出勤途上の馬車の中で、アンドレはめずらしく居眠りをしている。
夕べ、相当ばあやに手こずったのだな、と思われ、オスカルはそのままにしておいた。
夫人に確かめるはずだったアンドレの結婚話も、ジョゼフィーヌの家を訪問する準備で忙しいからと体よく面会を断られ、どうなったかわからずじまいだった。
アンドレ、と心の中で呼びかけてみる。
ばあやはおまえに結婚してほしいそうだ。
嫁にはなかなか厳しい条件があるらしい。
わたしは合格だろうか。
そんなことを考えているとどうも間の抜けた話に思えて、クスクスと笑えてきた。
窓の外に目をやり、笑いをこらえようとするが、余計におかしくなってくる。
このわたしにおまえの嫁を世話してほしいなんて…。
と、思うと、どうにも我慢できない。
「何がそんなにおかしいんだ?」
と、突然アンドレが声をかけた。
「起きたのか?」
「笑い声がしたからな」
「昨夜は大変だっただろう。ご苦労だったな」
「まあな。俺の嫁を取るんだとはしゃいでいた」
「その話、おまえにもしたのか」
「ああ。奥さまが約束してくださったと上機嫌だった。まったくおばあちゃんも、勝手なことをしてくれて…!」
アンドレはため息をついた。
「ばあやの条件にかなった娘に心当たりがあるそうだ、母上は…」
「聞いたよ。おかげで興奮してしまってちっとも寝てくれなかった」
「ほう…。どんな条件だったのだ?」
真剣に聞いてくるオスカルを見て、アンドレはにっこりと笑った。
「気になるか?」
ほんの少し意地悪をしたかっただけなのだが、失敗だった。
「ふん!別に。どうせわたしとは似ても似つかぬ嫁だろう。母上もまったくお人が悪い。どうやってばあやに説明なさるおつもりなんだ?」
と、オスカルはふてくされてしまった。
「オスカル。奥さまは本当に心当たりがおありなんだよ。俺はおばあちゃんから聞いて感激で胸がいっぱいになった」
アンドレは、ばあやのその条件なら心当たりがないこともない、という夫人の言葉をマロンから聞き、本当に感激し感謝したのだった。
だがまたもや言葉足らずだったようで
「そうか。それはよかったな」
と冷たく答えるとオスカルは完全に横を向いてしまった。
「オスカル、誤解だ。心当たりというのが誰だと思っているんだ?おまえのほかに誰がいるんだ」
「馬鹿を言え!ばあやの条件にわたしがあうとでも言うのか?」
「もちろんさ」
目ほ三角につり上げたオスカルを真っ正面から見据え、それから穏やかに微笑んでアンドレは言った。
「おばあちゃんの条件っていうのは、器量は十人並みで、気だてが優しくて、働き者で、俺を大事に思ってくれる人、だそうだ」
「それのどこがわたしなんだ!」
オスカルの怒りが爆発した。
こいつは絶対わたしをからかっている。
どこがわたしだ、どこが?!
その条件はロザリーやディアンヌのような娘をさすのだ。
どんなにひいき目に見てもわたしでは無理ではないか!
ところがアンドレは突然オスカルを抱き寄せると、驚いてジタバタと動くオスカルの耳元でささやいた。
「十人並みどころか、千人並みの器量よし、そして誰よりも優しい。少し怠けてくれたらと思うほどの働き者。どう?おまえにぴったりだろう?きっと奥さまもそう思われたのさ。最後の俺を大事にっていうのだけは聞いてみないとわからないけどな」
しばしの沈黙ののち、オスカルは真っ赤な顔で
「それだけは完璧に条件に合致している」
と武官らしい冷静さを装って答えた。
馬車が止まった。
今日はパリ巡回だ。
「行くぞ、アンドレ。用意はいいか」
オスカルは颯爽と馬車を降りた。
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