大広間の扉の前に立つと、将軍はコホンと咳払いをひとつした。
室内で扉の側近くに控えるものが気づいたらしく、扉は中から開いた。
ラケルだった。
「皆さまがお待ちかねでございます。」
穏やかな顔で執事は将軍を中へ導いた。
驚いたことに、誰一人として食事に手をつけているものはいなかった。
母と三人の娘は静かに手を組み、食前の祈りを捧げていた。
オスカルとアンドレの姿はなかった。
ばあやの姿もなかった。
「だんなさまのお越しでございます。」
ラケルの声に、女性たちが一斉に目を開けた。
ジャルジェ夫人が静かに立ち上がった。
娘たちもそれにならった。
将軍は無言のまま、席に着いた。
それを待って、女性たちも再び腰を下ろした。
将軍は胸の前で手を組み、短い祈りを捧げ、十字を切った。
皆、それにならった。
将軍は食前酒を手に取った。
妻も、娘たちも同様にした。
妻はいつもの妻だった。
娘たちもいつもの娘たちだった。
夫をたてる妻、父を敬う娘たち。
なにひとつ変わってはいなかった。
「明日、宮殿に参内し謁見を申し出る。」
将軍はおもむろに口を開いた。
「謁見がかなえば、国王陛下に、一切の職から辞することを申し上げてくる。」
使用人たちが息を呑む気配がした。
「この屋敷も引き上げる。お役目を辞する以上、ベルサイユに留まる意味はない。」
「ご領地に引き上げるおつもりですか?」
マリー・アンヌが尋ねた。
「領地は返上する。」
将軍は淡々と言った。
「では、どちらへ?」
「アラスに行く。あそこはジャルジェ家の発祥の地であり、わが先祖がスペインから取り返したものだ。時の陛下に領地安堵いただいて今日にいたった。」
アラス以外はその後の戦功に対する恩賞として国王から与えられたものだが、アラスだけは先祖が勝ち取った領地だということを言っているのだろう。
「お役目も、いただいた御領地もすべて返上されるということですか?」
ジョゼフィーヌが質問した。
「その通りだ。」
将軍はうなずいた。
「つまり、それは…。」
カトリーヌが父の目を見て言った。
「それは、一切の責任をお父さまご自身がお取りになるということでございますね。」
オスカル謀反の罪も、また母と自分たちが画策したオスカルとアンドレの無断結婚も、他の誰でもない将軍自身の罪としてけじめをつける、との決断であることを、カトリーヌは父の短い言葉から察し、確認した。
つまりは、オスカルの罪も問わず、もちろん母の罪も問わない。
アンドレの罪もまた同様である。
「この家の当主はわしだ。何が起きても責任はわしにある。」
「お父さま!」
ジョゼフィーヌが立ち上がった。
そして父の背後に回ると、後ろから思い切り抱きついた。
「ああ!お父さま…!」
それから先は、泣き声になって、まったく聞き取れなかった。
カトリーヌが、あわてて立ち上がり、突然の娘の行動に困惑している父から妹をそっと引き離した。
「ジョゼフィーヌ、お父さまが困ってらっしゃるわ。」
そういうカトリーヌも涙声だった。
マリー・アンヌは父の隣で呆然と夫を見つめる母のかたわらに立ち、ふわりとその肩を抱いた。
「やっぱり、お父さまはお母さまのおっしゃった通りのお方でしたわね。」
マリー・アンヌの目にも涙があふれていた。
「来たければ、おまえも一緒に…。」
将軍はぼそりと夫人に言った。
夫人は小さな、けれどしっかりした声で、
「はい。どこまでも…。」
と答えた。
ようやく泣き声がおさまったジョゼフィーヌが母に言った。
「お母さま、どこまでも、だけではなくて、いつまでも、ともおっしゃらなくては…!」
夫人はまあ、という顔で五女を軽くにらんだ。
「ジョゼフィーヌの言うとおりですわ。」
マリー・アンヌが妹に加勢した。
「この子たちったら…。」
そう言ったきり、夫人はナプキンで顔を覆った。
娘を男として育てると、勝手に決めた夫に、それでもずっと黙ってついてきたのは、この潔さを誰よりも知っていたからだ。
決して逃げない。
決して他人のせいにしない。
時に、人の罪までも自分で被る。
出逢いの日、近衛士官にからまれた自分を助け、その潔い行動が賞賛された彼は、しかしそのことがもとで友人を失った。
恥をかかされた形になった士官は近衛を去り、衛兵隊に移った。
その後の友の栄達を夫はわがことのように喜んでいたが、友のほうはそうはいかなかった。
まさかそんなことを勝手に…と思ったときには後の祭りで、娘は何も知らずその友の部下となってしまった。
だが夫はついに娘には何も話さなかった。
そういう人間だった。
その意固地なまでの態度が、他家や親族から養子を取るという手段を選ばせなかった。
ジャルジェ家の跡取りはわが血をひくものに、そしてその子をわが手で育てたい、という強い彼の願望は、たとえ周囲から見れば破綻した論理と言われても、決して揺るがず、男子が産まれなければ、女子を、という形で実現させてしまうことになった。
だが、この頑固さ、潔さが、オスカルを男として育てることにつながったのと同様に、オスカルを女に戻す時にも、まったくもって完璧に貫き通されたことが、夫人にはただただ嬉しく、食前の長い祈りを叶えてくださった神に心から深い感謝を捧げた。
将軍は、妻をちらっと見たきり、視線を空に据え、それから、ゆっくりと食事をはじめた。
立ち上がっていた娘たちも席に戻った。
「ノエル以来ですわ。お父さま、お母さまと晩餐をご一緒するのは…。」
ジョゼフィーヌが笑った。
「あのときは、クロティルドやオルタンスもいたわ。」
マリー・アンヌがなつかしそうな顔をした。
「オスカルもおりましたわよ。」
カトリーヌが付け足した。
「そうそう、それでお父さまとオスカルは、わたくしたちがあんまりうるさいので、早々にお席をたってしまったのよね。」
ジョゼフィーヌがクスクスと笑った。
半年前のノエルの日、姉妹全員集合して画策したオスカルとアンドレの結婚を、今日、ようやく将軍に報告できた。
紆余曲折は経たものの、どうやら了解も得た。
そして年明けには、オスカルに子供が生まれるという。
父には父の複雑な思いが渦巻いているだろうが、一度決めたからには、なにがあってもやり通すだろう。
それを疑うものは誰一人いない。
マリー・アンヌは婚家の力を最大限利用して、父の申し出が速やかに了承されるよう、早速にも宮廷で動くつもりであった。
カトリーヌはベルサイユを引き払うという両親のために、荷造りやら、使用人の今後のことなどについて、一切合切手はずを整える心づもりだった。
そしてジョゼフィーヌは、この素晴らしい結果を遠くに住むクロティルドやオルタンスに何と伝えようかと、わくわくした思いで、手紙の文言を考え始めていた。
遅くに始まった晩餐は、はじめとは打って変わって賑やかに、なごやかに過ぎていった。
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晩 餐