「バルトリ候はどうしたのだ?」
夫人が裁判官のような視線を寄せる中、ジャルジェ将軍は40歳を少し超えて一層円熟味を増した次女に問いただした。
「そろそろイングランドを離れて海の上でしょうか」
「この時期にはいつも買い付けに出てきていたはずだが…」
コホンと咳払いをして威厳を取り繕う姿が、妻にはわざとらしく映り、娘にはほほえましく見える。
「そうなのですが、大層実入りのいい話がロンドンで持ち上がりまして、よろこんで出港いたしました」
いかにも候らしい。
いやしく見えない金儲けができる稀有の人材である。
「それなら執事でも誰でもよこせばいい。なぜおまえが来るのだ?」
きつい口調にならぬよう最大限の配慮をしつつ、将軍はつい言葉尻があがってしまう。
やはりクロティルドの帰省は予定外だったのだ。
あわてふためいている夫の姿に夫人はいささか安堵した。
この時期にこちらに娘を呼ぶなどまともな神経の持ち主のすることではない。
何か行き違いがあったのだろう。
「オルタンスも先日出てきていたそうですし、オスカルの身辺もなかなか賑やかだということでしたので、どうせならわたくしが…と思いましたの」
先ほど客間で母親に告げたとおりに娘は返答した。
「女ひとりでのこのこ出てくるような情勢ではない」
苦虫を噛み潰した上に呑み込んだような渋い表情が父の顔に表れた。
「でも危険なのはパリでございましょう。ここベルサイユはそんなに荒れているようには思いませんし、お父さまのご指示通り、必要な品々は二、三日中にこのお屋敷に届く手はずを整えております。ですから、わたくしはそれらを船に積み込んでセーヌを下るだけで領地に戻れますのよ」
かつてルイ14世がベルサイユに都を築いたときもっとも苦労したのが水だった。
セーヌ河が中心を横切るパリと違い、ベルサイユは川筋からやや離れた場所にある。
その解決策として、当時大工事を敢行し運河が構築された。
有力貴族であり、軍事をつかさどるジャルジェ家では、有事に備えていち早く運河を自前で引き水路を確保していた。
したがって屋敷地からこれを利用してセーヌに出ればパリを経由せず、一気に河口のバルトリ候領に入ることが可能なのだ。
「少しお話が見えてまいりました」
黙って父子の話を聞いていた夫人が初めて口を開いた。
「バルトリ家の荷物に何かを紛れ込ませるおつもりでしたのね?」
将軍が娘の嫁ぎ先の便宜をはかるためだけに、わざわざ手紙を書いたりするわけはない。
何か魂胆があったはずだ。
夫人が鋭い推理を働かせる。
妻の策士ぶりには、オスカルの結婚騒動以来痛い目に合わされてきたが、だからこそ内密に話をすすめてきていたのに、ここにきて、わずかの行き違いから策謀が露見しつつある。
最後のつめが甘かった。
買付に出てくるのが誰か、確認を怠った。
痛恨のミスである。
将軍は天を仰いだ。
「さて、何を運ばせようとお考えでしたか?」
取り調べのようだ。
「大したものではない」
「そうですの?わたくしは随分かさばるものではないかと拝察いたしておりますが…」
「まあ…、うむ…、比較の問題だ」
「そうでしょうか。一つではございませんでしょうし、運ぶとなるとなかなかやっかいな代物ではございませんこと?」
どうやら夫人には目星がついたらしい。
しかも正解のようだ。
だが二人の会話を聞くクロティルドには何のことかさっぱりわからない。
「仲良くお話なさるのは大変結構でございますけれど、はるばる遠路やってまいりました娘の前でわざわざなさる必要がございますの?」
きつい厭味をさりげなく口にする娘に夫婦は目を見合せた。
「ごめんなさい。あなたをのけものにするつもりはないのよ。むしろ今回はわたくしがのけものにされようとしていたのですわ。ねえ、あなた」
「うーむ…」
将軍は呻ったきり言葉が続かない。
「あらあら。お父さまがお母さまをのけものにするなんてあり得ませんわ。むしろお母さまをご自分の手元にひきとめておくために色々画策なさるというならわかりますけれど…。ねえ、お父さま」
クロティルドは茶目っ気たっぷりに父を見た。
将軍は次女の言葉に自身の完敗を認めた。
完全に降参だ。
将軍はどっかりと椅子に座りこんだ。
花 一 輪
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