道  程

暗闇の中でアンドレは馬車を車庫に収納し、馬を厩に連れて行った。
月明かりと小さなランプだけを頼りに行う作業は、隻眼の彼ひとりではなかなか難しい。
いつもなら、厩番のものたちが、物音に気づいて出てきてくれるのだが、今日はなぜか誰の姿も見えなかった。
車庫に馬車が一台もないことから、その理由は明らかだ。
だんなさまも奥さまもそれぞれがお出かけで、まだ戻っておられないのだ。
従って、厩番のものたちも御者として出払っているということだった。
だんなさまはともかく奥さまが、このような時間までお戻りでないのはめずらしい。

だが、今夜のアンドレはこの疑問をそれ以上追究する余裕はなかった。
何しろ、オスカルが謹慎を言い渡されているのだ。
しかも謹慎処分ではなく、正式な処分までの仮措置であるから、このあとどのように重い処分が下されるのか、想像も付かなかった。
罪状は命令拒否だが、人によっては謀反とも受け取れるほどのものだ。
ただではすむまい、ということが当然ながら察せられた。

勝手口から廷内に戻ると、いつでも出せるように整えられた晩餐の品々が、所在なげに卓上で出番を待っていた。
使用人達は手持ち無沙汰で雑談に興じている。
オスカルの部屋から戻ってきた侍女が、
「オスカルさまは今夜はいらないとおっしゃった」
と、皆に報告した。
めざとくアンドレを見つけた侍女は、何か理由を知っているのでは?と水を向けてきたが、知らないととぼけた。
めったなことは口に出来なかった。

詮索されかかったところへ、オルガがだんなさまがお帰りだと厨房に声をかけ、何人かがあわてて表へ走っていった。
アンドレも同様にホールへ向かった。
オスカルの処分について、だんなさまなら何かご存知かもしれないと思ったからである。
だが、ジャルジェ将軍は全く無言でホールを横切り、夫人がいないことにも気づかぬ風で、自室に引き上げた。
その表情の厳しさに、アンドレは答えを読み取った。

使用人の群れからはずれ、すぐに自分の部屋に戻った。
そして机の引き出しをあけた。
一振りの短剣が入っていた。
屋敷に引き取られたとき、だんなさまから護身用にと贈られたものだった。
「オスカルを頼む」
この一言を添えて、短剣はだんなさまから直々に手渡された。
はいっ!と、緊張で身を固くして受け取った。

まさか、とは思う。
厳しい処分が下され、ジャルジェ家にとって不名誉な結果になったとしても、だんなさまがわが娘に何かなさるなど、あり得ない。
本当に手塩にかけて育ててこられたのだ。
目の中に入れても痛くないほどの愛娘のはずだ。

だが、一方でこの家の掟がある。
王家の守護者。
武力によって王家を守る。
先祖代々、各地の戦線に赴き、指揮を執り、華々しい戦功をあげてきた。
恩賞によって領地は増大し、家格も上がり、それを心の支えとしてきただんなさまである。
わが家から謀反人を出すなど、あってはならないことに違いない。
だが、もしあってはならないことが起き、それが娘の手によるものだとしたら…。
だんなさまは力ずくでもなかったことになさるのではないか。

恐ろしい予感がアンドレの身体を駆け抜けた。
短剣を手に立ち上がった。
それから、自分の手の中のものを誰に向けようとしているかを考え、硬直した。
この短剣を向ける先は、これをくださっただんなさまである。
そんなことができるのか。
自分にとって、何よりも大きな存在であるだんなさまを、自分は刺せるのか。

オスカルのため。

だんなさまは、おっしゃった。
「オスカルを頼む。」と。
その真意は…。
オスカルに何かあったときは、この短剣でオスカルを守れ、ということだったに違いない。
ならば、たとえ相手がほかならぬ短剣の贈り主たるだんなさまであっても、これによってオスカルを守るのが、自分と短剣の使命であろう。

それに…。
これは自分の思い過ごしかもしれないのだ。
忠誠心と親子の情の板挟みになっただんなさまが、どう行動されるかは、神のみぞ知るところだ。
安易な想像で早まってはいけない。
アンドレは短剣を懐にしまった。
これはいざというときの備えだ。
むやみやたらと出してはいけない。
最後の最後の手段なのだ。
アンドレは自分に繰り返し言い聞かせ、部屋を出た。

そして廊下を歩き始めたとき、執事が血相をかえて走ってきたのにでくわした。
「アンドレ!」
老体にむち打って全力疾走してくる彼を抱き留めると、
「どうしたのです?」
と聞いた。
「だ、だんなさまが、剣を…、剣を持ってオスカルさまのお部屋へ…。」
「…!」
アンドレは執事を突き飛ばして駆けだした。
そして使用人でごった返しているホールを抜け、二階への階段を一段とばしで駆け上がった。

ホールではアンドレとぶつかった侍女が倒れ、大騒ぎになっていたが、すでにアンドレの耳には入らなかった。
彼は開け放たれたオスカルの部屋の扉の前にやってきた。
将軍がオスカルにむかって剣を構えていた。
アンドレはすぐに駆け寄り、後方から将軍の腕をひねりあげた。
将軍がうめき声をあげた。
だがアンドレは容赦なく指に力を込めた。

「はなせ!」
将軍が怒鳴った。
「はなしません!」
負けずに怒鳴り返した。
「もう一度言う。はなせと言っているのだ!」
やや声を落とし、威厳を込めて将軍が言った。
「はなしません。」
アンドレは繰り返した。
「ではおまえも切る!」
将軍は絶叫した。
「結構!」
アンドレも大声を出した。
それから彼はゆっくりと言った。
「けれどその前に、だんなさま、あなたを刺し、オスカルを連れて逃げます。」
アンドレは懐から出した短剣を将軍の頬に突きつけた。
もはや迷いはなかった。





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