侯の了解を得た上ですべてをあきらかにする。
さんざん部外者扱いされてきたことへのささやかな抵抗だった。
しかるに、今、目の前でにこやかにほほえむのは、たくましいバルトリ侯ではなく、自身の力では扇を揺らすのが精一杯ではないかとすら思える中年の次女であった。
しかも夫人がこちらの計画を見事に看破した。
人生とはまことに山あり谷あり、試練の連続であると将軍は思い知った。
花 一 輪
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