うとうとしていたマロンは扉が開いてジャルジェ夫人が入ってきたのを認め、あわてて起きあがった。
その思いの外元気な様子をにこやかにながめ、夫人はマロンに声をかけた。
「ばあや、具合はどうですか?今朝は、オスカルもアンドレも随分心配そうに出勤していきましたが…」
「恐れ多いことでございます。あたしなんぞにこんな立派なお部屋やお医者様まで…」
「あなたは我が家では、家族同然ですもの。オスカルも本当は休暇を取って看病したいうような顔でしたからね」
「も…もったいない…。ありがとうございます」
感涙にむせぶマロンを優しく見つめると夫人は
「ところで、ばあや。アンドレの結婚のことなのですが…」
と、さりげなく本題に入った。
マロンは少し驚いた表情を見せたが、黙って夫人の言葉を待った。
「オスカルに言われて、わたくしがジョゼフィーヌに聞いてみたのですけれど…」
「まあ、奥さまが…!」
マロンは心底恐縮した顔つきになった。
「ばあやのお気に入りの侍女はもう決まった人がいるのですって。残念だけれどあきらめてちょうだいね」
と夫人は深い慈愛をこめた声で言った。
「ま…あ、さようでございますか」
見た目にも明らかにマロンの肩はがっくりと落ちた。
「あんな器量よしの子、周りがほうっておきませんよね。そうですか」
と、言ったきり、小さい肩はさらに小さくなった。
「それでね、わたくしがきっといいお嫁さんを世話してあげるから、もう少し待ってちょうだいな」
夫人はマロンの震える肩に優しく手を回すと、驚いて離れようとするマロンの瞳をじっと見つめた。
「ばあやも知っての通り、今、オスカルは軍の方が大変でアンドレの補佐がどうしても必要らしいの。そんなときに結婚となったら、何かとそちらに準備がかかってしまうでしょう。オスカルのわがままで申し訳ないけれど、あの子の仕事が一段落するまで待ってやってもらえないかしら?ね、きっと世話します。ばあやの気に入る娘を…」
夫人の真剣な訴えを聞いて我を通せるマロンではない。
「奥さま。あんな馬鹿のためにそんなにおっしゃって頂いて」
マロンの鼻がグスグスと鳴り、夫人が手元のハンカチを差し出すと、威勢良くチーン!とかんだ。
そして鼻と涙を拭き終わると、シャンと背筋を伸ばし、夫人を正面から見据え
「ええ、ええ。承知致しました。あんな馬鹿でもオスカルさまのお役に立って、オスカルさまが必要だとおっしゃってくださるんでしたら、いくらでもお使い下さい。あの子もあたしもそれこそ本望です」
と、きっぱりと言った。
「ありがとう。ばあや」
夫人は入口に控えていた侍女を呼んでハンカチを渡した。
そして思ったより簡単に説得が成功したことに満足して、ものはついで、とばかり
「では、参考のために聞かせてくださいね。ばあやはどんな娘がアンドレのところに来ればいいと思っているのかしら?」
と、聞いた。
これは母親としてぜひ確認しておきたい重要事項だった。
オスカルがばあやにとって命より大切なお嬢様であることは間違いないが、我が孫の嫁となると、また話もかわってこよう。
今さら気に入らないと言われてどうにかなるものでもないが、ばあやに気に入る嫁といえるだろうか…?
夫人の心配の種は尽きない。
「それは、まあ、器量は十人並みで…」
ああ、その点は親の目から見ても申し分ない、と夫人はほっとした。
「気だてが優しくて…」
表現方法に若干問題はあるけれど、優しさも充分そなわっている、と母は思う。
「働き者で…」
ばあやの希望する方向とはまるで違うけれど、オスカルが働き者であることは疑いないわ、と夫人は微笑む。
「アンドレを大事に思ってくれる娘なら…あたしは何もいうことはありません」
それだけは絶対保証できます、と夫人は力強くうなずいた。
まあ、なんとか及第点のようでよかったわ、と安心して、
「よくわかりました。その条件ならなんとかなりそうです。ばあやは安心して病気を治してくださいね」
と言って夫人はにっこり笑い、マロンを抱きしめた。
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