1

抑圧されたエネルギーが解放されるとき、というのは、大抵の場合、ふとしたことがきっかけで爆発的に一瞬にして起こるので、それまでは、うつうつとした状態ではあっても、平穏な日々か続いているように見えているものだ。
事実、大半の人はその間、極めて平凡な日常を送っている。
ただし、一部の職にある人、あるいは、そういう勘が生来鋭い人は、何かが起こる、と風で感じていることがある。
新聞記者などは、その一部の職に含まれる。

ゴシップを追うことを嫌い、できるだけ政治ネタを拾い、大上段に民衆を啓蒙する、などとまでは思わずとも、生活の中でおかしいことにはおかしいと声を上げたいベルナールは、おそらく、この風を、パリ市民の中で、一番強く感じていた。
あちこちでまかれているビラに政治色が増えたし、ゴシップも国王への弾劾ともとれるものが、普通に伝聞されている。
王妃に関しては目を覆いたいような破廉恥なものが流布して、うっかりそれらを自宅に持ち帰って、妻のロザリーに露骨に嫌な顔をされ、あわてて、暖炉に放り込むことも一度や二度ではなかった。

貧民層の暮らしを肌で知っているロザリーは、しかし大貴族の暮らしも経験しており、宮廷の舞踏会に出席し王妃と言葉を交わしたことさえある。
それに何と言っても両親が貴族である。
王妃のゴシップなど、できるだけ耳に入れたくない、と思うのも人情だろう。
市民の窮乏に心を寄せ、共に不平等な社会に怒りを感じつつ、なまじ、一人一人の貴族の顔をリアルに思い浮かべることができる分、心は中途半端になる。
ことに大恩あるジャルジェ家の人々を思うと、貴族へ向けるべき矛先は及び腰にならざるを得ないのだ。

一方のベルナールは、父が貴族とはいえ、ほとんど記憶にない時代のこととて、ロザリーほどに思い入れはない。
短い間、ジャルジェ家で世話になったこともあるにはあるが、そのとき接触した貴族はオスカル・フランソワだけで、あとは乳母といい、アンドレといい、使用人といい、全て平民だった。
当主の将軍や奥方に引け目を感じなければならないほどの恩義はない、と、彼は強がりではなく、確信している。

だが、それぞれに温度差はあるものの、それでも夫婦の懸念は一致していた。
大貴族の衛兵隊長、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将の身の上である。
このまま三部会が開かれ、貴族と平民の思惑が衝突し、解決の道が全くない、となったとき、この国に何が起きるのか。
単なる一時的な暴動か。
だが、それとて、軍属の彼女は、先頭に立って、暴徒と対峙せねばならない。
本当に凶悪な暴徒なら、それも致し方ない。
だが、実は暴徒は困窮した市民なのだ。
そこに彼女が銃を向けるのか。
市民が、あるいは彼女が血に染まるのか。

引退してほしい。
できれば、パリを、ベルサイユを離れてほしい。
他国は無理でも、地方の、まだ混乱の火の粉が降りかからぬところへ、身を隠して欲しい。

その思いを何とか伝えようと、しばらく前から二人は、方法を模索し続けていた。
大貴族のジャルジェ家のお屋敷に新聞記者風情が簡単に面会を申し込めるものではなく、治安悪化の折から、衛兵隊の庁舎の警備も厳しくなり、隊員から申告されている者以外の面会は許可がおりない。
取材を装って、とも考えたが、わざわざベルサイユ駐屯部隊まで行かずとも、パリの留守部隊でも充分応対する、と部隊の責任者に言われてあきらめた。
ロザリーの方も、オスカルこそ祝福して送り出してくれたが、負傷した容疑者であるベルナールと駆け落ちしたわけで、おめおめとジャルジェ家の人々に顔を合わせられるものではなかった。

昨年末、突然アンドレと二人で来訪してくれたときに言えばよかったのだが、そのときは、まだここまでの危機感はなかった。
だが、正式に三部会開催が詔勅によって公布され、時代の歯車は大きく回り出した。
今は、伝えねばならない。
貴族に義理はないが、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将個人には、相応の義理があると認めているベルナールであった。

「パリの店でジャルジェ家に出入りしているところを知らないか?」
と、ベルナールが聞いた。
「それはいくつもあるけれど、どうかしたの?」
ロザリーは不思議そうな顔で尋ね返した。
「よし、それを全部教えてくれ。かたっぱしから訪ねていって、近々、ジャルジェ家に行く予定はないか聞いてくる」
妻の疑問は完全に無視して、ベルナールは自分の計画を進め始める。
こういうときは、くどく聞いてはいけない。
やりたいようにさせるのが一番ことがスムーズに進む、と知っているロザリーは、たまたま夫が持ち帰ったビラの裏に、いくつかの店の名を書き出した。

宝石商、雑貨商、家具屋、陶器店、仕立て屋など、およそ十軒ほどの、有名な老舗ばかりだった。
「あとは食糧を納品している店が何軒かあるわ」
と、付け足そうとしたが、
「いや、それはいい。そっちはどうせ裏口から入って料理人に渡せば終わりだろう。オスカル・フランソワに直接会えないなら意味がない」
と、簡単に断られた。
この返答で、どうやら商人に紛れて、表口から堂々とお屋敷を訪問するらしいことが察せられた。
きっと、それこそ取材だとかなんとか言って、同行する気なのだ。
「でもベルナール、それでは人がいて込み入った話はできないわよ。どうするの?」
ロザリーのかわいい質問にニヤリと笑うと、
「心配はいらない。まあ、待っててくれ」
と答え、ベルナールは上着をひっかけ店の名が書かれたビラを手に、家を飛び出していった。



home

menu

next

back

助  言