道  程

雨中、突然のマリー・アンヌの来宅と進言を受け、夫人は即座に動いた。
もしマリー・アンヌの言うことが正しいなら、すぐにも確認せねばならない。
オスカルは何も知らず軍務についているのである。
とりあえずベルサイユ在住の他の娘たちにも相談し協力をあおぐべきだと判断した。
使いを出して呼び寄せよう、というマリー・アンヌに、夫人は笑って言った。
「使者からの口上を聞いてから、あの子たちが仕度を始めてご覧なさい。ここへ来るのはどんなに早くても夕方です。それなら、いっそ、こちらから出向きましょう。」

時間が惜しい母娘は二手に分かれ、マリー・アンヌはカトリーヌ宅へ、夫人はジョゼフィーヌ宅に向かった。
午前中にマリー・アンヌの訪問を受けていたジョゼフィーヌは、母の来訪と用件に腰を抜かすほど驚いたが、すぐに客間を用意し、侍女達に、当分ここへは出入りしないよう指示した。
しばらくしてカトリーヌを伴ってマリー・アンヌが合流し、四人は完全に人払いして、密談に入った。
ようやく雨は上がっていた。

ジョゼフィーヌ宅の使用人たちは、ジャルジェ伯爵夫人に、公爵夫人、カトリーヌという顔ぶれに、なにごとか、と興味津々の様子だったが、折良くというか折悪しくというか、ちょうどそのときに宮廷にいるジョゼフィーヌの夫君からオスカル謀反の知らせが届いた。
ことがことだけに、今日の議題はこれか、と使用人の誰もが納得し、以降、関わりを恐れて中の様子をうかがうものは誰もいなくなった。
もちろん、オスカルの謀反などあずかり知らぬことだったから、母と娘たちの顔から血の気が一斉に引いたのは無理からぬ事ではあった。
だが、夫人は、災い転じて福と成す、という言葉を娘たちに披露し、今こそ千載一遇の機会であると説いた。

そして、とりあえず医師の判断を仰ぐのが先決だということになり、ジョゼフィーヌがクリスに迎えの馬車を出した。
ジョゼフィーヌは、春先以来、クリスのパトロンとして、少なからず支援をしていたので、急な呼び出しでも、ラソンヌ医師が疑問を持つことはない、とのことだった。
しかし、クリスは急患に応対していたため、ジョゼフィーヌ邸に到着できたのはすでに夕闇迫るころだった。
ことをわけて事情を話し、くれぐれも口外無用と念を押し、医師として患者の秘密は絶対的に厳守するとのクリスの確約を得てのち、夫人と娘達がクリスとともに再びジャルジェ家に戻ってきたときには、すっかり日が落ち、晩餐の時刻さえ過ぎてしまっていた。

夫人の一団が突然ホールに入ってきて、今度はジャルジェ家の使用人が右往左往しているところを、高齢の執事がオタオタと走り抜け、続いてアンドレが駆け抜けていき、彼とぶつかった侍女のひとりが転倒するにいたって、夫人と娘たちはオスカルに何かあった、と察知した。
とりあえずクリスに別室にて待機するよう命じ、指示があるまで誰も二階へあがらないことを執事に伝え、美しいドレスの裾を翻しつつ、母と三姉妹はオスカルの部屋に向かった。

目指す部屋の扉は、将軍が乱入してきたときのまま、開け放されていて、将軍とアンドレの緊迫した会話が聞こえてきた。
どうなることか、と張り詰めた思いで見守っていたが、結局、将軍が折れ、オスカルのおとがめがないことがわかった。
将軍は、軍務証書を取りに行くようオスカルに命じ、出て行こうと方向を変えた。
まさにそのとき、夫人の怒声が発せられたのである。

「そんなものを取りに行く必要はございません!」

長い人生、本当に色々あり、娘の謀反やら、成敗やら、と続けば、もう驚くことなどなにひとつないような気がしていた将軍の淡い幻想は一瞬で吹き飛んだ。
妻の鑑と世評に高い夫人が…。
大きな声を出す所など一度たりとも聞いたことのない夫人が…。
将軍は、その場で石像と化した。

「お母さまのおっしゃるとおりですわ。」
夫人の背後から、姉上たちの麗しい三重唱が響いた。

「な、なにごとです、母上、姉上?」
石像となりはてた父にかわってオスカルが尋ねた。
だが、夫人は末娘をまるで無視し、つかつかとアンドレに歩み寄った。
将軍の前に跪いていたアンドレは、あわてて立ち上がり居住まいを正した。

「アンドレ、聞きたいことがあります。」
夫人が厳かに言った。
アンドレは驚いてかしこまった。
「は、はい…?」
「オスカルのことです。最後の月のものはいつでしたか?」

「!!!」

オスカルとアンドレと将軍の目がきれいに点になった。
続いてそろって石像になった。
しばらくの沈黙のあと、とりあえず自分を取り戻したのはオスカルだった。

「は、母上…、何を血迷ったことをおっしゃっているのです?」
言いながら顔が熱くなるのが自分でもわかった。
「ああ、オスカル、あなたはいいのよ。どうせ自分ではわかっていないでしょうからね。」
夫人は視線をアンドレに据えたまま言った。
自分のからだのことだ。
何がいいのだろうか。
大体、父上に殺されかかったと思ったら、今度は母上からの、この心臓が止まりそうな質問。
今日は両親そろって娘の命を脅かす密約でも交わしたのだろうか。

「もしかして、随分遅れているのではなくて?」
夫人は、再びアンドレに問いかけた。

進退窮まる、というのはこういうことを言うのだろう、とアンドレは思った。
だんなさまの成敗など、ほんの序の口、初級レッスン、入門編だったのだ。
何が嬉しくて、だんなさまの前で、オスカルの月のものの話をしなければならないのか?
聞かされるだんなさまも、身の置き所がないであろうに…。
事実、石像の将軍は、オスカルよりもさらに赤い顔をしていた。

「どうなのです?」
夫人がめずらしくイライラした声を出した。
アンドレは急いで頭を切り換えた。
「そういえば…。」
ブイエ将軍の突然の閲兵はいつだっただろう?
三部会の開会前だったから確か四月だ。
あのとき、オスカルは、月のものがはじまった、と言った。
そして、今は六月も終わりに近い。
「ひと月以上おくれています…。」

「それがなんだと言うのです?こんな激務です。これくらい不規則なことは今まででもいやというほどありました!」
オスカルは噛みつくように言った。
「オスカル。」
初めて夫人はオスカルに向かって声をかけた。
「ジョゼフィーヌのジュースはどうでしたか?」
会話が突然見当違いの方向に飛んでいき、オスカルは頭が真っ白になる。

「あれは普通のものには飲めません。」
母の後ろに控えていたマリー・アンヌが口を開いた。
「お姉さま、あまりにも失礼ですわよ。」
ジョゼフィーヌが抗議した。
「飲んだそうですね?」
今度はカトリーヌが聞いた。
ようやくオスカルは、はい、と答えた。

「月のものがなくて、あのジュースが飲めたとなれば、ほぼ間違いありません。」
わたくしのジュースを判定薬のように、とぶつぶつこぼすジョゼフィーヌに、夫人は扉を閉めるよう指示した。
ギイーっという古めかしい音がして扉が閉じられた。
指示があるまで来るなと言っておいた以上、立ち聞きするはしたない使用人はいないと信じてはいるが、念のための措置だった・。
「廊下に人がいた気配はございません。」
ジョゼフィーヌの報告を聞くと、夫人はゆっくりと、けれど大層嬉しそうに、大天使の告知を行った。

「オスカル、あなたはおめでたの可能性があります。」

ガチャーン!と大きな金属音がした。
将軍の手から剣が、アンドレの手から短剣が同時に落ちたのだ。

「ば、ばかもーん!!」
呪縛を解かれたかのように、将軍が雷鳴をとどろかせた。
「聖母でもあるまいに、どうして未婚のオスカルが身ごもるのだ?!」
「もちろん、処女懐胎ではございません。お腹の子の父親はアンドレです。」
夫人はさらっと言った。
聖母などと何を馬鹿げたことを、という非難が、言外に含まれていた。

将軍は、ついに身体を支えることができなくなり、バンと音を立てて両腕を卓上に置いた。
心なしか息が荒くなっている。
脈拍も早い気がする。
冷や汗も流れ出した。
宮廷でオスカルの謀反を聞いたとき以上にショックは大きかった。


一方、オスカルとアンドレも、一人で立つのが困難なほどの驚きで、いつのまにかどちらからともなく身を寄せ合っていた。
耳から聞こえる言葉は確かにフランス語で、難なく意味がとれるはずだが、全く理解不能であり、突如異世界に放り込まれたような不思議な感覚にとらわれていた。






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