どんぐりころころ

葡萄の収穫の季節が終わった。
今年の出来はどうだったのだろう。
例年、この季節の最大の関心事だったのに、今はどこか遠くに押しやられてしまった。
食卓にアルコールがのぼらないのだから、話題になりようもない。
窓から見える範囲で、ところ狭しと落ちているどんぐりの実が、かろうじて秋だと告げていた。

ゆるやかに流れる時間をつぶすため、最近のオスカルはせっせと手紙を書いている。
これならば、どれほどお腹が大きくなろうと可能だ。
アンドレがアランに出した手紙の返事に付随して、ジョゼフィーヌとクリスからも手紙が来たことで思いついたのだ。
天敵であるジョゼフィーヌの手紙は、素っ気ないアランに比べてよほど詳細にベルサイユの事情を書き綴っていた。
パリにいるわけではないし、何か新体制において役職についているわけでもない。
だがベルサイユ在住の貴族の奥方から見た現状が、詳細に語られて、なかなか貴重な情報だった。

オスカルは、人生で初めてと言っても過言ではないが、姉に礼状を書いた。
すると、ジョゼフィーヌは、驚くほど早く返事をよこした。
「さすがのオスカルもすることがないと見えて、このわたくしに御礼を書いて参りました。こちらもあの子の様子がわかって安心ですから、せいぜい文通をいたしますわ。」
ジョゼフィーヌが、マリー・アンヌとカトリーヌに満面の笑顔で報告していることなどつゆ知らず、オスカルは姉の手紙を心待ちにするようになった。

アンドレは、このやりとりを、はじめはほほえましく見守っていた。
姉上の配慮に感謝していた。
しかし、次第に眉をひそめ、手紙が届く日を恨めしく思うようになっていった。
なぜならば、正直かつ公明正大なジョゼフィーヌは、今フランスで起こっていることを正確に伝えてきたからである。

王室のパリ移転の折りの、宮殿の混乱と恐怖。
怒れる民衆によって命を落とした近衛兵のこと、そして彼らが王妃の居室にまで迫り、アントワネットをバルコニーに引きずり出したこと…。
民衆の凶暴性を遠慮無く描き出すジョゼフィーヌのペンは、一方で、亡命する貴族がさまざまな財宝を国外に持ち出してしまい、もとより財政難であった国家財政は完全に破綻してしまったとも指摘している。
また、国民に軍隊の撤退を約束したはずの王が、再びフランドルから新たな軍隊を呼び寄せ、近衛兵士たちとともに歓迎会を開き、調子に乗った彼らが市民軍の帽章を足で踏みつけたことが、国王移転のそもそもの発端であることも、彼女は公平に記していた。

「市民は、国王を奪還したと、息巻いています。男たちによってバスティーユが奪われ、女たちによって王が奪われました。貴族議員はほとんどが辞職し、亡命しました。国王ご一家はテュイルリー宮殿におられます。いつか再びこのベルサイユにお迎えすることができるのでしょうか。わたくしは深く深く案じています。しかし、この場にあなたが武官として存在していないということは、言葉では表せないほどの喜びです。それはわたくしだけではなく、お姉さまたちも、お母さまも、そしてきっとお父さまも等しく抱いておられる正直なお気持ちであろうと思います。」

オスカルは手紙を握りしめた。
バスティーユに白旗が立った感動的なあの日。
あの白旗を眼にしたときの感激と興奮は自分の身体に刻み込まれている。
抑圧された人々が自分の力で立ち上がった、まさに象徴的な光景だった。
けれど、結果的にそのことが引き金となって、王家はベルサイユから引っ張り出された。
富と権力の象徴であった華麗なるベルサイユ宮殿は、主を失い、さんざめいていた貴族を失い、略奪の対象となった。
あまりに長きに渡った抑圧の結果である。
王と貴族は、これからその報いを受けていかねばならない。
輝かしい栄光の日々から,果てしない没落の日々へ…。

「あまり思い詰めるなよ。」
アンドレがショコラを煎れてきた。
メルシー、と言いながら、オスカルは手を伸ばさない。
「冷めるぞ。」
優しく促すが、こくりとうなずくだけだ。
「今日は、紹介したい人がいる。」
はじめてオスカルが反応した。
「産婆さんだ。」
蒼い瞳が驚きに満ちる。
「そろそろ用意しておいた方が安心だと姉上さまが呼んでくださった。」
「産み月までにはまだ時間があるぞ。」
ようやく言葉を発してくれた。
アンドレは嬉しそうに笑った。
「早産ということもあるからな。とにかく最近のお腹のふくらみはびっくりするほどだし…。何かあってからでは遅いだろう?」
そう言われれば返す言葉がない。
掛布の上からでも明らかな、膨張した腹部をじっと見つめる。
「わかった。おまえに任せる。」

オスカルの返答を聞くや、アンドレは大声で叫んだ。
「ご許可が出たよ。さあ、入って…!」

静かに扉が開いて、小さな老婆が入ってきた。
その姿を認めた瞬間、オスカルの瞳に大粒の涙がにじんだ。

「ばあや!!」

「オスカルさま!!」

老婆は転がるように寝台の脇に駆け寄った。
−まるでどんぐりがころがるようだな。−
アンドレは思わずつぶやいた。





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