今日はバルトリ家の荷物がどんどん届くはずだから、息子に仕事を任せたりしていてはいけないよ、と執事さんがやんわりと忠告してくれた。
それでなくとも、突然のクロティルドの訪問で親子して醜態をさらした門番だったから、彼は名誉挽回とばかりに、急いで花ばさみを庭番に帰し、気合いを入れて門に張り付いた。
そして視線をはるか前方に据えて、来客を待った。
ところが、待てど暮らせど荷物は来なかった。
日中いっぱい、彼は小屋に戻ることもせず、門の脇に立ち尽くし、往来に目をこらしていたが、お目当ての馬車も荷車も影すら見えなかった。

いい加減あきらめて、門に錠を下ろそうとしたとき、一台の荷馬車がよろよろと近づいてきた。
もしや、と思い、自分も脇門から出て近づいていった。
赤ら顔の男が、やっと安心できる、という表情で門番を見た。
「バルトリ家のお荷物かい?」
大声で呼びかけると、そうだ、と力ない声が聞こえてきた。
慌てて中に駆け戻って錠を外した。
「ご苦労だな。皆様お待ちかねだ。さあ、入んな!」
いかめしい音をたてながら門を開けた。
荷馬車はゴトゴトと進んで、屋敷地に入ると一端止まった。

門番は水路脇の倉庫まで誘導してやろうと、荷馬車の前に立った。
「荷物は船に移し替えるそうだから裏手へ回ってくれ。」
だが、荷馬車は動かない。
「バルトリの奥さまに申し上げることがある。すまんが取り次いでもらえないか。」
赤ら顔の男は申し訳なさそうに言った。
門番は驚きつつも、すぐに廷内に走り、執事に事の次第を話した。
執事はみずから二階に上がっていった。
やがて、クロティルドが執事とともにオスカルの部屋から急ぎ足で降りてきた。
そして外へ出た。



「奥さま!」
赤ら顔の男がクロティルドを見るなり泣きそうな声で叫んだ。
「ギョーム!まあ、どうしたの、そんな顔をして…。」
「パリはえらい騒ぎで…。とても荷物を運べるようなもんじゃありません。あっちこっちで止められて、何を積んでいるか調べられて、めぼしいものはみんな分捕られちまいました。」
「まあ…!」
クロティルドはすぐに荷馬車の後部に周り、荷物にかけてある覆いを取り払った。
そして沈黙した。
強引にあけられた木箱が、無残に転がっているだけだった。
「何てことでしょう…。」
「たぶん、他の荷馬車もおんなじでしょう。俺はここにたどり着けただけ幸運だった。あらかた奪われて、逃げ帰った奴もいるはずだ。」
「ええ。ここへ無事に来たのは今のところあなただけよ。何台で出たの?」
「うちからは3台ですが、ほかの商会からのはわかりません。」
「とにかく中に入って休んでちょうだい。ラケル、お願いするわ。」

ギョームと呼ばれた男はヘトヘトに疲れ切った体を荷馬車から降ろし、ラケルに続いて廷内に入った。
そして厨房に案内され、気付け直しの熱い飲み物をもらい、ようやく人心地ついた。
荷馬車は門番がかわって倉庫まで運んでくれているらしい。
無理をしてでもここに来て良かった。
落ち着いたら、自分の部屋に来るようクロティルドから申し使っている。
彼は、ほーっと一息つくと、立ち上がり、近くの侍女に頼んでクロティルドの部屋に案内してもらった。



「襲ってきたのは軍か、市民か。」
見たこともない豪華な邸宅の一室で、見たこともない豪華な金髪の青年に尋ねられて、ギョームは返答していいものかどうかわからず、クロティルドに助けを求めた。
「こわがらないで。この子はわたくしの妹です。パリの様子が気になって仕方ないらしいの。」
にっこりとクロティルドがほほえんだ。
それからオスカルを振り返った。
「降りてきてはだめだといわれているのでしょう?お母さまに怒られても知りませんよ。」
言われたオスカルより、隣に立つアンドレのほうがよほと゜申し訳なさそうな顔をしている。
クロティルドの身内の人だと知ってギョームは安心した。
しかし、奥さまも落ち着いてらっしゃるようで混乱しておられるのだな。
弟と妹を言い間違えるなんて。
ギョームはそれがほほえましくて、ようやく肩の力が抜け、素直に質問に答えた。

「市民です。同じ市民なら寄付してもいいだろうってね。複数でたかってきて、金目のものはみんな持って行ってしまうんでさあ。」
「なるほど。資金集めだな。」
オスカルが腕組みをしてうなずいた。
「もし軍隊が一発でも発砲したら、全市民は立ち上がって戦う、という宣言が出てるんです。軍隊と一戦するにはまず金ですからね。」
無茶だ。
何の訓練も受けていない素人が、各地から呼び集められた軍隊と対等に戦えるわけがない。
オスカルは明日、出動する衛兵隊を思い、胸が押しつぶされそうだった。

「ギョーム、危ない仕事をお願いしてしまったのね。」
クロティルドは心底申し訳なさそうに言った。
「とんでもねえ。奥さま。こっちこそお役にたたなくて…。毎年のご注文がこんなことになっちまって、俺は会わせる顔がねえから引き返そうかとも思ったんだ。だけど、そんなことをしたら何も知らねえ奥さまはどんなにお待ちになるだろうと思うと、カラの荷馬車でも、とにかく行かなきゃなんねえ、と思って…。」
ギョームはすすり上げながら腕で両目をごしごしとこすった。
「本当によく知らせてくれたわ。ありがとう。心からお礼を言います。荷物がなくなったのはあなたのせいではないのだから、ちゃんとお代はお支払いします。それを持ってご主人のところにお戻りなさいね。」

「姉上、それは無理でしょう。」
突然オスカルが口を挟んだ。
「あら、どうして?」
「来るだけで、こんなに大変だったのです。今から戻るのはもっと危険です。まして代金など持っていては、またぞろ全額取られるのがオチですよ。」
「ああ、それもそうね。じゃあ、ギョーム、しばらくここにいる?落ち着いたらわたくしから商会主あての書面で事情を書いておいてあげましょう。」
いたれりつくせりの配慮にギョームは感極まって泣き出した。
ラケルがそれをなだめすかして、部屋から連れ出した。

「ギョームの実家はうちの領地にあるのです。パリで働きたいと言うから、主人が紹介状を書いて、今のところで働くようになって…。それであの商会からの納品はいつもギョームが担当してくれて、安心だったのだけれど。この分だと案外見切りをつけてギョームも郷里へ引き上げたほうがよさそうね。」
クロティルドがため息をついた。
地方の貧しいものたちが、職と食を求めて都会に流入する一方で、危険と混乱をさけてパリから脱出するものも、当然出る。
人の動きが激しくなっている。

「さて、困ったことになりましたな。」
オスカルがクロティルドの正面に位置を変えて座り直した。
「あら、何が?」
「荷物が来ないのですよ。」
「ああ、そのことね。でもなくなってしまったものは仕方ないわ。」
あっさりと言う。
「そうなんですか?」
「残念ですけれど、あきらめます。パリで手に入らなくなったとすると、どこか他を当たらないといけない、ということでしょう?」
「そういうことですな。」
「ではイタリアにでも行ってもらいましょう。」
クロティルドはこともなげに言ったが、行くのはおそらくご夫君であろう。
アンドレは、その人使いの荒さが姉妹そっくりだ、と思うとおかしくて、笑いをこらえた。

「では船はカラで帰るということですか。」
「あら、一番大切な積荷はここにあるのですから、カラではないわ。」
それが何をさしているか、オスカルにはすぐにわかったようで、きわめて不愉快な顔をした。
「積荷がなければ船は広いわよ、あんまり喜んで動き回らないでね、オスカル。」
オスカルの表情はいっそう不機嫌になった。
ここのところ姉からはずっと荷物扱いされている。
それも極めて扱いにくい荷物として…。
だが大事をなす前の小事だ。
ここで姉と事を構えて、乗せてやらないと言われれば元も子もない。
動ける手段は何を置いても確保しておきたいのだ。
オスカルは精一杯の作り笑いを浮かべて言った。
「承知しております。わたくしは自分が動き回る気はまったくございませんので、ご安心ください。」
その言葉にはクロティルドよりもアンドレのほうが何倍も安心した。
二人で新天地に行く、という話にオスカルが存外簡単に賛成してくれて、アンドレは心底喜んでいた。
今までの心労にくらべれば、二人分の荷造りなどおやすいご用だった。
彼は、そっとオスカルの脇に立つと、彼女をたたせ、壊れ物を扱うように肩に手を回して体を支えた。
それから、クロティルドに黙礼し、オスカルを二階に連れて戻った。










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出発〜たびだち〜

〔1〕

たび   だち