議場封鎖に対抗して、第三身分の議員がジュー・ド・ポームにおいて、憲法制定まで決して解散しないことを誓い合ってから二日後、サン・ルイ寺院で行われた国民議会には、150人の僧侶議員が合流した。
1789年6月22日のことである。

実は僧侶部会は、ジュー・ド・ポームの誓いの前日に、国民議会に合流することをすでに決議していた。
僧侶議員は、司教や僧院長などの貴族出身者と、司祭や修道士などの下級層出身者に分かれており、わずか12票差ではあったが、下層出身者が勝利した。
このとき賛成票を投じた下級僧侶150人と、さらに一部貴族議員も国民議会に参加したことで、国王側に対する下からの圧力は格段に増した。
力弱き人々の代表は、しかし決して力弱き代表ではなかったのだ。

国王側の動揺は激しく、王妃は財務総監ネッケルに
「三部会が国の代表者となるのでしょうか、それとも国王がその地位にとどまるのでしょうか。」
と尋ねた。
ネッケルこそが三部会召集の提言者であり、それゆえに彼のバックに国民の支持があることを理解していれば、まずするはずのない質問であることを思えば、王妃の事態把握の能力の限界がおのずと知られよう。
既得権擁護にのみ意識が向かう国王夫妻は、さらに強行な圧力をかけることで事態の打開をはかろうとした。

6月23日、国王は全議員に向け親臨会議を招集する。
このとき、特権身分は正面入口から、第三身分は裏口からの入場を指示された。
しかも第三身分は、最後の入場とされたため、雨の中、長時間待機せねばならなかった。
この様子を間近で見たオスカルは、即座に儀典長のドルー・ブレゼ侯爵に抗議した。
だが、ブレゼ侯には、その忠誠心の発露として、国王の命令は絶対であり、それに基づく規則もまた破るべからざるものであって、衛兵隊長ごときの進言など到底聞き入れられるはずもなかった。

「ドルー・ブレゼのやつ、ぶったぎってやる!!」
アランが剣を抜いて駆けだした。
「まて!アラン!!」
オスカルがすぐにあとを追った。
ふりしきる六月の雨が、そこここに水たまりをつくり、走る二人の足下に跳ね返る。
アランが泥に足を取られたところにオスカルが追いついた。

「ばか!無意味なことはやめるんだ!」
オスカルは怒鳴りながらアランの右手をつかんだ。
剣を取り上げようとしてオスカルの手に力がはいる。
「よけいなことを…!」
アランはとっさに逆の手でオスカルの手首をつかみ返した。
そしてその手首の細さに驚いた。
切迫した蒼い瞳が自分を凝視している。
雨の音が二人を世界から遮断して、ここには自分とこの人しかいない。
雨がアランの理性を洗い流した。

今なら…!

アランはオスカルを引き寄せた。


だが、突然視界からオスカルが消えた。
アランがつかんだ白い右手はそのままに、オスカルは左手で口を押さえ、その場にしゃがみ込んでいた。
アランはあわてて握っていた細い手首を離した。

「た、隊長…!」
膝を折り、丸くなった背中に手を伸ばした。
すると、突然後ろから思い切り肩を引かれた。
バランスを失い、アランはしたたかに尻餅をついた。
見なくても、それが誰だか、アランにはわかった。
ここはもう別世界ではない。

「オスカル!」
アランを雨の中に転がしておいて、アンドレはすぐにオスカルのそばにかがみ込んだ。
「だ、大丈…夫だ…。ちょっと…吐き気が…。」
オスカルの声は信じられないほどか細かった。
そのことがアランをうちのめした。

自分は一体何をしようとしたのか…。

目の前に突然現れた白い顔と金色の髪が、自分の理性を吹っ飛ばした。
ぶった切られるのは自分だ。

アランは泥だらけになったまま、のっそりと起き上がった。
そして、おそるおそる顔を上げた。
一発くらい殴られる覚悟はできていた。
いや、切り刻まれても文句は言えない。
だが、もしやられるなら、できればアンドレではなく隊長自身の手で裁いて欲しかった。

けれどもそっと見やった目の前の二人は、アランの存在などまったく無視して、ゆっくりと立ち上がった。
アンドレの腕がしっかりとオスカルの肩に廻され、オスカルは両手で口元を押さえながら、アンドレの胸に頭をもたれさせていた。
「歩けるか?」
アンドレが優しく聞く。
「あ…あ。大丈夫だ。」
またもや小さい声が、かすかにアランに聞こえた。
それから、オスカルはアンドレに何かささやいた。
アンドレがうなずき、振り返った。
「アラン、持ち場に帰れ。隊長の命令だ。」

雨音が大きくなった。
二人は身体を寄せ合って、ゆっくりと詰め所に引き上げていく。
歩幅も速度もまるで同じで、ひとりの人間が歩いているようだとアランは思った。
別世界にいるのはあの二人だ。
決して自分と隊長ではない。

しのつく雨の中、何が流されていったのだろう。
理性か…。
恋情か…。

頬をつたうものは雨か…。
フン…やけに熱い雨だぜ…。


アランは隊長の命令に反して、いつまでもいつまでもその場に立ちつくしていた。
それでも流れていかない何かが、確かに心の中に残っていることを感じながら…。







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 雨